日本政府は 北海道白老町 アイヌ民族博物館を 閉鎖して 3000億円をかけて リニューアル し開設しました


 アイヌ民族の骨を返せ


 日本政府は過去から現在に至るまでのアイヌ民族の骨を 十数年返すことはありませんでした


 その理由は DNA の検査であり 縄文人と渡来人の 混血が現代人であると言う 証拠を集めるためでした


  もちろん縄文人は北方と南方のアイヌ民族であり 私たちの 古い先祖でもあったことがこれで明らかになったのです日本政府は発表しましたが メディアは一切取り上げていません


 世界一の日本の DNA の科学は 5000年前に鳴門海峡から私たちの先祖である渡来人が渡ってきて日本の国で混血を 作り上げて言ったことを証明しています


 公にされていませんが これが事実であることを国会議員が知り第1次安倍内閣でなんと3000億円を 拠出することが決まったんだよ


 阿武隈山脈に挟まれた秋田県


 新生山脈帯に阻まれた 鹿児島県


 海に阻まれた沖縄県と北海道


 縄文人と渡来人の 混血が遅れました だから美人の産地なんですね


 日本の DNA の研究により 世界最先端の研究により僕の体にもあなたの体にも 日本人の DNA には縄文人の DNA が入っていることがわかりました 


 差別をしていた 残された民族 あるいは私たちが 法律により同化しようとした 民族 


 北海道のアイヌの人たちや 琉球の人たち、九州に最後まで残った クマソと呼ばれた 縄文人の末裔は 一番古い 私たちの先祖だったんです


 日本政府の国立文化財研究所の 論文を見てください そこに書いてあります


 僕は20代のころ、ダムを造る前の未開な日高の山岳地帯で「地質調査」のお仕事をしていました。そのころ、人々から離れて「民族」として神々と生きるアイヌの方々と、大自然の中(現 奥沙流ダム周辺 )で生活をともにしたことがあります。



 彼らの精神性は驚くほど高く、そして不思議な力を誰でもが持っていました。僕は彼らに面倒をかけましたが、心から、今でも尊敬してやみません。


 その後、自然の中でさまざまな困難に出会ったとき、あの時習った彼らの教えに何度助けられたことか、枚挙に暇がありません。



  青森県三内丸山遺跡の発見により縄文人は定住せず、農耕を行っていなかったという定説が見事に覆されてしまいました。


   また、国立科学博物館の見解では、縄文人の末裔として琉球とアイヌにその血が濃く残っていて、渡来人(弥生人)が大挙して上陸した関門海峡周辺を中心に混血率が高まり、弥生人の血が濃い西日本と縄文人の血が濃い北海道~東日本・九州南部~琉球という現在の日本人の図式が出来上がったといいます。


 そして、日本には地名として多くのアイヌ語が残っています。北海道には多くのアイヌ語地名が残され親しまれていますが、土佐でも「四万十」は「甚だ美しい」とするアイヌ語のようです。(※寺田寅彦 全随筆集2(岩波)「土佐の地名」より)


 さて、アイヌの人々はどの様に土地に名前を付けたのでしょう。一番多く、地名の中に残っている文字は「内」と「別」です。内とは沢や流れのある山岳部の川。別とは水が滞る平野地帯の川。ワッカとは飲み水があるところ。ですから稚内市(わっかないし)は、山岳地帯を有した沢があり、水が綺麗で飲み水に適した場所となります。では「当別や江別(札幌の隣町)」は?石狩川流域の平野で、水が滞り時に洪水を起こした歴史があります。そう、地名を聴けば行ったことのない場所でもどのような地域なのか想像できるというわけです。



  アイヌの人々は動物や現象など、全てのものに「カムイ」が宿ると考えました。カムイとは言うなればカムイモシリ(神の国)から来た「魂」であり、それが物事の「真体」と考えます。


イオマンテ(魂送りの儀式)はカムイを神々の世界であるカムイ・モシリへ送りだす儀式です。ヒグマ(キムン・カムイ)は爪や牙、毛皮や肉等、アイヌの人々にとってはかけがえのない生活必需品を与えてくれる動物でした。そしてそれは「カムイ」が慈悲によりヒグマの肉や毛皮をまとい人間の土地(アイヌ・モシリ)に下りてきた姿なのです。もしも彼らがよくばり、不必要な狩りを行ってしまえばカムイ・モシリの神々に怒りを買うのとは当たり前の話です。


 彼らはカムイと協力し支えあい、大自然の意に反することなく生きてきた民族です。そのカムイをもう一度、感謝をこめてカムイ・モシリへ送り帰すことで、再びカムイは生活必需品をまとい、アイヌ・モシリへ帰ってくるのです。


  そして「カムイ」とは、私たちが古来より信仰してきた「神」の語源です。数々の霊験を有する八百万(やおよろず)の神々が日本に誕生したのも、実際はこの哲学により醸成されたもの。雨や天候は「竜神様」。豊作祈願は「お稲荷様」等、アイヌの人々の様に事象や物理現象にも神が宿っています。


 このことを「多神教」であると解釈する民俗学者もありましたが、大自然とのかかわりを普遍的に敬い、恐れ祈るこれらの哲学は、より生活に密着した知恵であったとも理解できます。


  さて、これら「カムイ」(あるいは神)を生活の基盤とする生き方は、プラトンが提唱したイデア論にも通じるものがあります 。カムイモシリ(神の世界・理想郷)がイデア界であり、アイヌモシリ(人間の世界)がプラトンの洞窟の比喩がさす「影」であったのです。


 旧暦の10月。日本各地では出雲への神送り、神迎えが行われます。八百万の神々が故郷へ帰り、また戻ってくる送迎の儀式です。これらの儀式がアイヌ民族のイオマンテから派生したことは想像に難くありません。私たちの祖先である「渡来人(弥生人)」は、この土地をいただき、地名をいただき、さらに神々の名前や世界までも継承して、この日本を築いてきたのです。


 


優しい気持ちになれますか


見えないものに耳を傾けますか


そして生きている奇跡を信じることはできますか


公開


近年で人気第一の記事:

下呂温泉

般若心経は仏の経ではありません。

観世音菩薩の言葉であり、仏と菩薩の違いは雲泥です。

まして、法華経を仏から習う菩薩の感想でしかありません。

なので、法華経を修することなく般若心経ばかり読んだり

書いたり、伝えたりすると、不幸になるのは当たり前です。

それは、風邪薬を飲まずに風邪薬の説明のみで治ると

誤解しているのと同じです。肺炎で苦しむことになるんだ。


※関連記事2:深遠な智慧の完成「般若心経」の真実


この意味が分からい人は↓を読みなさいね。幸せになるよ。


多聞の!

◆法華経の真実 七つのたとえ話◆


・その1 譬喩品第三
「三車火宅の譬え」


・その2 信解品第四
「長者窮子(ちょうじゃぐうし)の譬え」


・その3 薬草喩品第五
「三草二木の譬え」


・その4 化城喩品第七
「化城宝処の譬え」


そ・の5 五百弟子受記品第八
「貧人繋珠(衣裏珠)の譬え」


・その6 安楽行品第十四
「髻中明珠の譬え」


・その7の1 如来寿量品第十六


・その7の2 法華経完結編


一心に仏を見奉らんと欲して自らの身命を惜しまず。(不惜身命)


・法華経最期の伝言
「涅槃経 雪山童子の物語」

愛に殉じた私の先生。 宮沢賢治先生




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