NHKテレビ月~木曜22時45分のドラマ『ユーミンストーリーズ』
松任谷由実さんの『青春のリグレット』、『冬の終わり』、『春よ、来い』の
3つの楽曲をもとに、小説家が原作小説を書き上げ、それを脚本家が本にする
そんな風にして作られたドラマだが、これがなかなか理解の難しい作品
想像でしかないが、曲をもとに小説を作ると言っても歌詞の世界観をそのまま使うのではなく
曲全体から受けるイメージだけを文章に落とし込むこともあれば
『冬の終わり』がそうであったように、歌の世界観ということではなく
曲そのものをストーリーの一つの小道具として使用するというパターンもあって
常人では曲とドラマが結びつきにくかったというのも正直なところ
また、原作を依頼された小説家も、手を抜くこと無くしっかりした作品を作り上げたのだろう
それを15分×4の短いドラマにするには、わかりやすく説明シーンを入れる余裕がないのか
難解な部分も多かった印象だ
特に2作目の『冬の終わり』
スーパーのフードコートで働く麻生久美子さんが、全く会話をしてくれない篠原ゆき子が
有線で『冬の終わり』がかかると急にその曲のことを語り始めたことから
また会話の糸口が欲しくて有線にリクエストしたり、周囲の協力を得て
店内放送で曲を流してもらおうと奔走
しかし、いざ店内放送が流れるとなったときに篠原ゆき子は急に店を離れて走り出す
そして店に向かって篠原ゆき子が戻って来ている途中でドラマが終了
えっ、そんなところで終わるの、という感じ
もちろんそこにはいろいろな事情があって、子供の頃に母親に出て行かれた篠原ゆき子
その時にテレビで見ていたのが『冬の終わり』が主題歌だったテレビドラマ
店から走り出したのは母親らしき人影を見かけたから、ということなのだが
まだまだストーリーのごくごく序盤だけを見せられた印象だった
『春よ、来い』は、「アレ」をテーマにした物語
もちろん優勝のことではないが、どこかで意識したのではないだろうか
この作品での「アレ」は、本当にかなえたい願いを1つだけかなえることができる力のことで
宮崎あおいや池松壮亮の一族がそれを使えるのだと最初に台詞で説明がなされた
しかし、終わってみると「アレ」の力が本当にあるのかどうかもぼんやりしたまま
池松壮亮の父親の田中哲司の「アレ」の説明やルールもあやふやだし
宮崎あおいの母親は、自分が「アレ」の力で願ったからある人が死んでしまったと思っていたが
宮崎あおいが話を聞きに行くと、その人は母親が願うよりもずっと前に余命宣告されていた
単なる思い過ごしのようだが、全く別々に暮らす2人が同じものを同じ「アレ」と表現して
子供に伝えているということは、何か根拠があるようにも思えるが
そのことは読者が考えてくださいというのが小説家の手法でもある
言ってみれば、3作とも小説っぽいドラマだなという印象
悪く言うとすれば、原作をドラマに昇華しきれていない作品だとも言える
ドラマのために原作を書いてもらって、それをドラマ化するという今回の手法の是非
その評価は、今後数年の間に同じ手法の作品が生まれるかどうかということになるのだろう