ふと思い返せば、囚われが減ればそれだけ今までよりも現実における現実感が薄くなるような感覚がありますが、それは当たり前のことだと思っていました。
しかし、なぜそのようになるのでしょうか。
メカニズムが気になってきて意識を向けてみました。
そうしていると、そのヒントが起き抜けにおとずれました。
睡眠中に見る夢と現実の境界が曖昧になっている気がしたのです。
10年くらい前までは夢と現実は違う世界の話でした。
子どもの頃はよりその差が大きかったように思います。
ところが、今や非現実的な夢である現実には起きえない夢はほとんど見ることがなくなってしまいました。
あえて言うなら、夢の方が囚われていると推測される場合もあるくらいです。
そこから転じて状況を拡大的にとらえると、イマジネーションと現実の境も薄くなっている感じがします。
イメージを現実化していくという作業を通じて、そこは変化してきたのかもしれません。
夢やイマジネーションはいわゆる自由なもので、現実は不自由なものという価値観が一般的かもしれませんが、心理的な囚われが減ればその区別がとらえにくくなっていくものであるとも考えられます。
なぜなら、どちらも自由になっていくからです。
現実はその人が作り出しているものであるという見地でとらえるなら、夢やイメージと同じようなものであり、そもそも境界のないものであるとも言えるでしょう。
前述の一般的な価値観自体が幻想であり、そのように感じるだけで実際の自由度は均衡しているとも推測できます。
もし現実が囚われているだけ夢が自由なのであるならば、その夢は自由を感じられるベクトルに縛られているということになりますし、人は自分の持っている枠以上のイメージを持つことは難しいように思われます。
そんなわけで夢もイメージも現実もたいして変わらないのであれば、全部を現実ととらえてしまってはどうかという発想が出てきました。
しばらくの間、これを試してみようと思います。
すべてをリアルとして受け止めることこそ今の自分と向き合うということなのかもしれません。
谷 孝祐
2015.1.18 11:07