君が見えない(夏詩の旅人 3 Lastシーズン) | Tanaka-KOZOのブログ

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★ついにデビュー13周年!★2013年5月3日2ndアルバムリリース!★有線リクエストもOn Air中!



 2013年8月

横浜関内のとあるピアノBARに、僕は友人と2人でやって来た。

ほのかなライトアップに照らされたBARでは、黒人シンガーが、Earth, Wind & Fire のSeptemberを歌っている。

それは店内に響く、心地よいBGMだった。

 そしてカウンターに立つバーテンダーが、先程オーダーしたロングカクテルを、僕の前にスッと差し出した。



「どうぞ…」
そう言って笑顔の女性が、マンハッタンを置く。

目の前に立つバーテンダーは女性であった。
僕は彼女の作ったマンハッタンに口をつける。

その瞬間、ここはオーセンティックなBARなんだと僕は確信した 。

 かのクリント・イーストウッドはいった。

「腕の良いバーテンダーの作るカクテルは芸術品だ。我々は心していただかねばならない」と…。

僕はそんな言葉を思い出し、彼女の作ったカクテルに、敬意を込めて再びマンハッタンに口をつけるのであった。






 2013年8月 PM8:00 JR関内駅北口広場

「遅ぇよ、こーさん!」
大学時代の同級生のクマガイが、待ち合わせに遅れて来た彼に言う。

「おお、ワリィ、ワリィ…」
手元を少しだけ上げた彼が、苦笑いで言う。




 8月の下旬
この日は夜になっても、まだ蒸し暑い、うだる様な気温であった。

今夜、彼を飲みに誘ったクマガイは、葉山のマリーナでクルーザーのスキッパー(操船士)をしている。



顔がプロレスラーのサンボ浅子に似ているところから、クマガイは周りから“サンボ”と呼ばれていた。(笑)

「一体、どこに行くんだよ?、こんなとこまで呼び出して…」
サンボの前に立つ彼が聞く。

「BARだ…(笑)」
ニヤリと笑うサンボ。

「BAR?」(彼)

「カワイイコが働いてるんだよ…(笑)」(サンボ)

「ええ?…、BARって…、ガールズBARの事か?」
彼が少し嫌な顔をする。

「違う、違う…。本格的な酒を飲ましてくれるBARだ」
手を左右に振って、神妙な顔つきのサンボ。

「お前、着いたらスナックだったっていう、オチじゃねぇだろうな?」(彼)



「ホントだって!、ちゃんとバーテンもいて、ピアノの生演奏とかもやってる。スナックだったらそんなトコないだろぉ?」(サンボ)

「確かにスナックだったら無いな…。スナックだったらカラオケだし…」(彼)

「こーさんに見てもらいたいコがいるんだよ」(サンボ)

「俺に~?…、お前、懲りないやつだなぁ…」

昔、昭島の駅前スナックで働くアキちゃんに、入れ込んでたやつを思い出す彼。
※サンボとアキちゃんとの関係は、まったく進展しなかった(笑)

「そういう意味じゃねぇって!…、まぁ…、少しはそういう意味もあるかな…?」
サンボはそう言うと、ははは…と、苦笑いする。

「で?、場所は?」(彼)

「こっちだ」
サンボはそう言って方角を指すと、そそくさと歩き出した。

桜通りを歩く2人。
この先にはBARが密集しているエリアがあるのを、歩きながら思い出す彼。

「ああ…、カウンター(席)が埋まっちまう…。彼女、人気あるからなぁ…」
サンボはソワソワしながら、そうボヤくのであった。


「ここだ…」
店の前に到着するとサンボが彼に言った。



ネオンライトが光る看板の下へ降りる彼ら。
BARはB1Fにあった。

サンボが店内に入ると、彼も続けて入った。
ホールでは、Earth, Wind & Fire のSeptemberを黒人男性が歌っている。



「へぇ…」
それを見た彼が言う。

(やっぱ横浜は違うなぁ…。演奏も歌も、本場のミュージシャンそのものってカンジだぜ…)
サンボの後ろに付く彼が。そう思う。

「やった!、まだ開いてた!」
奥のカウンターを見てサンボが言う。

カウンターに着くと、サンボが目の前に立つバーテンダーに手を軽く上げて挨拶する。

「ども♪」(サンボ)

「いらっしゃいませ…」
バーテンダーがサンボに言う。

その人は髪を後ろにまとめた、綺麗な女性であった。



齢はまだ若そうだった。
20代前半の様だが、物腰が柔らかく、落ち着いた雰囲気の良いオンナだと感じた。

「何にいたしましょう?」
バーテンダーが、椅子に座った彼らに聞いた。

「俺、いつものやつ…ロックで…」(サンボ)

「マッカランのオンザロックでございますね?」
バーテン女性が確認する。

「お前、シブイやつ頼むんだなぁ…」
彼がサンボに感心する。
それは、マッカランが「シングルモルトのロールスロイス」と云われているからだ。

「彼女に以前、勧められた(笑)」(サンボ)

「だろうな…」と彼が苦笑い。

「お客様は…?」
今度は彼にバーテンダーが聞く。



「コダマのバイスサワー」(彼)

「ねぇよッ!」
隣の彼に素早くツッコむサンボ。

「冗談だよ…(笑)」
彼が女性にそう言うと、冗談の意味が分かった彼女はクスクスと笑った。

「コダマのバイスがあるワケねぇだろ!」
サンボが、少し恥ずかしそうに言う。

「じゃあ俺は、マンハッタンをもらおうかな…。ロングカクテルで…」(彼)

マンハッタンは、ライウイスキー、スイートベルモット、アロマティックビターズをステアしたものだ。
カクテルの女王と呼ばれ、それを彼はカクテルグラスではなく、ロンググラスで頼んだのであった。

「かしこまりました」
彼女はそう言うと、カクテルの準備をした。

「どうだ?、すっげぇ美人だろぉ?」
サンボが小声で得意げに言う。

カウンター越しの彼女はこちらから背を向けて、アイスピックで氷を削っているところだ。

「そうだな…。だがよ、お前、完全にターゲット設定を間違えてんぞ…」
彼も小声で言う。

「夢は大きく持とうじゃないの…(笑)」(サンボ)

「若過ぎンだろ!、彼女いくつだ?」(彼)

「4月でハタチになったばかりだ。この店で働き出したのは5月頃だがな…」(サンボ)

「お前、なんでそんなコト知ってんだよ?」(彼)

「彼女に聞いた(笑)、名前は久住麗良…。4月まで実家のある神戸に住んでて、4ヶ月前から横浜に来たそうだ(笑)」(サンボ)

「まったく…、名前まで聞いてるとはな…」
呆れる彼。

「彼女をこーさんに会わせたかったのは美人だからだけじゃないんだ。実はもう1つ理由があるんだよ…(笑)」
そう言って、いたずらな笑みを浮かべるサンボ。

「別の理由…?」
彼がそう言うと、バーテンのレイラが彼らにお酒を差し出した。

「どうぞ…」
サンボにマッカランのオンザロックを差し出すレイラ。



グラスの中の氷は、見事な球体の丸氷であった。
丸氷は溶けにくく、ウィスキーの味が薄まりにくい事から、オンザロック愛好家から好まれる。

「お前、悪酔いすンなよ」
そう彼が言ったのは、マッカランはアルコール度数が40%あるからだ。

「ここのマッカランは、他の店とは全然違うんだよなぁ…、味が…」
ロックグラスを眺めてサンボが言う。(※他の店で飲んだ事ないくせに 笑)

「ここのマッカランは、何を出しているんだい?」
彼がレイラに聞く。

「当店のマッカランは、“マッカラン12年 シェリーオーク”でございます」(レイラ)

「ふぅん…」(彼)

「おい!、何だよシェリーオークって⁉」
サンボが彼に聞く。

「何だよお前、そんな事も知らねぇで飲んでンのかよ?、マッカランは熟成に「シェリーカスク(木樽)」を使ってるスコッチなんだよ」

※スペインのシェリーは、世界三大酒精強化ワインの1つ。
そのシェリー酒の熟成に用いた殻のカスク(オーク材を使用した樽)で、ワインの蒸留酒を「熟成」させたものがブランデー。
シェリーオーク12年とは、シェリーの空樽にマッカランを12年寝かせたもの。(だと思う 笑 )

「だからマッカランの、あの独特な芳醇な甘い香りは、それで出してるんだよ」(彼)

「何だよスコッチって?、よく耳にするけど…」(サンボ)

「イギリスのスコットランドで造られたウィスキーを、スコッチ・ウィスキーというんだよ」
「同じイギリスでも、アイルランドの製造だとアイリッシュ・ウイスキーて呼ぶけどな…」(彼)

「俺、スコッチっていうから、沖雅也の事だと思ったぜ…(笑)」(サンボ)

「お前、懐かしいなそれ…(笑)」(彼)


※太陽にほえろ スコッチ刑事

「ちなみに、スコッチウイスキーは日本のウイスキーと同じ、2回蒸留されるが、アイリッシュウイスキーは3回蒸留される」(彼)

「3回すると何が違うんだ?」(サンボ)

「不純物が、より取り除かれるって事だよ。だからアイリッシュウイスキーの方が、翌日には残らないってコトだ」

彼はそう言うと続けてサンボに言う。

「サンボ知ってるか?、ウイスキーのスペルはアメリカもアイリッシュもカナダも日本も、全て“whiskey”なんだが、スコッチ・ウイスキーだけは、ラベル表記に「e」がないんだよ」

「だから“whisky”の表記になってたら、それはスコッチなのさ。「e」のあるなしで、それがスコッチかどうか分かるんだよ」(彼)



「お客様、お詳しいですね」
話を聞いていたレイラが笑顔で彼に言う。

「いや、そんな大した知識じゃないよ」
苦笑いの彼が言った。

「そろそろお客様のカクテルも、お出しして宜しいでしょうか?」
レイラが彼に確認する。

「ああっと、悪い悪い!…、余計なおしゃべりしてたな…。構わないよ、出してくれ…」(彼)



「どうぞ…」
そう言ってレイラは彼にマンハッタンを差し出す。

「では乾杯といこうか?」
ロンググラスを手にした彼が、サンボに言う。

「じゃあ、かんぱーい♪」(サンボ)

「乾杯」(彼)

カチン…!

互いのグラスが、小さく鳴った。

「ん!?」
マンハッタンを口にした彼が、「おや?」っと思う。

「どうかされましたか?」
レイラが彼に聞く。

「いやさ…、さっきのアイツとは違うんだけど、ここのマンハッタン…、なんか独特の味で美味いなぁって…」

サンボと違って、自分は本当に他店と比較した感想を言ってるのだと、隣のサンボを指しながら彼がレイラに言った。



「当店では、マンハッタンに使うライウィスキー(※ライ麦で造るウィスキー)を、“ウッドフォードリザーブ ライ”にしているからじゃないでしょうか?」

「“ウッドフォードリザーブ ライ”は、少量生産でプレミアム感が高いライウィスキーなんです」
「カクテルにとても合うライウィスキーで、特にマンハッタンにはお勧めです」(レイラ)

「ほぉ…」と頷く彼。
そのとき彼は、このBARは本物(オーセンティック)なんだと確信した。

「お気に召しましたでしょうか?」
“ウッドフォードリザーブ ライ”の事を彼に確認するレイラ。

「ああ、気に入った。これ飲んだら次は、“ウッドフォードリザーブ ライ”をウォッカの代わりに入れて、モスコミュールを頼むよ」(彼)

※モスコミュール:ベースは、ウォッカとライム・ジュース、ジンジャーエール

「ケンタッキーミュールでございますね?」
笑顔のレイラが言う。

「え?、そういうベースのカクテルってあんの!?」(彼)

「はい…、モスコミュールのウォッカを、ウイスキーにしたカクテルです。なので、“モスコ”(モスクワ)ではなく、“ケンタッキー”なんです(笑)」(レイラ)

「そうなんだぁ…?、なあ君…、ところでこの店は、タバコ吸っても良いのかな?」
店内が喫煙可能かどうかを確認する彼。

「はい、大丈夫です。当店ではシガー(葉巻)でも、シガレット(紙巻きタバコ)でも喫煙可となっております」(レイラ)

「良いね~♪、最近は酒場でタバコ吸えなくてさ。特に神奈川はうるせえし…」

「BARなんか特に、酒を飲みに来るわけだし、タバコをセットで味わいたいから助かったよ(笑)」

彼は笑顔でレイラにそう言った。


 それから彼は、タバコをくゆらせながらマンハッタンを飲み干した。
そして、次に出されたケンタッキーミュールも飲み干す。
彼に3杯目のシンガポールスリングが出されたあと、レイラが彼らに言った。



「では、少し外させていただきます」
レイラがカウンターから外れると言う。

「休憩かい?」
彼がレイラに聞く。

「いえ…」
レイラが、そう言うと、隣に座るサンボがニヤッと笑った。

その場から立ち去るレイラ。
彼女の後姿が、バックヤードに入って行くのを確認したサンボは彼に言った。

「さっき言ったろ?…、こーさんに彼女を会わせたかった、別の理由ってハナシ…」
グラスを手にしたサンボが、彼に小声で言った。

「ああ…、何だい?、そりゃ一体?…」と彼。

「まぁ、見てなさいって…」

サンボはそう言って、ピアノが置いてあるステージを顎でしゃくって指すと、ニヤッと微笑んだ。

それから5分程経っただろうか…?
ピアノのあるステージに、1人の女性が立った。

「あ!」
彼がその女性を見て、そう言うとサンボが言った。

「レイラちゃんだよ…」(サンボ)

「彼女…、この店で歌もやるのか…!?」
まとめ髪を降ろして、エレガントなドレス姿になったレイラを見た彼が言う。

「そうさ…、彼女はスゲェぞ…、ひっくり返んなよ、こーさん…」
サンボはニヤリと彼に言う。

「Lovin' You…」
ステージに立つレイラが、今から歌う曲名を静かに言った。

Lovin' Youは、スティーヴィー・ワンダーに見いだされてデビューした、ミニー・リパートンの歌う曲だ。
若くしてガンで亡くなった、5オクターブを出せる天才黒人シンガーである。



ピアノ演奏がスタートした。
弾む様なリズム。

どうやらアレンジは、Lovin' Youをカバーしたイギリスのレゲエ・シンガー、ジャネッット・ケイのバージョンの模様。



レイラの歌が、そっと包み込む様に始まった。
そして、それと同時に彼は驚いた。

(こりゃあ、驚いたな…。ミニー・リパートンそのものだ…)
(俺も身近でスゲェやつらを散々見て来たが、レイラはその中でも、ダントツの歌唱力だ…!)

(櫻井ジュンや、弓緒よりも、歌唱テクニックで上を行くシンガーが、こんな身近にいるなんて驚いたぜ…)

(てか、ジャネット・ケイより上手いんじゃねぇの!?)
彼はレイラの歌を聴きながら、そんな事を思う。

 だが同時に彼は思うのだった。

レイラの歌は完璧だった。
まるでミニー・リパートンそのものが、歌ってる様だと感じた。

しかし彼にはステージで歌っているレイラから、彼女が見えて来なかった。
Lovin' Youを歌うレイラから、彼にはレイラ自身が見えて来なかったのであった。


「失礼します…」
ステージで3曲ほど歌ったレイラが、BARカウンターに再び戻るとそう言った。

「こーさん、どうだ?、彼女スゲェだろ?」
サンボが得意げに彼に言う。

「ああ…、驚いたよ…」
彼がそう言うと、レイラはそっと微笑んだ。

彼はその時に、先程感じた疑念を、彼女に伝える事はなかった。
余計な事を語り、場をシラケさせたくなかったからだ。

「レイラちゃんはな。関西方面にいたときは、コンテストで負け知らずだったんだぜ♪」
サンボが再び、彼へ得意げに言う。

「だろうな…」
レイラの実力を、まざまざと見せつけられた彼は、サンボの言葉を素直に受け止めた。

「なぁ君…。君の歌はどこかでレッスンを受けたのかい?」
彼がレイラに質問する。

「いえ…、ずっと我流でやって来ました」(レイラ)
彼女のその言葉を聞いて、彼は思った。

なるほど…。
俺の時代と違って、今はカラオケ文化だ。

小学生の頃から、レイラは人前で歌う機会が用意されていたんだ。
そしてNETで、ボイトレなどを見て研究する事も、当然やってたはずだ。

若くから歌っていたレイラは、伸びしろが大きい分、この様な歌唱力を自然と身に着けて行ったのだと、彼は想像した。

「こーさん!、レイラちゃんは、来週の日曜、コンテストに出るんだよ」
彼が考え事をしていると、隣のサンボがそう言った。

「コンテスト…?」(彼)



「毎年8月に、横浜関内ホールで、若手に向けた“レディス・ポピュラーミュージックコンテスト”ってのがあるんだよ」(サンボ)

「それに彼女が出るのか?」
彼がサンボに聞く。

「ああ…、そうだ。そして、そのコンテストは優勝賞金がナント100万円だ!」
「また審査員の中には、レコード会社の人間もいて、優勝すればレコード会社からオファーも入るらしいぜ♪」(サンボ)

「そりゃまた、すごいコンテストだな…」
「君…、君はプロのシンガーに成りたいのかい?」

彼がそう聞くと、レイラは黙ってコクリと頷いた。。

「こーさんも、彼女の応援してくれよ!」
「コンテストの後には、レイラちゃんの祝勝会があるんだ。だから当日、来てくれよ!」

サンボがレイラの前でそう言った。
この状況で断れない彼は、サンボに言った。



「分かったよ…。じゃあ、ハルカと一緒に応援に行くよ」
彼は、同棲しているパートナーと共に、コンテストを観に行くと約束をするのであった。


 それから彼が、5杯目に頼んだカンパリ(※果実などを加えたリキュール)を飲み終えて、ロックグラスをテーブルにそっと置くと言った。

「ごちそうさま…」(彼)

「次は、何にいたしましょう?」(レイラ)

「今夜はもう帰る…」(彼)

「え?、もお帰ぇんのかよ!?、まだ11時過ぎたばかりだぜ、こーさん!」(サンボ)

「お前は、まだ居れば良いじゃないか…。俺はいつも、最後の酒はカンパリだと決めている…。だから帰るよ」(彼)

「何でカンパリなんだ?」(サンボ)

「カンパリは、スピリッツ(蒸留酒)だ。スピリッツ(蒸留酒)は抜けが早いから、翌日に残らない…」(彼)



「俺、カンパリをロックで飲むなんてやつ、初めて見たよ…(笑)」
サンボがそう言うと、カウンター越しからレイラが言う。

「クマガイ(サンボ)さん…、カンパリロックはバーテンダーの間でも、疲れている日や、悪酔いしたくない日に飲むという話をよく聞きます」

「だから、このお客様のおっしゃっている事は理にかなっていますよ」
レイラがそう言って微笑む。

「な?…、お前も試してみろ…」
彼がサンボにニヤリと言う。

「俺はイイよ」(サンボ)

「そうか…、じゃあな…。お前、飲みすぎんなよ…(笑)」(彼)

「大丈夫だ…。それより、こーさん。レイラちゃんのコンテスト、来週の日曜だから忘れんなよ!」(サンボ)

「分かってるよ…」

彼はそう言って微笑むとイスから立ち上がり、店から出て行くのであった。
※もちろん、自分の会計はちゃんと済ませてからですよ(笑)


 そして、コンテスト当日になった。
彼はハルカやサンボと共に、横浜関内ホールに来た。

レイラの応援には、その他に、BARのスタッフや常連客が合わせて数十名ほど駆けつけて来ていた。
コンテストには、音源審査を通過した10名のシンガーが当日に歌う事になっていた。



 午前10時。コンテストがついに始まった。
順調に進むコンテスト。
やがてコンテストでは、6番目のシンガーが登場する番になった。

「それでは、次のシンガーに登場していただきましょう!」
ステージの司会者がそう言うと、レイラが現れた。

拍手で迎えられたレイラ。
彼女は髪を降ろし、エレガントな黒いドレスを身にまとって登場した。

「おおおおお~~~ッ!、レイラちゃぁぁぁ~~~~んんッ!!」
彼の隣に座るサンボが、叫び声を上げる!

「あのコが例のレイラさんね?」
それを聞いたハルカが、隣の彼に確認した。

「ああ…、そうだよ」
ステージを真っ直ぐに見つめる彼が、ハルカに言った。

「今日、歌っていただくのは何の曲ですか?」
司会者が、ステージ中央に立ったレイラに聞く。

「MISIAさんの、IN TO THE LIGHTを歌わせていただきます…」
レイラがそう言うと、会場がどっと沸いた。

何故ならば、その曲がMISIAの5オクターブを全開させるハイトーンボイスを必要とされる曲であったからだ。

レイラの、その言葉を聞いていた審査員たちがニヤッとする。

それは、こういったオーディションめいた大会では、MISIA、ドリカム、Super Flyの歌で挑む事は、業界ではタブーとされていたからだ。

理由は、MISIA、ドリカム、Super Flyが余りにも上手すぎて、返ってオーディションを受ける者たちが、自分の粗を露呈してしまう事から、これらの曲をみんな避けるというのが定番となっているからである。

そういったタブーに、臆する事無く挑むレイラに興味を持った審査員たちが、ニヤッと笑ったのだろう。

「それでは、歌っていただきましょう!、久住麗良さん!、歌う曲はMISIA、IN TO THE LIGHT~!、それではお願いします!」

司会者がそう言うと、曲のイントロが始まった。



 そして、それと同時に会場のボルテージも上がる!

「うぉぉぉぉ~~~ッ!、レイラぁぁ~~~~ッ!」

「レイラちゃぁぁぁ~~~~~~んんッッ!!」←サンボ(笑)

「レイラ~~~~~ッ!!、いいぞぉぉぉ~~~~~ッ!」

サンボを始め、レイラの応援者たちが叫ぶ!

 その横で、神妙にステージのレイラを見つめる彼。
そしてまた、それを観る審査員たちも…。

一方、会場の観客は、レイラが放つ圧倒的なgrooveと1つになる。
押し寄せるビートに、どんどん吞み込まれっていった!

REMIXされた長めのイントロが、終わろうとしていた。
そしてついにレイラの歌が始まった!



MISIAの声と変わらないレイラの、ハイトーンボイス!

その瞬間、更に会場は割れんばかりの大歓声!
良い意味で期待を裏切られた審査員たちは、そのレイラの歌声に驚嘆した!



「すごいねぇ…、本物のMISIAみたい…ッ!」
彼の隣のハルカが、レイラの歌声に驚いて言う。

「ああ…、確かにそうだな…」
彼はハルカにそう言うと同時に思うのだった。

(確かにレイラは凄い…、だが君はMISIAじゃないんだ…)
(今、この場で歌っているのが、本物のMISIAであるのならば、間違いなく優勝だ…)

(レイラ…、君はオリジナルと同じ様に歌う事が、完璧だと思っていないか?)
(それは違うぞ…、こういうオーディションでは、常に新しい逸材を探しているんだ)

(分かるかい?…、最高の歌唱力よりも、可能性がある原石を求めているんだ。)
(既に成功を収めているMISIAと同じタイプのシンガーは、オーディエンスには求められていない…)

(君は、君自身の存在感を演出できなければ、この大会でたとえ優勝できても…、そのあとにデビューしたとしても、やがて消えて行ってしまうんだ)

(それが気が付かなければ、レイラ…、君はいつか必ずどこかの場所で打ちのめされるだろう…)

割れんばかりの大歓声が響く中、彼はそんな事を思いつつ、ステージのレイラを見つめ続けるのであった。

 一方、審査員たちの様子はどうだろう?

片耳にヘッドホンを当てて、ステージを見ずに、レイラの歌声だけを聴き込んでいる者もいれば、リズムを取りながら、楽しそうにステージを見つめる者など様々だった。

やがてレイラの歌が、エンディングに差し掛かって来た。
取り合えず、現段階において出演者の中では、レイラが圧倒的に優勢だという事は間違いないだろう。

 そしてレイラの歌が終わった。
会場は大歓声と口笛が、いつまでも飛び交っていた。

 レイラがステージから去ると、司会者に呼ばれた次のシンガーが出て来た。
ステージ中央に立つその女性は、緊張の面持ちであった。

それはそうだろう。
レイラに、あれ程のパフォーマンスをされてしまってからの次では、やりづらいに違いない。

見た感じ、20代の半ば過ぎに見えるステージの女性。
年齢的にも、今回のステージにかける思いは強そうだった。
恐らく彼女は、これが最後のチャンスだと思っているのだろう。



 その彼女の歌が始まった。
曲は平原綾香の、ジュピターであった。

さすが最終選考まで残っただけある、しっかりと歌い込まれた安定感。
彼女もまた優れたシンガーだと、誰もが感じていたときである。

「あ!…」
歌う彼女が声を漏らす。
どうやら緊張のあまり、歌詞を間違えてしまった様だ。

それからパニックに陥った彼女は、頭の中から歌詞が完全に飛んでしまった。
歌を続けられない彼女は、そのまま演奏を止められ終了となった。

顔を両手で覆い、ステージで涙する彼女。
今まで1度たりとも、この様な失態を晒した事がなかったのだろう。

その女性は悔し涙を浮かべながら、会場からの温かい拍手に見送られてステージの奥へと消えて行った。

 そして8番目のシンガーが登場した。

見た感じ、普段は元気で明るそうな雰囲気の女性であったが、その彼女もまた、緊張で表情が強張っているのが伺えた。



案の定、彼女もミスをした。
サビの盛り上がる部分で、声が裏返り音程を大きく外してしまったのだ。

こうして次の9番目の歌手まで、全員がレイラの圧倒的歌唱力の前に委縮してしまい、いつもの実力が出せないまま歌が終わってしまうのであった。


 そしてついに、この日最後となる10番目の参加者が現れた。
そのシンガーは、まだ高校生くらいの女の子で、エレアコを手にして登場した。

少女がステージ中央に立つと司会者が質問を始める。
それと同時に、彼の隣に座るサンボが言った。

「こーさん!」(サンボ)

「あン…?」と、彼がサンボの方を向く。

「これでレイラちゃんの優勝は確定だな?(笑)、このあとの祝勝会が楽しみだなぁ…」
そう言ったサンボが、ニヤニヤと笑う。

「今日は何を歌っていただけるんですか?」
ステージの司会者が、エレアコの少女に質問をする。

「ヒステリックスの、“相対性理論な愛”をやります」
少女がそう応えると、聞いた事のない曲名に司会者が一瞬戸惑った。

「なんだ?、ヒステリックスって…?」
ステージを見るサンボが言う。

おそらくサンボに限らず、この会場の、ほぼ全員が同じ気持ちであったに違いない。

「ほう…」
ステージを見つめる彼が、ニヤッと微笑む。

(あんな若いコが、ヒステリックスを知ってるんだ?)
そう思う彼が、ヒステリックスのボーカルだったキョウを思い出す。

彼はキョウと面識があった。
彼女がガンで亡くなる間際、彼とキョウは出会っていた。



ヒステリックス・モガ・バンドは、1970年代初頭にシンガーソングライターの最上和彦が結成した、海外で初めてセールス的に成功した日本人のロックグループだった。

全英ツアーも行った、彼らの2ndアルバム「Black Ship」は、全英チャートで7位まで浮上し、50万枚の売り上げを叩き出した。

これは本国日本での「Black Ship」の売り上げの約10倍である。

 あの時代、マイナージャンルだったロックで、ビッグマネーを手に入れ成功したヒステリックスは、日本国内で活躍する多くのロックミュージシャンたちに夢と希望を与えたのであった。

ステージに立つ少女の言葉を聞いた審査員の1人がニヤッと笑った。
その審査員男性は、比較的、年配者であった。

その審査員も同じ様に、ヒステリックスを知っているのであろう。
反応が無い、その他の審査員たちは若いのでヒステリックスを知らない様だ。

「では、お願いします!」
司会者がそう言うと、少女はステージ中央でギターを持ったまま座り込んだ。

「え?」
戸惑う司会者。



「私はいつも、こうやって歌ってるから…、これがいつものスタイルだから…」
少女が司会者に言う。

「で…、でも…!」(司会者)

「それから演奏も要らないわ。ギター1本で歌うから…」

ワイヤレスシールドが装着された、エレアコを抱えて少女が言った。
※シールドを使わずに、ギターとアンプをつなげて演奏できる ワイヤレスシステム

少女と司会者のやり取りを見ていた会場から、クスクスと笑い声が聞こえる。
そして審査員たちは、ニヤニヤとしながら、ステージの少女を興味深く見つめる。

「面白いコだなぁ…(笑)」
観客席の彼がハルカにそう言う。

「そうね…」
隣のハルカも、これから何が始まるのかワクワクし出した。

「こりゃあ、もう完全にレイラちゃんの優勝だな…?」
ステージを見るサンボが、やや呆れ気味に言う。

「それでは、お願いします!、えっとぉ…?、ヒステリックスの、“相対性理論な愛”!、どうぞ~~ッ!」
やや、ヤケクソ気味に司会者が叫ぶ。

そして少女は、力強くギターをかき鳴らした!
最後のシンガーの歌が始まった!



少女の歌は元気で、伸びと張りのある歌声だった。
しかし歌唱力では、レイラの方が遥かに上を行っていた。

だが少女の歌は、誰もが、すんなりと受け入れられる、そんな聴き心地の良い歌声であった。

ヒステリックスのボーカル、キョウとは声質がまったく違っていたが、少女の歌は違和感をまったく感じさせない。

それは、ヒステリックスの歌を、少女が上手く自分のフィルターを通して表現しているからに違いない。

キョウとは、タイプが全く異なるスタイルで歌う少女だったが、奔放で物怖じしないところなんかは、キョウと似ているところもあると彼は感じていた。

一方、審査員たちはというと、元気に歌う少女の姿を笑顔で聴き込んでいた。
そして、いつしか会場の観客たちも少女のステージにどんどん引き込まれて行った。

笑顔で手拍子をしたり、身体全体を揺らせながら、リズムを取って聴いていたりと、会場の全員が少女の歌と一体化して行った。

「あれぇ?、あのコ、結構盛り上がってンじゃん!?」
ステージを見つめるサンボが、驚きながらそう言った。


「ありがとうございましたぁぁ~~!」
司会者が言う。
少女の歌が終わった。

会場からは、惜しみない拍手や歓声がいつまでも続いていた。

「よし、ハルカ帰ろう…」
そう言って席を立つ彼。

「え?」とハルカ。

「せっかく横浜まで来たんだ。何か美味いものでも食って帰ろう…(笑)」(彼)

「でも…」と、サンボを気にするハルカ。

「なんだよこーさん!、レイラちゃんの祝勝会に出ないのかよ!?」
隣で話を聞いていたサンボが彼に言う。

「残念だが、今夜は祝勝会にはならない…、俺は敗者にかける言葉を知らないんでね…」
振り返り、サンボに彼がそう言う。

「レイラちゃんが優勝できないってのか?」(サンボ)

「そうだ…」(彼)

「何でさ?、レイラちゃんが1番上手かったじゃんか!」(サンボ)

「それだけじゃ優勝できないって事だ…」
「それと、レイラも優勝できなかったら、この後の打ち上げにも出ないぜ…。あのコはそういうタイプだ」(彼)

「何でそんな事、分かるんだよ?」(サンボ)

「分かるさ…」(彼)

「もし優勝できなかったら、みんなで慰めてやれば良いじゃんか」(サンボ)

「それはヤメておけ…」(彼)

「え?」
何で?という表情のサンボ。

「そういう時は、何も言うな…。そっとしておいてやれ…」
彼がそう言うと、ハルカは彼を眺めながら微笑むのだった。

 それから彼が会場を去ってしばらくして、審査結果の発表が行われた。
壇上には、今日歌われたシンガー全員が、横一列に並んでいた。

列の中央に立っているレイラは、神妙な面持ちで結果発表を待っている。

「優勝者は、エントリーナンバー10番!、霧山ナツさんですッ!、おめでとうございます!」

司会者が手にした紙を大きな声で読み上げると、列の1番端に立つ少女に向かって歩いて行った。

「おめでとうございます!、どんなお気持ちですか?」
司会者が少女に聞く。
会場からは盛大な拍手が送られた。



(負けた…。初めて負けた…ッ)
そう思うレイラは、茫然としながら、結果を受け入れた。

レイラは司会者が優勝者と笑顔で話す光景を、ぼんやりと眺めるしかなかった。

「ああ…、レイラちゃん…、そんなぁ…」
「祝勝会がぁぁ…、今夜、彼女と、もっとお近づきになれると思ってたのにぃぃ…ッ」
サンボがレイラ以上に、がっかりする。(笑)

「ありがとうございます。夢のような気持ちです(笑)」
壇上では、マイクを向けられた少女が笑顔で言う。



「17歳!?、それじゃあ、まだ高校生ですかぁ?」
それから少女の年齢を質問した司会者が言った。

「はい、高校2年です」
笑顔の少女が言う。

「緊張しましたでしょう~?」(司会者)

「しました(笑)、みなさんとても上手い方ばかりだったので、もうぜったいダメだと思ってました」

「それで、どうせダメなら、いつも通りの自分でやるしかないなって思って、それであんな感じの弾き語りになっちゃったんです(笑)」

少女がそう言うと、会場からクスクスと笑い声が漏れるのであった。




 翌々日 PM8:05
横浜関内 レイラの働くBAR

関内ホールのコンテストが開けてから、BARの定休日を1日挟んで2日後。
いつもの様に、BARカウンターに立つレイラがいた。

店がOPENしてから数分後、1人の女性客がBARに入って来た。
40代くらいの、ハイキャリア風の女性。

その女性は、店に入ると、真っ直ぐにレイラの立つカウンターへと歩き出す。
そして女性は、無言でレイラの前のカウンターチェアに座った。



「いらっしゃいませ…、何にいたしま…」(レイラ)

「サイドカー…」
女性は、レイラがオーダーを聞き終える前に、そう注文した。

「かしこまりました…」
レイラはそう言うと、女性の注文したカクテルの準備をする。

シェイカーにブランデーを注ぐレイラ。
ブランデーは、定番のコニャック、ヘネシーV.S.だ。

次にコアントローのホワイト・キュラソーを注ぎ、最後にレモンジュースを注いだレイラ。

それらの入ったシェイカーにロックアイスを数個入れると、レイラはシェイカーをシェイクした。



シェイクが済むと、冷蔵庫から出した、冷えたカクテルグラスに、カクテルを注いだ。

「どうぞ…、サイドカーです…」
レイラはそう言って、サイドカーを女性の前にスッと出す。
女性はカクテルグラスを手に取ると、くぃっと、そのまま一気に飲み干した。

コト…。

女性が空のカクテルグラスを置く。

「ふぅ…、おいし…、もう一杯もらえる?」
女性はそう言って、レイラに追加をオーダーした。

レイラが先程と同じ手順で、サイドカーを作り出す。
彼女がシェイカーを振っていると、女性がレイラに話し掛けた。

「あなた、久住麗良さんね…?」

「え?」
女性の問いかけに、思わず手を止めてしまうレイラ。

「は…、はい…??」
レイラはそう言いながら、再びシェイカーを振った。



「お待たせしました…。どうぞ…」
そして再び、サイドカーを女性に差し出すレイラ。

「ふふ…♪」
女性はカクテルグラスを手に取ると笑った。
そして今度は、先程と違い、カクテルを味わう様にグラスへ口をつけた。

「噂通りね…?、バーテンとしても、シンガーとしても…、一流ね…♪、久住レイラさん…」(客の女性)

「あ…、あの…?」
どなたですか?と、レイラが聞く前に女性が言う。

「日曜日の関内ホール…、観せてもらったわ…。私ね…、こう見えても音楽業界で働いてる者なの…。だからアナタの事もよく知ってるわ」
正面の女性が言う。

「私の…?」
レイラがそう言うと、女性が話し出す。

「久住麗良…、神戸出身…、関西方面のボーカルコンテストでは、負け知らずの天才シンガー…」
「将来プロに成るつもりでいたアナタは、プロとしてやっていくのであれば、東京で活動しなければならないと思っていた…」

「そこで20歳(ハタチ)を迎えたタイミングで、こちらへやって来た。ここでコンテストに出れば、必ず自分にオファーが来ると確信して…」

「私たち音楽業界の者は、神戸から姿を消したアナタを追っていた。だけど消息がずっとつかめないでいた…」

「まさか東京じゃなく、横浜に潜んでいたとはね…(笑)」
女性はそう言うと笑い、続けて話出す。



「横浜に来たアナタは…、まず手始めに関内ホールで毎年行われていた、“レディス・ポピュラーミュージックコンテスト”に出てみる事にした」

「アナタにとっては、ほんの腕試し程度のつもりで出たコンテストだった…」

「神戸からこちらに出て来て、初めてのコンテスト…、ここでまず優勝して、こちらでの音楽活動に弾みをつけたかった…」

「いろんなコンテストに出て、1番良い条件のレコード会社と契約しようと考えてた」

「久住麗良が関内ホールのコンテストに出ると知った関係者たちは、私を含めて、ほとんどが観に行った」
「そして、アナタと同じ様に、誰もが久住麗良の優勝を疑わなかった…」

「でも、負けた…」
女性がそう言うと、グラスを拭いていたレイラの手が止まる。

「アナタ、自分がなぜ負けたのか分かる?」
女性はそう言って、レイラに問いかける。

「いえ…」
レイラが静かに言う。

「あの日、歌は誰よりも上手かったのに…。不思議よね…?」
正面に座る女性客がそう言うと、レイラは黙ってしまった。

そして女性客は続けて話し出した。

「あのコンテストで最後に歌った、あのコの曲…、アナタは知ってたかしら…?」
女性の質問に、首を左右に振るレイラ。

「あの曲は70年代…、つまりアナタが生まれる前、海外で初めて成功した日本人バンド、ヒステリックスの曲なの…」(女性客)

「ヒステリックス…!?」(レイラ)

「知らないでしょう?(笑)…、でも、それは当然よ…。あの日、あの会場でヒステリックスを知っていたのは、審査員の中でも1人くらい…、まして観客なんか、誰も知らなかったんじゃないかしら…?」

女性の言葉にレイラは、黙って聞いている。

「あの曲を歌たったあのコは、誰もが意外性を感じた。審査員であの曲を知ってる者は、あのコの選曲に興味を抱き、知らない者たちにとっては、70年代のヒステリックスの曲が、逆に新鮮に感じた…」

「元々、海外でも認められた名曲なんだから、今の人たちにとっても、問題なく受け入られた…」

「加えてあのコの奇抜な演出…、勿論、あのコがそこまで狙っていたのか分からないけど、結果的には功を奏した」

「ステージで、座り込んで弾き語るあのコ…、観客たちにとってはとても身近に感じ、審査員たちは面白いと感じた」

「まるで身近な存在が、一生懸命ステージ歌っている様な感覚…、あのコは周りを一気に取り込んで行った」

「そして聴き入れ易い、あのコの声質…、飾らないキャラクター…、観客たちは思ったでしょう…、“応援してあげたい”、と…」



「レイラさん…、芸能界とはそういう人が生き残れるところなの…。歌がどんなに上手くても、どんなにビジュアルが優れていても、それが強みにはならないの…」

「“このコを応援してあげたい”、“守ってあげたい”、という気持ちをフアンたちが一緒に共有する喜びを与えられなくてはならないの…」

「つまり、アナタはエンターテナーとして負けた。最後に歌った霧山ナツの方がエンターテナーとして優れていた。だからアナタは負けたのよ…」

女性客がそこまで言うと、レイラは聞いた。

「あの最後に歌ってたコも、やはり音楽業界で注目されていたんですか?」(レイラ)

「知らないわ…」(女性客)

「え!?」(レイラ)

「まったく知らなかった…。あのコに関してはノーマークだった。霧山ナツは、あのコンテストが、初めて参加したコンテストだったみたいよ…」(女性客)

「そうなんですか…」(レイラ)

「でもこれだけは分かる…。アナタと霧山ナツは同世代…、きっとこの先、あのコはアナタの前に、何度も立ちはだかるでしょうね…」(女性客)

「あのコは、あの日スカウトされたんですか?」(レイラ)

「されてた…。でもあのコは断ってた様ね…」(女性客)

「断った…?」(レイラ)

「よく分からないけど…、何か考えがあるみたい…?、ソロじゃなくて、バンドでも始める気なのかしら…?」(女性客)

「バンド…?」(レイラ)

「アナタどうするの?、このままじゃ、あのコに勝つ事は出来ないわよ…。アナタはトップシンガーに成りたいのでしょう?(笑)」

「なら、私と一緒にトップシンガーを目指してみない!?」(女性客)

「あなたは一体…??」(レイラ)

「私はアカシックレコードの、時田加奈子!、アナタをスカウトに来たの!」
「レイラ!、私の元へ来なさい!…、アナタに会わせたい人がいるの!」(時田加奈子)



「私に会わせたい人…ッッ!?」
時田加奈子の言葉に、レイラは驚くのだった。

END




解説
今回出て来たBARは実在します。しかし、僕が実際に行ったのは27歳くらいの頃なんで、店名も場所も今では覚えてません(笑)

確か、上川隆也さんのキャラメルBOXの公演に誘われて、観覧後、食事に連れて行かれたのが、このBARでした。

結構中が広いBARで、店内でEarth, Wind & Fire のSeptemberを歌ってたシンガーが、カウンター席にいる僕のところまでやって来て、傍で歌っていたのを思い出します。

作中で主人公がお酒に詳しかったのは、僕の学生時代のバイトがBARで働いていた経験からであり、カクテルも作っていたからなのでした。(笑)

さて、今回登場した久住麗良ですが、熱心なカシタビ(夏詩の旅人)読者なら、「おや?」と気づいたでしょう?(笑)

え?、全然分からない?…。実は、この久住麗良とは、1stシーズン最終回、「ここから始めよう」で、存在だけ明かされたRaylaなのです!

ドラムの小田が始めたライブBAR、「フェイ・ダナウェイ」で再会した主要登場人物たち。

その中で、歌手の櫻井ジュンと、音楽事務所社長の岬不二子との会話の中で、オリコン1位になった歌手のRaylaは、現役を引退したジュンがプロデュースしたと聞かされるシーンがあります。そのRaylaが今回の久住麗良なのです。

更に霧山ナツの方は、不二子の会社が関わった、ヒステリックス再結成のボーカルオーディションで選ばれた、ナツだと、1stの最終回を読んだ方なら思い出す事でしょう。

実はこのナツという少女は、10歳の頃からカシタビに登場しています。

1stの「次へのバトン」で、ヒステリックスのキョウが亡くなる前まで、キョウから歌のレッスンを受ける、あのナツです。

そして中学生になったナツは、2ndの「あなたになら渡せる歌 後篇」で、当時現役だった歌手のジュンから、シンガーとはどうあるべきかという指南を受けています。

ラストに登場する時田加奈子は、櫻井ジュンをスカウトした人物で、この物語の中では度々登場しています。

関連作品のリンクを貼っておきますので、興味がある方は併せてご覧ください。

時系列
次へのバトン (夏詩の旅人 1st シーズン)
あなたになら渡せる歌 後篇 (夏詩の旅人2 リブート篇)
ここから始めよう(夏詩の旅人 1st シーズン)※最終回

時田加奈子登場回
夏の到来(夏詩の旅人 NEWBIE「旅立ち 篇」4話)
夏が呼んだ蜃気楼 (夏詩の旅人2 リブート篇)
命の期限 (夏詩の旅人2 リブート篇)
バラードは命と引き換える 1話 (夏詩の旅人2 リブート篇)
バラードは命と引き換える 最終話 (夏詩の旅人2 リブート篇)