今回の体験、これで最後になります。


これまでのお話は

不思議体験①


で、確認していただけると幸いです。



①熱田神宮の「こころの小径」でパワースポットを感知した結果、熱田神宮内最古のお社「日割御子神社」で伊勢神宮「荒祭宮」と同じ体験


②熱田神宮内で点在するスポットが直線上に重なるため尾張國の神社を探索し、「大縣神社」にたどり着く


③「大縣神社」で人生初のハプニング←今回ここです。



熱田神宮→大神神社(愛知)→真清田神社と回り、大縣神社に到着したのは7月2日19時40分。



20時以降参拝禁止との事で時間ギリギリでした。




薄暗いので参拝前から少し怖いです。




着いた時点ではここも違うな。と思っていました。


理由は、鳥居の向きが熱田神宮のある南の方角ではなく西向きだったんです。





神社というものは何か意味のある方角を向いていることが多いです。


家に神棚を設置している方はご存知だと思いますが、基本的に東向きor南向きに置いてくださいね。と神社庁からも説明があるほどに向きを重視しています。




昔の神社は山岳信仰が多く、御神体とするお山の方角に向けて建てられていることが多いです。





「大縣神社」の説明にも垂仁天皇27年に本宮山の山頂から現在地に移転したと記載があります。



大縣神社の東に位置する本宮山の山頂には、現在も奥宮があるとのことですので、鳥居はお山の入り口である西側に設置してあるということだと思います。





時間的にもここが最後。


なのに、鳥居はあっち向き…


ガッカリ感はあるものの参拝に向かいます。




手を清める為に「手水舎」へ向かいますが、水が出ていません。時間ギリギリすぎて止められちゃったかなーと思いつつも、竹の筒へ手を差し出してみます。



水が少しだけ出てきました。とても暖かい水で、かなり長時間の間止まっていたことがわかります。


センサーなのか、神社の方が出してくれたのか不明ですが、手を清めることはできました。






こちら拾いものですが、「大縣神社境内図」です。




御本社→姫之宮→むすび池→大国恵比寿神社と回りますが、探しているゾリゾリ感はありません。





しかし、鳥居をくぐった時から熱田神宮の「こころの小径」と同じような指先のビリビリは強烈すぎるほどに感じていました。



明らかに今までの場所とは違います。



ゾリゾリはありませんが、すごい薄いけれど似た雰囲気といいますか、鳥肌が出そうで出ない感じといいますか…




なにかありそうだけど、わからない状態。

時間はもうありません。





帰る前にもう一度、御本社へ参拝しようと思い立ち寄ります。




そこで、主祭神である「大縣大神様」とこころの中で呼んでみます。なにも起こりません。



この「大縣大神」正体が不明とされていて、検索してもどなたかの推測の結果しか出てこない神様なんです。尾張地方の祖神(おやがみ、祖先)であるとされています





ぼくは何を思いついたのか、心の中で呼びかけてみました。


「もしかして、天之忍穂耳様いたりします?」と。




その瞬間!



荒祭宮と日割御子神社でも感じたゾリゾリが一気に体を覆います!



全身鳥肌まみれのスーパーサ〇ヤ人タイムの到来です。



神様に向けて質問したのは生まれて初めてです。笑




続けてこう問いかけてみました。「寒川大明神もあなたですか?」



すると、スン。とゾリゾリが無くなりました。



違うようです。




というか会話成立してしまってるやん!神様イエス・ノー方式で会話できるやん!やばーっ!て感じです。




寒川大明神というのは神奈川県の寒川神社の神様で、正体不明とされている方です。正体とされる神様の名前が聞き慣れない方で、この時勘違いしていました。後日調べ直したのですが、全然違う名前の方でした。





ここで御本社の向きが、鳥居(西向き)の方角と異なる事に気がつきます。


GoogleMAPで方角を見てみると




完全に熱田神宮の方を向いていました。



時刻は19時55分。もう大縣神社の参拝時間終了寸前です。



神様と会話をした??ような、ある程度の満足感もあり。さて!帰りますかーと手水舎の方向へ





すると、また水が止まっています。



今回は少し遠めから「ちょっとお水飲みたいんだけどなー」と、こころの中でつぶやきます。



すると、水がちょろちょろと出てきました。




手を洗っているとだんだんと水の勢いが増してきます。



というか、勢いがやばいです。出すぎ!!




手水舎からは竹の筒が6本出ていましたが、全てからゴポゴポと水が溢れ出し、水の勢いが強すぎて何本かの筒はピーピー鳴りだす始末です。




ちょっと待って!もういいんだけど!と、思っても止まりません。




センサーなのか!?誰か見ていて水を出しているのか!?辺りを見渡しますが、わかりません。



仮に社務所の中の人が蛇口を全開にしていたとしたら、とんだ嫌がらせです。



人が調節していないとなると、更にやばいです。



どういうこと!?コレは歓迎されているのか!?知ってはいけないことを知ってしまったのか!?



頭の中でぐるぐる思考が回りますが、「水がほしい」と思ったぼくに対して「大量すぎる水」をくれたなら悪いことではないのかな?と良い方向へ解釈しました。




時間はすでに20時、手水舎は大騒ぎ、不審者扱いされても困るので帰るしかありません。



謎な感じで「大縣神社」の参拝は終わりました。




この時点でぼくの心境は『ほんとに無事に帰れるのかな?』です。


(帰り道で手水舎の動画を撮るべきだったと後悔しました。驚きと怖さでそんな余裕ありませんでした。笑)




という話です。





不思議体験すぎて、人に言って良いものなのか?考えましたが、色々と調べているうちに様々なことが出てきたのでご紹介させて頂くことにしました。





ちなみに翌日、「大縣神社」さんへ電話で問い合わせをしてみました。これから行く観光客風に。笑



Q.参拝に伺おうかと思っておりますが、奥宮などはございますか?


A.はい、本宮山に奥宮が3つございます。また、市街に境外社が4つほどございます。



Q.たくさんあるんですね!すごいですね!


A.境外社、末社と呼ばれる場所は他にも多数ございます。



想像以上に歴史がありそうです!


最後に



Q.伺うのが時間外になってしまうかもしれないのですが、手水舎で手は清められますか?


A.はい。当社の手水舎は常時開栓しております。



との事です。



水の勢いがどうのっていうよりも、止まっていたこと自体が不思議体験なのかもしれません。




大縣神社にはとても興味がわきました!

次回、愛知県に向かう際はゆっくり散策したいと思います。




ちなみに大縣神社の境内には、「伊勢神宮遥拝所」と呼ばれる場所があるようです。

この方角には伊勢神宮だけでなく、熱田神宮もあります。






重なり方がキレイすぎる。



そして、伊勢神宮内宮が現在の地に置かれたのは「垂仁天皇26年」、大縣神社が本宮山から現在地に移されたのは「垂仁天皇27年」と、1年差しかないんです。



熱田神宮はこの2つより100年以上後にできた神社ですが、最古とされる「日割御子神社」は、この年代にはすでにあったとされています。




これだけキレイに重なり、年代も同じとなると何らかの意図がありこの3つの神社の場所が決められたのでは?と思いました。




また伊勢神宮・内宮の境内図を見ると、お社はまっすぐ真北へ向いているのですが、祈祷や祭事を行う神楽殿は東北方向を向いています。この方角に熱田神宮や大縣神社があります。




戦国時代、伊勢と熱田の天照大神は2つで1つと言われていたらしく、2ヶ所の天照大神の力をいただくことで本来の力を発揮すると信じられ、参拝する武将がたくさんいたとされます。



豊臣秀吉や徳川家康はもちろん。神仏を恐れぬとされる織田信長さえ熱田神宮へ「信長塀」を寄贈しています。


また、織田信長は尾張二宮大縣神社のある本宮山に城の建設をしようとしていたらしく。その提案は家臣の猛反対にあい、尾張小牧に変更したとされています。




みなさんも一度に「伊勢神宮」「熱田神宮」を遥拝できる尾張國二宮「大縣神社」に足を運んでみてはいかがでしょうか!



不思議な体験ができる…かも?しれません!笑





地球の守り人」からは脱線した話になりましたが、ご覧頂きありがとうございました!



メインテーマの方も頑張ります!よろしくお願いします!