おそらく多くの人は、学校教育の過程において、予習・復習の必要性を教わっているのではないでしょうか。
しかし、それが身につく人は多くないのかもしれません。
実際に、自分自身も完全に身についたとは思えません。
では、何のために予習・復習は必要なのでしょうか。
そこに求められる本質は何なのでしょうか。
端的に考えるのであれば、ありきたりの理屈として、一度教わるだけでは覚えられないから、忘れてしまうから、ということでしょう。
確かに、教わったあと24時間以内に復習をすると、格段に記憶に残りやすいという性質はあるようです。
基本的に、習ったことを思い出す回数が多ければ、それだけ記憶されやすいことでしょう。
また、当然、習うより前に習うことが予期できていれば、教わる時点で記憶に残る量も多くなるでしょう。
つまり、教わること自体が、事前学習したことの確認であり、答え合わせであり、復習の要素を持っているということです。
結果的に、予習してから教わって、復習まで行うと、予習・復習がない場合に比べたら格段に記憶される量が多いのではないでしょうか。
しかし、重要な意味はここには存在しません。
確かに、テストで点数を取りやすくなりでしょうが、そのために記憶するのでしょうか。
そのように捉えがちになってしまいやすいですが、では、テストがなければ予習・復習は必要なくなるのでしょうか。
ここに落とし穴があるのかもしれません。
何かを学ぶ上で、記憶は一つの基礎であることは確かでしょう。
覚えていないから理解が進まないということはよくあることです。
知覚しにくいものや目に見えないものなどの、高度な概念や事象を学ぶ時に、知らなかったことを記憶して、そこから理解につなげていく必要があるものです。
それは、本から学ぶにしても、人から学ぶにしても同じことのように思います。
そして、学びの本質は、この予習・復習にあるのかもしれません。
これらを自主的に行うことは、学びに対する主体的関わりに他ならず、学ぶ対象に対して自分自身で考えなければならない要素を含んでいます。
そのため、これらなくしては、ただ教わるだけでは、理解できないことがほとんどなのかもしれません。
自分の学びに対する姿勢を反芻し、効果的に学びたいものです。
2013.8.20 10:40 谷孝祐