文化継承の本質 | 3年前のしこうの楽しみ

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二度目のルーブル美術館を振り返って、初回と何が違ったのか発見しました。
今回は団体の観光客がほとんどいなかったのです。
それと同時に、美術館としての印象が薄かった理由も分かりました。

多くの人にとって観光名所のような位置づけなのです。
一番の名物はもちろんモナリザです。
だからそこはいつでも人だかりがあります。
近くで見ようと思ったら一苦労です。

しかし鑑賞するというよりは記念撮影しているような人も多く見受けられました。
当然そうではない人もいますが、あまり芸術に興味があると思えないふしもそこかしこでありました。
一番の衝撃は、フェルメールに気づかずに素通りする人の多さでした。

個人的にはおかげで堪能できたわけですが、小品で立ち止まる人は多くないようでした。
ルノワールやモネも気づかれずにひっそり佇んでいるようでした。
そして、人が立ち止まっているのは大きな絵の前がほとんどでした。

そこでも記念撮影が行われていました。
そんなわけで美術鑑賞する空気感でもないわけです。
どこか公園でも歩いているような感じです。

違うのは、そこかしこで当たり前のように素晴らしい芸術に出会えことです。
気楽に楽しめるといえばそうかもしれませんし、静かにしている必要もありません。
そんなわけでどんな人でも受け入れる度量のある美術館と言えるでしょう。

その広さや群を抜く展示の数もありますが、敷居の低い感じが多くの人をひきつけるのかもしれません。
これは美術館にはなかなかない要素です。
しかし、逆にそのバランスが美術館としての本来の在り方のようにも思えます。

それはそこに来ている子どもを見ていて感じたことでした。
たとえその時に分からなくても、本物に触れることは心のどこかに影響を与えることでしょう。
それがあるからこそひらかれる感性もあると思います。

ヨーロッパで初めて行った美術館がルーブルだったことから、自分も気づかずに影響を受けた可能性はあります。
それに気づいて、ルーブル美術館の素晴らしさが納得でしたのでした。
超一流の本物はあえて門戸を開くのかもしれません。

それが時空を超えた文化継承になるのでしょう。

谷孝祐
2014.6.15 20:25