自由へのジレンマ | 3年前のしこうの楽しみ

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高速道路を走っていて感じるところがありました。
時期も時期なので交通量も多く、普段とは違う様子だったためかもしれません。

いろんな地域のナンバーの車や、いろんな車種の車が走っていました。
そして普段だったら意識の向かない、どんな人たちが車を動かしているのかということに意識が向きました。

そして、本当にいろんなカテゴリーに属する人が同じ道路上にいることが実感できました。
おそらく、もう二度と居合わせない人たちがほとんどでしょう。

状況としては当たり前のことですが、高速道路上を一つの空間と見なすなら、ある場所にここまで様々な人が集まることも珍しいように思いました。
そして、一様に同じ方向に向いて走っていることの不思議さを感じました。

当然のことながら、それぞれの最終目的地はバラバラでしょう。
そういった無関係といえばそれまでの、偶然そこに居合わせただけの人々が、その時点では同じ方向に、多少スピードの違いはあれ同じように向かっていっているのです。
交通量のせいもあり、その姿がなんとなく協調しているようにも見えるのです。

駅などの公共性の高い場所でも様々な人は集まりますが、このように完全に同じ方向を向くわけではないので、高速道路上という環境の特殊性を感じました。
そして、そこに人間社会が投影されているようにも思いました。
そこが興味深かったのかもしれません。

違う目的を持った様々な人間が、ひとまず自分の目的のために同じ方向を向いて走っている場所が、ある一つの社会なのかもしれないということです。

その中で、様々なことを感じたり、時に休憩したりして、基本的にはルールに従って走っていることでしょう。
それは、場合によっては同じ目的に向かっているように見えることも多いかもしれません。

しかし、究極的には目的そのものは個人的なものであり、完全に一致するということはないでしょう。
その中で、あまりに自分勝手に振る舞うことは、自分にとっても得策でないことは明らかでしょう。

高速道路で逆走したり突然止まったり蛇行してみたりしたら危険なのと同じように、本人にとって危険が増すのです。
そのように考えると、周りの状況をよく見ることは、縛られることではなく、可能性のある範囲で最大限の自由を得る方法なのかもしれません。

2013.8.18 10:30 谷孝祐