短く見えた動く歩道 | 3年前のしこうの楽しみ

3年前のしこうの楽しみ

ブログの説明を入力します。

羽田に戻る飛行機の中で感じたことがありました。
それは羽田空港が近づいてきた時のことです。
空港の到着機混雑のため上空待機となったようでした。

そのため伊豆大島上空でしばらく時間を取る必要が出たようでした。
そんなわけでしばらくの間、眼下に伊豆大島を望むこととなりました。
眺めていて少し不思議な感覚になりました。

伊豆半島と房総半島が伊豆大島から近くに見える気がしたのです。
どちらも目と鼻の先にあるように見えました。
それは大島であることを疑うほどでした。

しかし、三原山の存在や空港の位置など島にフォーカスしてみれば疑いの余地はないという思いでした。
そんなわけで、たまたま空気が澄んでいて伊豆や房総が近くに見えるのかと解釈することにしました。
そんなことを考えながら、飛行機は羽田空港に着陸しました。

そして、到着出口に向かう最中に一概に天候だけが原因ではないということに気づきました。
動く歩道の距離が今までと違って見えたのです。
自分の記憶に比べて明らかに短く見えたのでした。

室内であるそこには天候の影響はあまり考えられません。
せいぜい湿度の影響くらいで、目に見える極端な変化は感じにくいものでしょう。
そんなわけで、自分の見え方が変わったと考えた方が妥当であると解釈しました。

何の変化なのか、パーティーの食事の影響があったのかなかったのかは特定できませんが、とにかくそのような感覚的変化を起こす原因を受け取ったのでしょう。
実際に変化が起きる時というのはそんなものなのかもしれません。
つまり、偶発的に起きている何かを無意識に受け取った結果変化が起きるのであり、主観的・主体的関わりによって変化を起こしているのではないということです。

実は主観は変化における主導者ではなく、変化を外からとらえる観察者でしかないのかもしれないということです。
もしそうであるなら、変化を起こそうとするのはあまり得策ではなく、自分に起きている変化をただただ観察すればすればいいだけなのでしょう。

変わりたいという願望が変われない構造を作る一端を垣間見たのでした。

谷孝祐
2014.6.21 2:30