2月26日 | 生殖医療専門医・内視鏡手術技術認定医 田中雄大のブログ

生殖医療専門医・内視鏡手術技術認定医 田中雄大のブログ

神奈川県藤沢市の不妊治療・産婦人科「メディカルパーク湘南」の院長、田中雄大のブログです。
体外受精や内視鏡手術のことから雑感まで、日々の記録を綴っております。

気付けば、今日は2月26日。

今日は何の日?と聞かれたら、やっぱり二・二六事件になります。

昭和11年だがら、1936年。太平洋戦争が始まる5年前。

もう、この段階で、女子の読者はほぼ全員がスマホめくるのを止めるのでしょうが、 別に気にしません。

好きな事を書きます。歴史家は、皇道派と統制派は、思想の違いから対立を深めていった、などと言われますが、私はそうは思いません。思想なんてない。永田鉄山と小畑敏四郎の二人が仲が悪くなって、そこから派生したタダの派閥争い。今の自民党の派閥が、派閥ごとに高邁な思想を持っているわけでは無いのと同じ。タダの仲間割れ。

 

先日、小澤征爾が亡くなったというニュースが駆け巡りました。クラシックなど分からない私には、この人の偉大さは分かりませんが、それでも、20年ほど前に、学会でウィーンを訪れた当時、小澤征爾がウィーンフィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務めていて、同じ日本人として、大きな誇りに思ったものです。

 

さて、彼の「征爾」という名前。

 

不思議な名前ですが、これは、板垣征四郎の「征」と、その部下の石原莞爾の「爾」を組み合わせたものだそうです。当時、日本は、満州事変で湧いており、その立役者とされて、新聞が持ち上げまくったのがこの二人の軍人。その影響で、小澤征爾のお父さんが、2人の名前から取ったのだそうです。平和的文化の象徴であるべきオーケストラの世界的指揮者の名前が、満州事変の首謀者へのオマージュに因んでいるというのは、笑えない皮肉です。

 

さて、その石原莞爾は、統制派、と言われていますが、二二六事件が起こると、結構どっちつかずの玉虫色の対応をしたらしい。天皇陛下を盛り立てて、天皇中心の政治を実現しようした皇道派の野望は失敗に終わるわけですが、弾圧を最も強く主張したのは、昭和天皇本人だったという事も、良く知られています。のらりくらりしながら、いつまで経っても、鎮圧しようとしない軍部に、昭和天皇自ら乗り込んで行って、「なぜ早く鎮圧しないのか?このうえは、朕、自ら近衛兵を率いて、これを鎮圧せん!」と声を上げたという有名な逸話が残っています。だってそりゃそうでしょうよ。全幅の信頼を置いている家庭教師だった鈴木貫太郎を射殺しておいて、それで、「我々が天皇陛下をお助け申す!」とか言われたったって、「はい、そうですか。有難う!」となる訳無いわ。アホか??(鈴木貫太郎は奇跡的に助かりますが、この時は、死んだと信じられていた) 

 

クーデターを起こした陸軍の若きエリートたちは、そんなことすら理解しようとしなかった。ちょっと冷静になれば、絶対分かったはずです。でも、純粋だから、組織の中にいると、組織の理屈を信じ切ってしまう。それが、ずれている事に気付けない。新聞が煽ってくれるので、更に勢いづく。

 

90年近く経ってから、その当時を振り返って、「アホ」と断ずるのは、簡単だけど、その当時の彼らは、それがアホな事だとは毛頭思ってなかったわけで。結局、鎮圧された後、首謀者は、今の代々木公園でほぼ全員が処刑。その数10人以上。

 

組織がでかくなればなるほど、必ず内部には、ムラが出来る。一枚岩が難しくなります。その集団をまとめ上げるのは、やはりトップが余程しっかりしていないといけないのだろう。「しっかりする」というのは、つまりは、全員を同じ方向に向かせること。目標を明確に掲げること。そして、その結果責任を負うこと。

 

皇道派・統制派みたいな対立は何処にでもある。会社にも、政治家にも、役所にも、そして医療の世界にも。プチ二・二六事件だって沢山ある。トップがしっかりしていれば、そんなくだらない仲間割れは起きないはず。


学ぶべきことは沢山あります。