お金は交換の手段か | 3年前のしこうの楽しみ

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お金が交換の手段という考え方はもちろん正しいものでしょう。
今まではそれを疑うこともありませんでした。
お金の機能の主たる要素として習うし、そこに疑問を感じなかったためです。

そして、この概念はお金や価値というものを理解する上で、必要なものでもありました。
だからこそ、確固たる事実であるかのように感じていたのでしょう。
しかし、気づいてみれば、もしお金そのものに価値がないとするのであれば、価値が内在する商品やサービスとお金を交換したところで、価値交換は成立しえないわけです。

それは、本質的には価値のないお金と価値そのものを交換しているという状態です。
つまり、この一つの取引を見た限りでは正当な価値交換が成立してるとは言えないのです。
成立していないからこそ自分が見出したい価値を投影する心理が働くのでしょうか。

だからこそ、お金に価値をあえてつけてしまうという幻想に陥りやすいのかもしれません。
では、正当な交換はどのように成立するのでしょうか。
この基本は物々交換でしょう。

それを引き離してお金を介在させるのであれば、ある人に価値提供してお金を受け取り、そのお金を使って何らかの価値を得る、という2つの取引が必要になります。
これでやっと価値交換が成立します。
この2回の交換が物々交換での1回の交換に当たるわけです。

正当な価値交換では、相手が得たい価値を提供して、自分が提供する価値以上の価値を双方が受け取ります。
例えば、みかん2個を渡してりんご1個を受け取る交換なら、自分にとってはりんご1個の方が価値があり相手にとってはみかん2個の方が価値があるという状況です。
これにお金を介在させるのであれば、ある人にみかん2個を売ってお金を受け取り、別のある人からそのお金でりんご1個を買うということになります。

どうであれ2つ以上の取引がないと成立しないのです。
言葉の定義の問題になりますが、交換の手段では誤解が生まれやすいのかもしれません。
1取引で正当な交換がなされるかのようにとらえられるからです。

個人的には交換の媒介と理解しておこうと思います。

谷孝祐
2014.6.17 23:15