さて、今日は、なぜ、インストラクターになったかの経緯を。
私は、学生の頃から運動が大好きで、部活が大好きな子でした、そしてモダンバレエ、新体操を習っていたりと、踊りが好きな子でした。
それに加え、部活中、後輩や、同級生に、どうやれば上手くできるのか質問されて、それに答えたり、教えたりするのが、好きでした、習いごとのモダンバレエでも、先生の助手を高校の時にさせてもらっていたんです。
とにかく体を動かすのが、好きで、教えるのも好き、将来は、運動に携わる仕事、インストラクターか、体育の先生になりたいな、と思っていました。
二十歳の時、ジムでアルバイトをしながら、エアロビクスの養成に行き、22歳の頃には、フリーインストラクターとして、レッスンをさせてもらっていました。
新人のころは、緊張していても、してないフリをするような子で、はじめてレッスンを持った時は、きつくてきつくて、毎回レッスン終わったあと、喉から血の味がしました(´ω`)
走りながら、しゃべり続け、尚且つ、自分が必死に頑張っている場合じゃなく、お客さんをひっぱるなんて、、(@_@;)40分のクラス一本するのに、レッスン前は、緊張でお腹をくだし、終わったあとは、シャワーあびながら嗚咽するぐらい、それぐらい必死でした。(笑)
ティップネスでレッスンを、持つのが、最初の目標で、受かった時は、本当に嬉しかったo(^-^)o
ティップネス町田で、レッスン初めて担当した時、スケジュールに、田中って入っているのが嬉しくて、町田のスケジュール、五枚くらい持って帰り、ニヤニヤしてました(笑)
だんだん慣れてきた頃、レベルの高いクラスを持つようになり、はじめて上級クラスもって、面変え入れたとき、なんかはもう大変、
みんなを後ろむかせたはいいが、( ̄ロ ̄;)、、あ、誰が教えるんだ?
て、、後ろ向きになったみんなの背中を見て、(◎-◎;)おたおたしていた事を思い出します。
人が沢山来てくれればくれるほど、みんなの大切な休み(´―`)
仕事終わって、エアロビクスを楽しみにして来てくれる皆さんの期待(´~`)
だんだん人が増えて、常連さんが友人を連れてきてくれたり、して。
その、期待に見合うレッスンが出来るか、毎回必死で、新宿ティップネスで、毎回、レッスンが満員になりはじめたころ、インストラクターとしては、嬉しいんでしょうが、あまりのプレッシャーで、行きたくない(T―T)て、号泣したこともありました(笑)
自分がその状況に追い付けなくて、スタジオでは、私が止まったら、100人全員が止まってしまう、という恐怖が(>_<)、
はじめる前にスタジオのドアを閉めた瞬間に、立ち上がる人数が多すぎて、24歳の、若い私には、こわかった、そんな時代もありました(-ω-)
そうこうしながら、この仕事をつづけていくうちに、インストラクターという、お仕事の楽しさ、やりがいを感じるようになりました、最初は、まず自分が必死だったので、この仕事の意義や、楽しさは、漠然としてしか、考えられなかったのですが、やっと周りを見れるようになった時に、自分のレッスンスタイル、どこを大切にして、何を軸として、レッスンをしていきたいかが明確になってきました。
最初は、怒ることなんて、出来なくて、後輩に注意すらできない人でした。
なぜ、そこが変わったか、はまた明日に(・ω・)
ではまた明日☆おやすみなさい
インストラクター同期の写真