食欲を生み出す主体への考察 | 3年前のしこうの楽しみ

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肉体の反応に何らかの主体が欲求を付加するのであれば、その主体は何なのでしょうか。
シンプルに答えるなら心ということになりそうです。
それは、血糖値が下がることによって脳が空腹と認識するという肉体的な反応に、だから食べたいという心の反応が欲求を生んでいるというイメージです。

このようにとらえるなら、肉体の反応に心が反応しなければ欲求は生まれてこないと考えることもできるでしょう。
この見地であれば、肉体と心の両方の反応が欲求を生み出すとも言えそうですが、肉体の反応が関与しない欲求もあると想定されるので、欲求を生み出す主体を心とするのが妥当そうです。
しかし、一言で欲求は心が生み出しているといっても、心のどの領域が関与しているのかという疑問が出てきます。

先ほどの食欲の例で考えてもいくつかの可能性があるでしょう。
それは、空腹になったら食べなければならないという固定観念的な反応かもしれません。
それは、空腹感を感じると無意識では死の恐怖を感じるために、それを覆い隠そうとする反応なのかもしれません。

それは、満腹になることが自分を愛していることと潜在意識的に感じるために、それを求める反応なのかもしれません。
このように様々な性質の反応がありそうですが、基本的には空腹を感じたくないか満腹になりたいかということに帰結するように思われます。
つまり、心のどこかの領域において何らかの反応が起きた結果、このどちらかを訴求する状態になり、食べたいという欲求が認識できるレベルで生まれてくると考えられます。

そして、この反応する心の領域が自分という領域のどこにあるのかによって知覚される欲求の生まれてくる場所が変わってくるのではないでしょうか。
ほとんどの人は、肉体と重なる領域から生まれてくるけれど、意識状態によってはそうでない場合もあると考えられそうです。
少なくとも食欲について個人的には肉体の反応と心の反応は切り離されていそうです。

反応に変わって、そこには客観的な判断が存在しているように感じます。
今の自分にとって、この客観的な視点が、少し遠くにある答えをもらってくる場所のように感じているのかもしれません。

谷孝祐
2014.10.23 13:44