2014年夏の宿題 | 3年前のしこうの楽しみ

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7月に入ってからなんとなく感じていることがあります。
それは多くの人にとってこの夏が重要であることを意味します。
具体的にはこの夏にとった立ち位置が固定化されて今後に影響を与えていくように感じているということです。

何人かに今起きていることや課題として感じていることを聞いていて、次第にそれが確信のように変わってきました。
例えば、自分らしく生きる方向への立ち位置をとったのであれば今後はそちらに向かっていくし、今まで通りの何となしの日常を続けたのであればそのまま流されていくだけになるかもしれないし、自分の人生を諦めてしまうのであれば根無し草の敗者ように生きていくことになっていく可能性があるというようなイメージです。
そういう意味では、自分がこれからどのように生きていくかを問われている時期でもあるでしょう。

またそれに答えを出すべき時なのかもしれません。
同時にその答えが無意識的にしろ顕在意識化されたものであるにしろ、秋以降に変更しにくくなる状況でありそうだいうことです。
少し怖いような面倒なような感じもしますが、ある意味においてはチャンスととらえることもできるでしょう。

なぜなら自分が求める人生を明確にできたのであれば、そちらに近づいていく力が強くかかるということでもあるためです。
そのためには今まで感じていなかった感覚を解放し、自分自身の在り方を見つめていく必要があるかもしれません。
今までの囚われを一旦横に置いてフラットな状態で考える必要があるかもしれません。

どんなことが目の前で起きていても条件や状況に縛られることなく、ただ自分の内面的な理由を探っていく必要があるかもしれません。
そう考えていると、大きな流れとしては、自己責任という立ち位置に基づいて現実と向き合って痛みを感じながらも地を踏みしめる喜びの中に生きるのか、他責のマインドに翻弄されてどことなく満たされない感じがしつつもある種の幸福を得られる幻想の中に生きるのか、といった選択が多くの人に迫られているようにも思えます。

何となく二極化の現実的起点となる局面となっている気がしたのでした。

谷孝祐
2014.7.19 12:32