私はこのところ経営学を学生(年齢層はバラバラ)を前にして教えることが増えてきております。教授ですから当たり前といえばそうなのですが、私の場合、学位授与機関に属しているわけではありませんので、普段は学者のための学者としての立場となっておりまして、学者ではない人たちのために教授することはこれまでにほとんどなかったがゆえに、どのようにすればいよいのか苦心するところであります。ではその苦労の正体ですが、実に経営学という学問が皆様方に「知」を提供する態度のあり様に問題があるように思うからです。
例えば、「経営学とは経営学の父であるバーナードが・・・」とか、「ホーソン実験では壁の色が・・・」とか、「サイモンとう人が人間について・・・」などと言い出しますと、ほとんど外国からの経営理論となりまして、日本製の理論があまりないことに気づきまして、ここに心理学との大きな差を感じ、また、何とかしなければ学問として生き残っていけないのではないかと、ヨーロッパとアメリに留学していたころからずっと思っておりました。というのも、私は日本ではヨーロッパやアメリカの経営理論を、そして、具体的にはオックスフォード大学とハーバード大学では日本の経営理論を研究するという、いわゆる「ねじれ」た環境の中で学生生活を送っておりまして、しかしながら、これがマーケットだから仕方ないと思いつつも、やはりこれではいけないという葛藤が現在まで続いているのですが、これが現在の経営学の姿であります。
そもそも経営学とは、企業において発生した現象を問題点としてとらえ、それを解決策を理論化していく学問でありますから、この筋からしますと、当然のごとく、日本には日本の経営学、アメリカにはアメリカの経営学があってしかるべきでありますが、とりわけ日本の状況において、そのような状況ではないのが残念なことであります。かといって、人間は細かいところでは様々な違いはあるものの、基本的には「人間」というカテゴリーにて同じわけですから、アメリカにはアメリカの経営学、日本には日本の経営学が「個別」に存在するのもまた疑問となります。アメリカの経営理論が全世界で通用するならば、アメリカの大統領は全世界を支配する、地球全体の君主であるのか?では、日本が世界で通用する理論を作れば、世界の君主的存在になれるのか?などと、頭の中ではいろいろと考えることは可能なのですが、実際はそうなっているわけではなく、また、どこかの一国が地球上のすべての国を支配した歴史がないのはなぜか?と考えてみたときに、土地が違えば人の考えも変わってくると考えざるをえず、こうなると、その違いの中での現象をとらえていく必要があり、日本には日本用の経営学が必要であると感じるのはこの点にあります。
ここでさらに大きな問題が現れます。では、なぜ地域が違えば人種も違い、言葉も違い、考え方も異なるのかです。これはものすごく難問です。日本国内で考えてみても、やはり、東京と大阪ではあまりにも違うことが多いです。直線距離にして500キロしか離れていないにも関わらず、この違いは何か?と不思議でなりません。この違いは心の基本的態度、要するに外向型と内向型にまず分けるとすると、東京は外向型、関西が内向型と分類すると、東西が融合されることは難しくなるのは当然のことだと思われます。勿論、東京にも内向型の人はたくさんいますし、大阪に外向型の人はたくさんいます。「人」を対象とするとこのような意見となります。その意味では地域全体を内向型とか外向型に二分するのは間違っているのは承知しておりますが、「地域」という考えを導入すると、このような二分は可能ではないかと思うのです。
しかし、私の根本的な問題は何も解決できておりません。先ほどから繰り返しておりますが、「地域が違えば人が違う」のはなぜかです。これは同じ近畿地方でも奈良と大阪で違いがありまして、言葉も違います。ところが、和歌山と奈良は似ていまして、大阪と和歌山も似ている部分が多いです。ところが、大阪と奈良とは異なる点が多く、不思議でなりません。これはあくまでも「人」を対象として述べた見解ですが、地域として観察したときに、違いと共通点が部分的に見出されるような気がします。
これとは逆に、松下電器産業(現パナソニック)を創業した松下幸之助のように、世界の大企業へと成長を進め、世界の松下幸之助というように、世界の大企業の標準モデルを作り上げた人物も日本には存在したわけでありまして、こうなると違いの中の共通部分という「対立」の輪郭がはっきりと生じてるのですが、もやは、神秘であるとしか言いようがないようにも思えるところを科学的に見ていこうとするのが私の立場です。
違うのに共通する、ないし共存する現象は本当に存在するのかと思われるかもしれませんが、卑近な例ですと、「東京(外向型)と大阪(内向型)は「同じ日本」に存在しておりまして、丸く収まっております。また、地域として内向型の関西に外向型の人もたくさん存在するのはなぜか?についても考えねばなりませんし、内向型と外向型の人間が入り混じって内向型の都市になった大阪と、外向型になった東京の違いは何ぞや?と考えてみるのも面白いです。こう考えますと、私がかつて勤務していたパナソニックの電子レンジ事業部、これは奈良県の大和郡山市にありますが、この事業部が千葉県に移転した場合、世界のパナソニックは千葉県でもその経営手法を100%発揮できるかなどをシシミュレーションしてみると面白く、私はいつもこのような対立関係を空想しております。
地域そのものにおける違いの発生に関しては歴史学者や民俗学者、それに文化史学者に任せるとして、私は経営学と心理学により、わかっている範囲で全体と部分を見ていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。