ウィルスの存在意義 | 3年前のしこうの楽しみ

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一時はあっという間に回復したと思われた体調不良でしたが、ちょっとしたオチがありました。

この一時的な回復は、あくまで予定をこなせるように意識がコントロールしていたようです。
そういうことで、予定が済んだら次第に体調が悪化してきました。

口の中の乾燥の度合いや咳の具合から、やはりウィルス性である実感がありました。
予定の済んだ翌日、体調は下り坂で夕方には悪寒がしてきました。

起きていられないくらい意識が朦朧としてきて、倒れるように横になり眠ってしまいました。
その間、翌日の予定を懸念して薬を飲んだ方が良いかと考えるほどでした。

こんな発想が出てきたのは8年ぶりくらいのものです。
昔は、仕事を難なくこなすために薬で症状を抑えることもあったので、 今回の症状を薬によって抑えられのは体験的に知っていることでもありました。

つまり、それくらい肉体的にしんどい感じがしたというわけでもあります。
そして、3時間ほど眠ったのち目が覚めて、今度は眠れないけど起き上がる元気もないという状況になりました。

そこで、もしかしたら風邪というものも、 感情と同じように感じきったら回復しやすいのではないだろうかという発想が出てきました。
そこで感じようとすると、感じることから逃げたくなるくらい全身がゾワゾワする感覚が続きました。

それは、まるで幽霊が背後を通過している時のようなイメージのゾワゾワ感に似ていました。
自分が蝕まれるという意味では、ウィルスにでも幽霊にでも似たような反応が出るのでしょう。

そして、その感覚を感じきって落ち着くと、何とも言えない死んだら楽になるだろうという想いが出てきました。
最初は何らかの影響かと思いましたが、影響を受ける原因があるはずだと探ることにしました。

そこで、自分の本質の中に生きることを否定している要素があることを発見しました。
それは、生きるよりは死んだ方が楽というような単純な想いです。

確かに肉体が消失しても続く自分の本質があるのであれば、 今の肉体に縛られることよりも死は楽であろうとも思います。
そして、もしかしたら生きたいという想いは死にたいという想いの裏返しで、 そのバランスが取れたところで多くの人は生きているのではないかという結論に至りました。

すると、死んだら楽になるだろうという想いは解消し、2時間後に起き上がって食事ができるくらいになりました。
それからもう一度眠り、一時的に熱が今回最高まで上がった感覚があったのち、完全復調へ向かったようで、 朝起きると残り香のようなダルさが残るのみという状態でした。

これで、生きるとか死ぬとかということも自分の中では統合されたのでしょうか。
風邪もギフトなのかもしれないと感じるなかなか面白い体験でした。

2013.10.14 00:33 谷孝祐