音楽がエンターテイメント産業として運営してゆくことが非常に困難となってきた現在において、音楽の再定義が必要になってきているように思われます。音楽がエンターテイメント産業として運営してゆくことが困難となってきたからといって、では、音楽など見捨てればいいのでは?というわけにもいかず、しかしながら、現在の音楽は小学校や中学校で習う音楽を含め、このままでは音楽は生き残ってゆくことができない現実的な問題に直面しております。

 

まず、商業音楽つまり、エンターテイメント産業の一部としての音楽から見てゆきますと、これは言葉で表現することがあまりにも困難なことでありますが、終戦直後から急激に発展を遂げたのが商業音楽といってよいでしょう。これは欧米諸国の影響を受けたのかどうかは私にはまったくわからないことですが、しかしながら、娯楽として音楽が認められた非常に大きな出来事であったと思われます。それまでも日本にはたくさんの娯楽があり、江戸時代には役者論語なる、芸能人に対しての心構えを示した指導書もあったくらいであり、その意味でその時代の方が芸能界も発達していたとも思われる事実もあります。

 

確かに、レコードの普及により娯楽としての音楽が広がり、そこにラジオが普及し、戦後にはテレビが登場することにより音楽がエンターテイメント産業の一部として急激なる成長を遂げ、独自のマーケットを形成したことは事実であります。私のような公務員がこのような発言をすることに問題があることは承知の上、あえて書くのですが、そのころの日本は確かに、モノがない時代であり、出せば売れる時代であったといえばそれまでですが、それにしても、テレビを売るとき、官民が一緒になってあれほどのセールスを行い、そしてそれがとんでもなく大きなマーケットとなったことを事実として認識するとき、ハードだけではなく、ソフト面でもかなりの工夫を凝らして日本国民に提供した役人たちも非常に想像力が豊富であり、さらには怖いもの知らずのチャレンジャーであったと思われます。

 

その精神があったからこそ、音楽は巨大なマーケットに成長することになったと思われます。なぜこのように強調して書くかというと、戦中の音楽を見てみるとお分かりだと思いますが、音楽に対しては悪い印象しかないのであります。それが終戦直後に、突然としてエンターテイメントへと変化したのですから、当時の役人、そして政治家の人々の国の動かし方は相当なものがあると感じており、これぞイノベーションの典型であると私は考えており、できるものなら当時の政治家やそれを支えた役人の方々に直接お会いし、話を聞いてみたいものであります。現実的には不可能でありますが・・・

 

現代の状況に合わせて終戦直後の日本の音楽の在り方を比較すると、インターネットの出現と発達により、音楽の流通に劇的な変化がありました。それはグーテンベルクの活版印刷機が発明され、音楽が急激に普及したこと、テレビが普及し音楽がエンターテイメントとして大きく成長したことと同じ効果があったのではなかろうかと思います。しかしながら、インターネットが普及するにつれ、ミュージシャン達は非常に苦しめられるようになってきます。つまり、インターネットの普及により逆に生活が苦しくなってきたのであります。理由は簡単なことで、インターネットでのプロモーションはテレビでのプロモーションとは全く異なり、インターネット用のプロモーションが必要であるからです。一般的な言葉で表現すると、ビジネスモデルの不一致でが原因であります。

 

これは随分前から原因と理由はわかっていたのですが、どこかを立てるとどこかが立たず、いわんや、これほどまで大きく成長と発展を遂げたマーケットを一気に変更すると我が国の経済が成り立たなくなる可能性もあり、それゆえに迷走が続くのでありました。

 

迷走していられる期間はまだいいのですが、ある時、ただでさえも右肩下がりのエンターテイメントとしての音楽業界は、ある出来事により大変な状況に追い込まれることになります。これの出来事がきっかけとなり音楽の新たなる可能性を早期に見つけ出さなくてはならなくなったのでありますが、見つけるといっても既存の出来上がっているエンターテイメント性を崩さず、しかし、第三の道を進まなければならないという、非常に困難な条件となり、これに立ち向かってゆくことに苦労しているところが現在であります。

 

日本政府としては各方面の専門家に様々な意見を聞いて回っているところであり、多くの意見があるうちの一つに私の意見がありまして、それが音楽を教育へと再定義するというものであります。音楽を教育へと再定義するとどのような効果が出るのかについての想定の一部について、序論で述べておりますのでそれを参照していただきたいのでありますが、教育へと再定義することにより、エンターテイメント性を損なうことなく、新しい音楽の道を進んでゆけるのではなかろうかと考えております。

 

私の意見が唯一ではなく、あくまでもたくさんの提案があるうちの一つにすぎません。何が我が国にとって有効な政策であるかを決めてゆくのは国民の皆様であります。よって私の思いが実現するかしないかは神のみぞ知るところでありますが、私の意見がどうなろうと一応、論文としてこの場でまとめ、一つの意見としてご覧いただけるようにしておきます。

 

今回はここで筆をおきます。ご高覧、ありがとうございました。