内閣官房、教授 田中誠一です!

内閣官房、教授 田中誠一です!

内閣官房から情報をお届けします。


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この度、大阪を音楽の拠点とすべく新しい企画が始まりました。

音楽の拠点と申しますと、日本には札幌、東京、福岡、コザという素晴らしい地域がすでに存在するのですが、この4地域に負けない地域特性を持たせる企画を始めることになりました。

最初は大阪府と大阪市の要請により内閣官房から研究調査官とアーティストの派遣を行おうとしたのですが、想定していてた以上に状況が悪かったことから、内閣官房の直轄事業とすることに決定いたしました。

なぜ大阪の音楽改革か?ですが、音楽人口が多い割に環境が整っていないのが最大の理由です。大阪の優れたアーティストの他地域への流出を少しでもくい止め、さらに、新しい音楽の創造の機会を増やすためにも大阪地域の改革が必要だと判断し、行うものであります。

内閣官房直轄の事業ということで、私はNew Issueとして参加することになります。つまり、オリジナル曲しか演奏しません。

今後の展開にご期待ください。

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最近の経営学の流れはともかく、私の理論がじわじわと企業の実践の場において浸透してきたことがうれしく思います。教育者としての立場としては学会で認められることが優先されるのですが、私としては経営学はやはり現場のためにあるべきだと思っておりますので、学会で認められなくとも、経営の現場で認められることで十分に私の使命は果たしていると思うのであります。

 

私が経営学理論として理論化していることは「企業の個性化」であります。今回は理論を語る場ではありませんから、詳しくは私が開設している別のブログにて参照していただきたいのですが、主に競合他社と差別化するときにどのようにすればうまくいくのかを追求した理論であります。ポーターなどは競争戦略論においてこの他に価格戦略や集中化なども戦略に含めておりますが、私としてはそれら三つは全て私の理論の中、企業の個性化に含まれておりまして、その意味で、差別化戦略の中に既に含まれていなければならないと考える立場であります。

 

例えば、地域限定商品を開発したとしても、現在の経営環境ではSNSで世界中に、それも一瞬にして情報を共有することができます。そうなると、ネットに掲載した商品は全世界の人々に共有されるものとするとき、例えば、コストリーダーシップのみで戦うことは非常に厳しいかと思います。コストでリーダーシップをとり、他社製品とは異なる部分をしっかりと表現し、そして経営資源をどこかに集中しない限り戦うのは難しいのでないでしょうか?というのが私の考え方です。経営学の領域ではミンツバーグという経営学者が私と同じようなことを私が大学に入学する以前から主張していたのですが、彼の理論は企業を観察することから得られた結果のみを利用したこともあり、彼の主張する「コンフィギュレーション」なるものが非常に難解なものとなったため、日本ではほとんど受け入れられなかったのであります。そこで私は深層心理学を援用し、学際的に実証研究を行った結果が現在に至っております。ですから、私の理論は新しいようですが、実のところそうでもなく、先学あってのことであることをご理解いただきたいのであります。

 

経営学とは何かという問いに対してはそれぞれの立場がありますから統一的な見解を示すことは不可能ですが、私が個人的に思うことは、やはり経営の現場のためのものであるべきだと思っております。世の中には様々な学者がいますし、その様々な学者がそれこそ個性化するわけですから学問に特化した経営学者がいてもそれは間違いではありません。学問で業績をあげ、その結果として立派な経営学者として個性化したのであればそれが正解であります。そのタイプの学者とは真逆のタイプの学者、つまり私のような現場のための経営理論を考える学者もいれば、この中間をいく学者も存在するでしょう。それぞれが個性化していればそれで正解だと考えております。そしてこの対立の中で新し経営理論が生れてくるのではないでしょうか。

 

企業の個性化理論が今後どのように発展するかはわかりませんが、この理論が常に企業の現場で役に立ってほしいと願っております。


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少し話が難しくなってきましたので、ここで軌道修正します。本シリーズはユングが何を伝えたかったのかについて論じていく場としてシリーズ化しておりますので、この線に沿って話を進めていこうかと思います。前回は私の新たなる仮説に言及することになり、誠に申し訳ございませんでした。コンプレックスについては前稿においても河合隼雄博士が既に詳しく論じられていることを言及したのですが、先んずその著書をお読みになるのが早いかと思います。また、ユングが自分の声で論じたコンプレックス論を知りたいのであれば全集にあたるか、翻訳書も出ておりますのでそちらをご覧ください。

 

コンプレックスとはもともと統合失調症の研究をしていく途中段階で発見された症状であります。つまり、ユングが若かったころは統合失調症の治療の途中で発生する心の現象を観察していくうちに発見された現象であります。これは公開されているものでありますが、ユングの博士論文にはある女性のオカルト的な現象についての観察結果が記されております。ユングとしてはこれがなぜか?というのが問題の出発点となっているのですが、医師になって独立して研究できるようになった時、これもある女性の患者と散歩しているとき、その女性がスカーフを落としたので拾おうとしたユングに対し激怒した現象をみて「コンプレックス」を悟ったと、これは別の論文でありますが記述されております。なんといいますか、親切心で拾おうとしたことに対しまさに「逆ギレ」されたわけですから、相当にショックも大きかったとの記述もありますが、しかし天才ユングは驚いただけにとどまらず、その現象を「コンプレックス」と概念化したわけですから、ここに大きな評価があってしかるべきだと思っております。

 

私が主張したいことは、皆様方にも一緒になって考えていただきたいのですが、逆ギレされたときにどのように感じるかであります。嫌な感じですよね。そしてあくまでも相手が悪いように考えますよね。もう少し深く考えてみますと、コンプレックスという言葉がこれほどまでに広まっているにも関わらず、逆ギレをコンプレックスと思えない現代人にいささかながら危機感を覚えるのであります。河合隼雄博士による『コンプレックス』の初版が1971年ですから、日本に大々的にコンプレックスが伝えられてから約50年近く経過しておりますが、それでもうまく伝わっていないのが残念だと思う反面、これが現実であります。ここからしますと、ユングはコンプレックスを発見することに大変な苦労をしたのですが、既にコンプレックスの定義は確立されており、その現象をいとも簡単に目の当たりにすることができる現実もあるわけで、ユングは実際に口にしなかったけれども感じてもらいたかったこととして、「コンプレックスは身近なこと」であることをいいたかったのではないでしょうか。

 

コンプレックスは無意識ゆえにその存在を科学的に立証することは不可能であります。しかしながら、逆ギレという現象を目の当たりにしてその存在を認めないわけにはいきません。ここに大きな対立がうまれ、結果として「コンプレックスは身近なこと」などはあくまでも「空想」でしかないと評価されてしまい、ユングとしても相当な圧力を感じていたものと想像するには簡単であります。

 

コンプレックスとは元型を発見するまでに至る大切な概念でありますので、深層心理学を志す学生諸君は是非とも自分なりのコンプレックス論を発見していただきたいものです。私はコンプレックスを笑いの観点から研究している学者でありますから、ユングとは立場が逆であります。しかしながら、目指すところは同じ「コンプレックス」であり、人間は結局のところ違っていても共通する部分があるという結論に至ります。

 

ご高覧、ありがとうございました。


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これまで元型について論じてきましたが、今回はコンプレックスについて論じていこうかと思います。コンプレックスについては既に河合隼雄博士による、岩波新書版の『コンプレックス』や培風館より出版されている『ユング心理学入門』の中にあるコンプレックスの章を参照されたほうが早いのですが、一応、私からも述べておきます。また、私は既に何度かコンプレックスついて論じておりますので、過去の記事を探し出してご一読いただきたいです。

 

コンプレックスとは主体の過去の経験からくるものでありまして、これも無意識でありますからそれがコンプレックスであるかどうかについて気づくことは困難であります。また、気づいたとしても不快に思うものです。よって、私がここでコンプレックスを論じたところで読者の皆様方は不快に思うだけなのであまり意味はないのですが、タイトルにもありますように「基礎」でありますから軽く触れる程度に進めるようにします。

 

コンプレックスとは何かとは、これは世間一般で思われてるコンプレックスとユング心理学におけるコンプレックスとでは大きな差があるように思います。例えば、関西人による東京コンプレックスとは何を意味するのかを考えてみますと、これは一般的には関西人の東京嫌いと翻訳されているようですが、ユング心理学的に評価するとまた違ったものとなります。コンプレックスとは心のどの層に該当するかですが、これは「個人的無意識」の部分に相当します。ユング自身は心全体や複雑な状況や環境を指してコンプレックスという場合もありますが、基本的には個人的無意識のことを意味します。ではこの個人的無意識とは何かというと、主体が過去に経験したことを蓄積していく部分であります。楽しいこともあれば辛いことも含まれます。基本的に人間は楽しいことも辛いことも全て実体験として生きたままの記憶として蓄積することがないようにできております。この現象を一言で表現すると「忘れる」となります。つまり、人間は忘れることにより生きていくことができるとなります。しかし、全てを忘れるわけではありません。ノートに下敷き無しでメモをとり、消しゴムで消しても跡形が残るように、記憶が刷り込まれております。その跡形を鉛筆で黒く塗ると文字が浮かび上がってきます。そうすると過去の記録をはっきりとさせることができますが、これが人の心で発生すると心の病を発症することになります。その代表的なのがヒステリーです。

 

ともすれば心が正常な人でもコンプレックスがあるのか?との疑問があるかとおもいますが、ユング心理学においてはコンプレックスを持っていない人間はないとするのが標準となっております。言語連想をすればすぐに判明することですが、心が正常な人でもテストをすれば必ずコンプレックスが現れます。しかし、それが病的でない限り、コンプレックスが心に影響していない限りは正常と判断します。つまり、コンプレックスとは良くも悪くも「自我が忘れた過去」のことであります。

 

ユングは統合失調症の治療のために心理学を発展させたのですが、私は芸能人でもありますから「笑い」や「人気」なるものを得るためにはどのようにすればよいのかという、ユングとは180度逆の視座で心理学を見つめております。よって、ユングはコンプレックスを過去の経験や体験の蓄積と定義しておりますが、その使用方法において私とはかなり違っており、ましてや、「楽しいこと」の蓄積について述べることはありませんでした。これはユングの立場からすれば当然のことであります。ところが私からすればこの「楽しい思い出」についての方が重要でありまして、このコンプレックスを見つけ出し会場の雰囲気をつかみ、その後に元型の力を借り、聴衆者をロックオンするというやり方をしております。

 

では、関西人の東京コンプレックスとは何かですが、ユング心理学的に評価するとそもそも言葉の使い方に誤りがあるといえるのではないでしょうか?東京のことが嫌いな関西人を表現したいのであれば「東京嫌いの関西人」が正解でありましょう。コンプレックスとはそもそも意識できないことでありますから、何らかの過去の体験がなければコンプレックスは形成されません。もし関西人の全てが東京コンプレックスを持っているとするならば、関西人の全てが東京に何らかの関係をもっていることになります。そんなことが現実的にあるでしょうか?という仮説の展開が可能となる限り、東京コンプレックスについての言葉の使い方に誤りがあると言わざるをえないでしょう。

 

難しいですね、コンプレックス。しかし、コンプレックスの簡単な見立ての方法があります。とにかく「イラッ!」とくるものはコンプレックスの可能性が非常に高いです。そしてこの「イラッ!」はAさんとBさんとでは共通することもあるでしょうけど、基本的には異なるかと思います。ゆえに個人的無意識となります。これはマイナスのコンプレックスですが、では、私が追及しているプラスのコンプレックスは何かですが、これはつまり「笑い」が起きる状況です。なぜ人間が笑うのかについて答えが出ないのは、無意識であるからだと私は考えております。つまりコンプレックスであると考えております。知っていなければ笑えないという現象に目を向ければお分かりいただけるかと思います。また、十分に自我が受け入れていることについて、笑いになるでしょうか?過去の楽しい記憶がよみがえった時の感情を思い出してみてください。

 

今回はここまでとします。次回はこの続きを論じていきます。ご高覧、ありがとうございました。

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