主観は自分を最後に知る | 3年前のしこうの楽しみ

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仕事に対する主観的認識を明確にして、再確認できたことがありました。
それは、正確に自分自身を理解しようとするなら、 自分はこうであるという情報を顕在意識的にとらえるのは順番が最後になるということです。

例えば、自分の好きなことを正確に認識しようとするなら、客観的なところから初めて見つけ出し、 最後にそれが好きであるということに対して主観的に気づくというプロセスになるということです。

つまり、厄介なことに、このプロセスを踏んでいない好きという主観はあやふやな情報であり、 もしかしたら好きではない可能性すらあるということです。
もちろん、これはあくまで可能性であり、主観的に好きと思っていることを本当に好きということもあるでしょう。

ただ、このプロセスを経ていない場合の認識の正確性は本人の気質や生育環境によって結果的に決まってきてしまいます。
なので、自分の自己認識がどの程度正確か、本人には分かりにくいという性質があります。
自分に起きる現実と自己認識を照らし合わせることで推し量ることは可能ですが、これも容易ではありません。
それを行うには、ある程度、客観的に自分を見つめる能力が必要になります。

また、本当に好きなことは、放っておいても自然とやってしまうという性質上、こちらも本人には分かりにくいという性質もあります。
本当に好きなことは、主観的には好きと認識しないまま行ってしまっていることが多いということです。
わざわざ主観的に認識しなくてもそうなってしまうのだから良いという考え方をとることもできるでしょう。

しかし、その状態は不安定であり、時に本当に好きなことを主観的には嫌いと認識してしまうこともあるので、得策ではないでしょう。
きっと自分の中に未だ不安定な領域もあるので、このプロセスを使って正確な自己認識を高めていきたいと思います。

もしかしたらこれも自己肯定の一貫になるのだと思います。

2014.1.7 19:06 谷孝祐