居心地の悪いフライト | 3年前のしこうの楽しみ

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飛行機に乗るのに読みかけの本を持っていくか迷いました。
主観的には読み進めたい気持ちもありつつ、感覚的には読めないような気がしていました。
明らかに読む時間はありそうなのに不思議なものだと思いつつ、結果的に読めなくてもいいという心持ちで持っていくことにしました。

感覚とは裏腹に、機内で読む時間があったので読みかけのページを開きました。
特に内容を意識していたわけではありませんでしたが、読み進めると飛行機の墜落事故の事例が載っている章になりました。
自分が機内にいるということを気にせずに、読み進めました。

その本自体は、特段ネガティブな事象を扱う内容のものではなく、あくまで文化的な背景がどのように現実に影響を与えるかということについて書かれているものでした。
その良い事例として航空事故の例が出ていたのです。
そこには、墜落事故の多くが些細な機械的トラブル、悪天候、機長と副機長が初めて一緒にコンビを組む、という状況で起きているということでした。

その中で不運やミスが7つ以上重ならなければ起きないとのことでした。
かなり昔のことですが、特に大韓航空機のグアムでの事故とアビアンカ航空機のニューヨークでの事故がリアルに描かれていました。
墜落までのコクピットでの会話が再現されているのです。

著者がそれを用いて伝えたかったことは、文化的背景によってコミュニケーションの取り方が異なり、その弊害がこのような形で表れることもあるということでした。
その時期、自分はまだ小学生くらいだったと思いますが、確かに大韓航空は危ないから乗ってはいけないというイメージがついていたことを思い出しました。
事故を起こしやすい文化的背景とは、上下関係がはっきりしていて下の者が上のものに指摘しにくいというもののようでした。

このような背景があると、緊急事態において副機長が重大な危険に気づいていても機長に的確に伝えられないということが起こるようです。
そこで、日本も同じような文化的背景を持っているように思いました。
もちろんこういう文化を否定しているわけではなく、緊急事態で機長が的確さを失った時に操縦席を奪うと副機長が習っていても、思った以上に生まれ育った文化の影響で実行できず、最悪の事態に至るということが描かれていました。

要するに、誰もが思った以上に文化的影響を受けていて、それが意識せずに弊害にもアドヴァンテージにもなっているということが伝えられていたわけです。
ただ、この描写を機内で読んだのは何とも生きた心地のしないものでした。
いつの間にか、どこか飛行機が完璧な乗り物のように感じてしまっていたのかもしれません。

機中でその幻想が解かれると、平気とわかっていても不安が出るものだと体感したのでした。
幻想は安心のために作ってしまうものなのかもしれません。

谷孝祐
2014.6.18 18:08