禊シャワーでの気づき | 3年前のしこうの楽しみ

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ある意味において開放的だった露天風呂のある客室に滞在したわけですが、シャワーも室内にはなくテラスの露天風呂の脇にありました。
当然、同じように中から外が見えました。
しかし、問題はそれ以上に寒さです。

露天風呂は浸かってしまえば良いものの、雨が雪に変わるかどうかという気候において、外でのシャワーは少し修行的のように思います。
もちろん大浴場もあるのでそちらを使えば良いのですが、部屋のテラスに比べると雰囲気が暗く乗り気がしませんでした。
そんなわけで、シャワーは見送っても良いかと考えていました。

しかし、朝起きてみるとテラスにぼんやりと朝日が差し込み、少し神秘的な雰囲気でした。
それに誘われ、露天風呂で温まってからシャワーを浴びることにしました。
それでも、髪を洗いながら飛んだ湯滴が背中につくと、すで温度が下がっていて冷たさを感じるほどでした。

あまりゆっくり浴びていられないと感じつつも、何となく禊をしているような気分になってきました。
意図していないにも関わらず、体を洗っているというよりも体を清めているような感覚になったのです。
朝日も手伝って、実際に浄化されていたのかもしれません。

それと共に、突然気づいたことがありました。
おそらく直感的に入ってきたことですが、自分の意識が物理的な方向である見える世界に向きすぎているということでした。
それは、見えない世界を否定しているのではないかと感覚的に勘違いしそうなくらいの比重のように感じ取れました。
少し探ると、否定はしていないもののそこまで肯定的でもないということがとらえられました。

そもそも、自分の中では区別されたものではなく、どちらかを肯定したり否定したりということを真剣に考えたことがなかったのです。
集合無意識の影響もあってなのか、見えない側に寄りすぎるリスクからバランスをとろうとして、結果的に見える側に寄っていたのかもしれません。
当然それは必要なことでもありますが、今までのバランスが自分を生かす上で少々不適切であることが分かりました。

そもそも、潜在意識と顕在意識の関係のように、見えない世界の顕在化した部分が見える世界なのであれば、顕在化した部分に意識が偏りすぎては物事を確実に理解することができません。
バランスを調整して、どちらの世界もより正確に認識していこうと思ったのでした。

谷 孝祐
2014.1.17 13:22