岡本忠成の作品を初めて観ました。
アニメーション作家。

「おこんじょうるり」を観たのだけど、動画では見つけられず
「チコタン」という別の作品を載せます。

これ、ちょっとシュールだなあ。。





おこんじょうるりは、人形映像劇だった。
どこかの地方の民話なのかな、すごく懐かしい感じ。

ああいうのを、お祭りで上映するなんて素敵だよ。
公園が映画館に早変わり。子どもが食い入るように観てる、それを大人が見守る、あの情景がすごく好き。


誘ってくれた人、ありがとう。
素敵な時間を、ありがとう。

さて。今日は大そうじするぞー*

おふとん干して。
すみずみまで掃除機かけて。

最近買い込んだ服、本、溜まったデータを整理して。

夜は友達と会うから、それまでに終わらせよー。


こんな日のBGMは、クラムボンとチャットモンチーをチョイス。



3月から育てているガジュマルも、すくすく成長してる。
ベランダで今日も、水を浴びて。



今になって。また、しみ込んでくるこの歌。





どうしよう。どうしよう。どうしよう。
会いたい、と、会いたくない、がぶつかる。
意地っ張りの性格が、本当に嫌になる。




 もっと泣けばよかった
 もっと笑えばよかった




わたしは君に、何一つわたしを伝えられていない。

本当はもっと君に優しくしたかった。
わたしの好きな場所、好きな歌、好きな絵、好きな本、好きな映画、好きな色、…、
わたしが見てきたすべて、感じてきたすべてを、君に教えたかった。
わたしの気持ちを、もっと表現していたかった。

ほんと、幼かったな、わたし。
今も変わってないのかもしれないけれど。


どうしてもっとぶつかれなかったんだろう。
何を怖がっていたんだろう。

結局、あの日わたしは、「すべてを放棄した」…?




…違う。ううん、違うよ。そうじゃない。

あの日のわたしは、ただただまっすぐにいただけだ。
たとえ後先がどうこうなっても、あの瞬間の気持ちを大切にしただけだ。


放棄した、って言うなら、それは今だよ。
わたしは、あの日のわたしを否定してばかりいる。
あったかもしれないもう一つの現実に固着してばかりいる。



だめだよ。きっとそれはよくないよ。

いつだって大事なのは今だ。

過去は変えられないと思っていたけれど、違う。
これからの生き方次第で、きっと過去も変えられる。

見方を変えればいいんだもん。
これからどんどん自分が変わっていけばいいんだもんね。

大事なのは今。
そして、その「今」は、過去の自分をどれだけ大切にできるか、それ次第で変わってくるんだと思う。


あの日の自分、あの日からの自分。
必死で自分と戦って、さんざん泣いて。
いろんなこと考えながら、悩みながら、なんとかここまできた自分。

これからのわたしのためじゃなくて。
そうやって「今」までがんばってきた自分のために、「今」を生きてみる。



こんな考えも、悪くないんじゃないかな。


だからほら、きっと。
まだだいじょうぶ。

くじけそうになったら。あの日の、一生懸命だった自分を思い出してみる。
あの日の自分がいれば、どんなことも、頑張れそうな気がするから。



変に考えすぎるのはやめよう。
自分と向き合うことも大切だけど、人と向き合うこと、ぶつかることで見えてくるものがたくさんある。



どっか、遠くへ行きたいなあ。

昔、一人旅で出会った人たち、一期一会の出会いだったけれど、
今も元気で頑張っているのかな。
会いたいよ。



これからを考えていかなきゃいけない。
やっぱりわたしは、変にまじめっ子だから
自分をなんとか納得させていかなきゃだめな性分みたいだ。

まっすぐでいようとするのは、素敵なことなのかもしれないけれど
一歩間違えると、頑固になってしまう。
柔軟な考えができないと、環境に適応できなくなってしまうから、きっと苦しいよ。

うまくバランスをとりながら、ね。

なんでも、挑戦してみること。とりあえず、やってみること。
いろんなこと、まだ間に合う。

今の研究、好きだよ、わたし。
ちゃんと続けていきたいなあ、って思う。


最近、しみじみ思うこと。
今までの私、ちゃんと今の私に繋がってるんだなぁって。

好きだったこと、考えてきたこと、
捨ててきたこと、選んできたこと、

その全てがあったから、今、わたしはここにいるんだなーって。

これでいいのか、わたしの選択は間違ってたんじゃないか、って
さんざん悩んだこともあったし
今までの自分と過去に、責任転嫁しそうになったこともある。

だけどやっぱりそうじゃなかったよ。

いろんなこと、ちゃんと繋がってた。
わたしなりに考えて、選んできたことだった。

それを誇れる自分に、ほっとしてるところです。
こういう気持ちは、これからの支えになるね。



そう思うと、やり残してることがたくさんあるよー。
会いたい人に会ってない。
言いたいこと、伝えられてない人がいる。

学生のうちに、叶えたいことです。




わたしは、何が悲しくて泣いているんだろう。
今更どうにもならないのに。
これは自分で決めたこと。誰のせいでもない。全部、自分で考えて、自分で行動した結果なの。

もう大丈夫、って何度言葉にしただろう。
わたしを見守ってくれる人、大切な人たちにも笑顔で言えたはずなんだけど。


わたしは、幼すぎたんだと思う。
何も、わかってなかった。周りが全然見えてなかった。

やらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないこと、
考えたくないのに考えてしまうこと、言葉にしたいのにできないこと、
そのどれもがこんがらがって、どれも、中途半端だった。
気持ちがいっぱいだったんだ。
優先順位を付けるほどの余裕すらなかった。

それでも、「しあわせだった」と言えたわたしは、今も変わらずにここにいる。

あれは、本心だったのかな。
自分を納得させるための、言い訳だったんじゃないかな。
そうでもしないと、自分を保てなかったんじゃないかな。

本心で言えるほど、あの頃のわたしは、大人じゃなかったと思う。
だけど、言い訳できないほど、子供でもなかった。


なんてことも考えるけど。
やっぱり本当のきもちだったと思うんだよ。

だから今でも、こんなにも考えてしまう。
それほど、大きな気持ちだった、ってことなんだと思う。




過去は、自分の都合のいいように解釈されてしまうことがあるからね、
本当、が見えなくなってしまう。
ある意味、こわい。

都合のいいように解釈して、自分が納得できればそれでいいんだと思うけれど
なんとなくわだかまりが残ってしまうのは、わたしの頭が固いせいなのかなぁ。


今は、なんだかいろんなことがわからない。
考えてもきっとわからないことなんだろう。

どんな言葉で自分に言い聞かせても、涙は流れてしまって。
大丈夫なんていいながら、本当はまだ大丈夫じゃなかった。

それが今のわたし。


でも、そんな自分を責めたりはしないよ。

責めはしないけれど、たぶん、共感もしない。

ただひたすら、向き合うだけだよ。
泣きたければ、泣く。大丈夫だと思うなら、大丈夫。

ひとりの時は、ただ気持ちの赴くままに、そっとしておく。
今のわたしはわたしのためにそれしかできないような気がしてるの。



だけど、わたしの周りの大切な人たち。
あなたたちには、元気な姿を見せていようと思う。
いつだって、笑顔でいたい。
わたしを支えてくれた人たち。ありがとう、って伝えるために。
一度伝えた「大丈夫」を、大切にしたいから。

どうしても、っていう時は甘えてしまうかもしれないけれど、

いや、きっとわたしはそんなにヤワじゃない。はず。
いつか、が来る日を、ただ祈って、頑張るしかないね。

手紙を書こう。

伝えたいこと、伝えられずにいること。
ありったけの想いを、綴ってみよう。

想いを込めた手紙は、かたちあるものとして重みを持ってくれる。

自分の中で渦巻いて、拡散して、つかみどころがなくて。
決して負の感情ではないのだけど、
いつまでもわたしを縛り続けてしまう想い。


ほんとうはもっと、きらきらした大切な感情だから。
文字にして、かたちに宿そう。
ここにあるんだ、って実感するために。


届けることはないし、ただの自己満足でしかないけれど。
そうやって、自分をごまかしているのかもしれないけれど。



きっとこういう手紙は、祈りに似てる。
祈る。願うんじゃなくて。


そして、許すことでもあると思う。





先日、三鷹で開催されていた『アルフォンス・ミュシャ展』に。


$membrillo



ミュシャは広告画で有名だけど、わたしは彼の描く油絵の方が好き。
すごくきれい。繊細で、柔らかい。


最近は「装飾」に興味が向かっています。

シンプルなものが好まれてきたけれど、自分もそうだったけれど、
何かを「飾る」っていうのはもっと純粋なこと。

レリーフとか、もっと古代の装飾と装飾認識みたいなものに、
これからを考える上でのなにかヒントがありそうな気がする。



そして、もっと植物や生物を知らないとだめみたい。

ファーブル植物記、よみたいっす。


わかってもらいたいことを、
一番わかってほしい人に、
わかってもらえないことほど、
悲しいことってないのかもしれない。


人の気持ちを一から十までわかるなんてできない。
できないけれど、できなくても、
なんとか理解しようとするのが、思いやり、ってことなんだと思ってた。
だから、理解力には想像力が必要なんだと思ってた。


でも、よくわからないや。




どんなことでも、まず人を肯定することができていたら
きっといろんなことが上手くいく気がするよ。

あなたの言うこと、わかるよ、って。


そのためには、わかってあげたい、って気持ちがないとだめなんだろうな。
自分にとって特別なひとほど、そういう気持ちが強くなる。
わかってあげたい。

だけど同時に、わかってもらいたい、って欲も強くなってしまう。

求めてばっかりじゃ、自分がつらくなるだけだからね。
そのへんのバランスの取り方は重要。

そして、本当にわかってもらいたいことは、わかってもらうための努力と工夫が必要です。

むつかしいけれど、これをきちんと考えていないと、もったいない気がする。
なんとなく、傷つかずに生きてくことは、やっぱり簡単なんだろう。

でも、もったいない。







「そんなに簡単に、生きてることを譲っちゃ、だめだよ。」

こんなようなことを、昔だれかが言ってた。
ふと、よみがえってきた言葉。
わたしが今まで観た映画の記録。

my muvie

2、3年前から地味に付けてます。


他のレビュアーさんで、1000本近く観てる方も!
比べれば、わたしはまだまだ。もっと観たいなー。
映画が好き。



『サマーウォーズ』/細田守/2009/Japan

$membrillo-サマーウォーズ



面白かったー!

映画を見て、久しぶりに涙がほろり。
いい映画に出会えるのは本当に嬉しい。

感動で涙を流すことは、心洗われること。
悲しくて流す涙とは、やっぱり全然違うなぁとしみじみ。

そういう涙が出たこと、素直に嬉しいと思いました。





わたしは涙もろい方で、映画を見てよく涙してしまうけれど、
今まで、泣けることを嬉しいと思ったことなんてなかった。

感動したり、悲しかったり、やりきれない想いを味わったり。。
流す涙の理由はさまざまだけど。
泣けるほど心動かされたっていうこととか、
そういう作品に出会えていろんなことを考えさせられたっていうことが、
大切なことだと思ってた。


それはもちろんそうなんだけど。

最近、現実で悲しくて泣くことが多かったから。
もう泣きたくない、なんてことも思ってたから。

物語とはいえ人の優しさに感動して泣いたのは、久しぶりだった。
ずっとわたしから溢れてた涙とは、真反対の涙だった。
それがすごく新鮮で。嬉しくて。
泣くことに疲れていたけれど、泣くことでちょっと癒されました。



泣くっていうのは、大切なこと。
だけど、願わくば。嬉しくて泣く、きれいな涙を流していたいものです。




大事なことは、本当は現実にも溢れているのだけど
なかなか、立ち止まって考えるなんてことはできないし、どうしても受け流してしまったり。
その反面、悲しいことばかりに目を向けがちになっちゃうこともあったりして。

映画の世界はフィクションだけど、現実以上にノンフィクション的なこともあるからね。
いろんなこと、教えてくれます。

もっともっと、いろんな世界を見ていたい。