故障車渋滞への投影 | 3年前のしこうの楽しみ

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高速道路で渋滞に遭いました。
あえてそのように思うほど珍しいことでもありません。
単純に故障車がいるようでした。

つまり事故渋滞と似たような性質のものです。
それは10km強の長さでした。
はじめは単純に予定より大幅に時間がかかってしまうと判断していました。

実際に5分から10分もあれば抜けられそうなところで、40分くらいはかかったと思います。
余裕をもって出発していた余裕がはぼなくなりました。
そんな列の最中にいてふと感じたことがありました。

それは、たった一台の車が故障しただけでここまでの影響が出るということです。
それは、当たり前のことといえばそうでしょう。
しかし、その現象に些細な滞りが大きな悪影響を生みだすということが投影されているかのようにうつりました。

そして、それはいろいろなことに当てはまるように思いました。
心理的な問題にせよ、社会的な問題にせよ、人間関係の問題にせよ、お金の問題にせよ、健康の問題にせよ、どんな問題でもきっかけは些細な原因なのかもしれません。
しかし、そういったものの多くは二次災害、三次災害、複次災害と派生していってしまう可能性の高さが交通との違いでしょう。

なぜなら初期の些細な原因に気づきにくいからです。
故障車の渋滞が事故やガス欠の車を生みだし、さらに渋滞を長期化させてしまうようなことが起きやすいということです。
そして渋滞が常態化すればいつものこととしか感じなくなるように、様々な問題も当たり前のことという認識になっていってしまいます。

この構造はとりあえずの平常心でいるためには有効かもしれませんが、問題の根本解決を難しくさせるという性質もあるでしょう。
どんなに注意していても車の事故や故障が起きうるように、問題はおきうるものととらえた上で、原因にいち早く気づいていきたいと思ったのでした。

谷孝祐
2014.10.11 22:32