昨年から気にかけつつも進まないことがありました。
それはある場所に行くか行かないかという問題です。
いつかは必ず行くべきだと思っていたのですが、それを今年すべきかどうかということで定まらずにいました。
主観的には今年でなくても良いのではないかという気持ちが強かったのかもしれません。
しかし、先延ばしも適切とは思えませんでした。
ある時は今年行くべきだと思うのですが、少しするとぼんやりしてきてしまっていました。
行くべきかどうかしばらく決められずにいたのです。
1月の終わりに行くことを決めたのですが、それでも突然行くのをやめようという気分になることもあり、行動に移せずにいました。
つまり、行くためのプランニングなどが一切手をつけられない状態でした。
こんなに決断できないことも、決断したあとに素直に行動に移れないのも自分にとっては珍しいことなので、どうしたものかと思っていました。
感覚的に抵抗感があれば、抵抗だと認識して進むことができますが、それも全くありませんでした。
どちらに決めようとも実体感がなかったのです。
霧に包まれていて進むべきかどうか判断できない様子でした。
その霧が2月の終わりにやっと晴れてきたようでした。
その問題にずっと意識を向け続けたからか、行くことへの抵抗をとらえることができました。
それは、抵抗があるという仮定のもと、抵抗をくまなく探してみることでとらえられたものでした。
つっかかりとも言えないくらい微細な、抵抗と呼ぶにはあまりにもミクロなものでした。
それ自体が何かは特定できなかったのですが、少しの間ミクロな抵抗を感じていると、感覚的変化がもたらされました。
推測ですが、その地が危険であるという過去に作られた認識の欠片だったのかもしれません。
イメージでいうなら1ミクロン以下の、こんなに微細なものが抵抗になりうるのだということに驚きました。
自分の中にあるミクロなものともしっかり向き合っていこうと思ったのでした。
谷孝祐
2014.3.3 14:40