肉体的欲求は存在するか | 3年前のしこうの楽しみ

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食欲についての感覚の変化から欲求というものに意識が向きました。
それは、そもそも欲求とは何かという疑問です。
読んで字のごとくでとらえるなら、「欲して求めること」でしょうか。

しかし、この主体がどこにあるかということが問題です。
ここでいう主体というのは、例えば自分とか誰かという大きな括りではなく、その中のどの要素が欲求を生み出しているのかということです。
つまり、欲求の大きくとらえた主体が自分であるならば、自分の中のどの部分が欲求を生み出しているのかということです。

雑に答えるなら、脳と言って終わらせることもできそうではあります。
しかし、本質的にはどうなのかという点に疑問があります。
これに関して、以前は肉体的欲求や精神的欲求など欲求の出どころがいくつかあるように考えていました。

しかし、今回の自分の感覚の変化から、実は欲求の主体は本質的には一つしかないのかもしれないとも感じます。
しかも変化後の感覚でとらえるのなら、その主体が自分の内部には存在していないかのように感じられます。
ここでいう自分内部とは肉体が存在している自分の領域をさしています。

あくまで今の実感ベースですが、そう考えると本質的には欲求の根源に肉体はなさそうだと推測できます。
実生活ではもっとも認識しやすく確固として存在していそうなものですが、その可能性もありえなくはないということです。
もちろんその人のおかれた状況にもよるとは思いますが、考え直してみると、確かに肉体発露の欲求というものは概念的に不整合なようにも感じます。

なぜなら、例えば眠たくなって寝る時に、わざわざ寝たいという欲求を持ち出す必要がないと思うからです。
寝たいという欲求は、眠たくても寝れない環境にある時に出てくるものではないでしょうか。
そうであるなら、肉体から生まれてきているのは眠たくなるという反応だということになります。

そして、その反応に何らかの主体が欲求を付加するのかもしれません。
ひとまず、そこを分けてとらえて考察を深めていこうと思います。

谷孝祐
2014.10.21 23:16