新年の生まれ | 3年前のしこうの楽しみ

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世間がお正月休みとはいえ、三が日が終わるとどことなくお正月という空気感ではなくなってくる感じがして面白く思います。
今年は4日5日が土日ということでそこまでお正月気分でいられるようにも考えられますが、 多くの人が仕事のことを意識し始めるからでしょうか、街の様子もどことなく通常の土日に近いような印象を受けました。

その中に少し残る新年のムードは、時の経過というものを分かりやすく感じさせてくれているかのようです。
この雰囲気の移り変わりは、そこに存在している人が作り出していると考えるのが通常でしょう。
人の意識に変化が生まれ、それが行動に影響し、全体としての空気感を変えていくのだと思います。

その変化は年末年始という意味付けがあるからこそ起こるようにも考えられますし、それも人が決めた概念であるととらえられるでしょう。
そして、その概念に従って動く人が大多数であるために、あたかもそれが存在するかのように見せてくれるのかもしれません。
このように人が全てを主導していると考えられます。

しかし、新年というものは単なる幻想なのでしょうか。
誰かが作り出した概念を人間社会が踏襲しただけなのでしょうか。
これは、そうかもしれないしそうでないかもしれません。
確かにこの価値観に基づけば幻のようでもあります。

しかし、なぜその概念が生まれたのかというところに意識を向けると、自然に根ざした何らかの理由があったようにも感じます。
潜在的に存在していた新年と呼ぶに適した状況が、人間が新年と決めることで顕在化され、 概念付けられることによってその状況の性質が助長されたのかもしれません。

そうでなければ、多くの人に浸透しないのではないかとも思います。
関東に暮らしていると、気候のパターンが安定している時期のように感じます。
年末年始に晴れの日が続かないことの方が珍しいかと思います。

もちろん傾向は地域ごとに異なりますが、もしかしたら別々の新年が存在していたのを標準時を定めたのと同じように統一したのかもしれません。
そうやっていくつかの暦が成立し、今の暦がパワーバランスや汎用性の高さから世界の基準とされたのではないでしょうか。

2014.1.5 12:00 谷孝祐