バランスが消える時 | 3年前のしこうの楽しみ

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色々な面においてバランスを取ることは必要なことが多いでしょう。
例えば、身近なところで仕事と休暇のバランスだったり、思考と感性のバランスだったり、体の左右のバランスだったり、 対として考えられるあらゆるものにバランスというものは出現するでしょう。

また、適切なバランスに答えはなく、状況や個々によって変わってくるものです。
だからバランスを取るのは難しく、意識しておく必要があるのかもしれません。
これは、一般的には事実であるように思います。

しかし、本質的にそうなのかというと少し疑問もあります。
ここでいうバランスは二元論もしくは多元論に立脚しています。

もし、全てが一つなのであればバランスというものは今とは異なった概念になるかもしれません。
バランスを崩すという言葉は適切でも、バランスを取るという言葉は不適切になるかもしれません。
全てが一つならバランスを戻すとか変化させるという表現の方が適切でしょう。

例えば、もし仕事と休暇が自分の中で感覚的に同一になったとしたら、ここでの二元論は消えて合一されるでしょう。
つまり、仕事と休暇というものが同一のものであり、仕事をしながら休暇を過ごしたり、 休暇を過ごしながら仕事をしたりという感覚になります。

もし本当に同一であれば、それすら感じずに仕事と休暇という概念が消えてなくなるでしょう。
あくまで、これは本人の主観におけることであり、客観的にはどちらかに見えるので注意は必要です。

もしそれが実現するのであれば、仕事で休暇のようにリラックスできるか、休暇で仕事のようにあくせくするか、 というイメージかもしれませんが、後者では肉体が持たないので不可能でしょう。

なので、実現可能であるどちらかの感覚に、もう片方を近づけていく必要があります。
この場合は、休暇と同じようにリラックスしてできる仕事のスタイルを確立していくことで、 仕事と休暇が感覚的に同一のものとなり本質的にバランスの良い状態が出現します。

こういった取り組みも自己同一感を高めるのに有効なのが面白いところです。

2013.12.6 00:44 谷孝祐