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息子が生まれてからの物語152話目
『王陽明と儒教』の引用文の続き。
幽山渓谷にはいって滝にうたれて修行する、いわゆる雲水のような行だけが修行ではない。われわれの人生、その気になればいたるところ修行の場である。
陽明学では常に、どこでも自分がおかれたところで修養することを「事上磨錬(じじょうまれん)」といい、これを非常に重んずる。
(中略)
事情磨錬の「事」とは人生のあらゆる場面のことと思ってよい。
あらゆる場面を通じて自分を磨いていく。そうすれば人生いたるところ修行の場である。人との応対・応接、仕事の交渉、友人との会話、家族との会話、みな事上であり自分を磨く舞台である。
(中略)
「口を慎む」というのは、事上磨錬の身近な日常的な修養といえる。
息子は、
声を出せない人生を通して、
事上磨錬で修行しているんだ!!
続く。
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