2008年7月27日に掲載した記事でご紹介します。
フリーライター・樹木ジャーナリスト
林 将之
さん
http://www.ne.jp/asahi/blue/woods/
がBe-palという雑誌に掲載された文章でした。
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工事着手前 原発立地側(田ノ浦)から見た祝島(2008年7月)↓

上は今年(2008年)2月 建設地のボーリング調査をしている時の写真だそうです。
海の中に 調査台船 というのが並んでいます。
今は 全部撤去されて 下の美しい写真のようになっています。
埋め立て工事の着手は2009年初めを予定されているそうです。
以下は フリーライターの林将之さんの書かれたものです。
「ビーパル メールマガジン」 に掲載されたものを編集しなおしてくれました。
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あなたの故郷に原発ができたらどうします?
ある冬の日、
私はずっと気になっていたその場所に、初めて足を踏み入れた。
瀬戸内海に浮かぶ美しい港町、山口県上関町に計画中の
上関原子力発電所の建設予定地である。
小さな入り江にボーリング調査の台船 が建ち並び、
海岸には沈砂池が造られ、クレーンなどの重機が待機する。
着工に向けての調査中と聞いていたが、既にそこは建設現場のようであり、
今更ながら本当に原発ができようとしていることを実感した。
白波の向こうには、今も根強く反対運動を続ける祝島の集落が見え、
そのあまりの真正面さに言葉を失った。
そしてこの14km先には、私が生まれ育った故郷があり、
素潜りや釣りを楽しんできた海がある。
上関原発の計画が浮上したのは1981年。
以来25年余り、推進か反対かで上関町は揺れてきた
(写真集『中電さん、さようなら』 http://item.rakuten.co.jp/book/5120641/
に詳しい)
が、町長選挙で は推進派候補者が毎回約6割の票を得て当選し続けている。
漁業補償などに関する裁判が現在も係争中だが、
事業者の中国電力(本社・広島市)は、2010年の着工、2015年の運転開始を目指し、
2009年初めには埋立て工事を始めようとしている。
現在日本に計画中の原発のうち、いちばん最後の新規立地である。
私が上関原発のことを知ったのは小学生の頃。
この地方では広島原爆の教訓を聞かされる機会も多く、
無知ながらも「できなければいいのに」と思っていた。
大学進学で上京してからは、たまに上関原発の ニュースを耳にすることはあったけど、
「何とかなるだろう」ぐらいにしか思っていなかった。
30歳を過ぎ、仕事も軌道に乗り、生涯の定住地を決める年齢になった今、
ようやく現地を訪れて気づいたことがある。
「ここに原発ができたら、故郷に戻るという選択肢はなくなるかもしれない」。
万一の大事故におびえつつ、子育てができるか。
放射能漏れはないという神話を信じて、この海の海産物を食べ続けられるか。
貯まり続ける放射性廃棄物の行く末を気遣いながら、暮らしていけるか。
私はそのリスクに真正面から向き合い、故郷を天秤にかけなければならない。
県内最少人口の自治体である上関町(計画浮上時は約7000人、現在は約3500人)には、
原発誘致によってこれまでに約40億円の電源三法交付金がおり、
着工すればさらに200億円前後の交付金がおりるとみられ、
操業開始後は固定資産税の収入も格段に増える。
それを見越してか、既に新しい公共施設が次々とでき、
有名人を招いた大きなイベントが開かれ、周辺市町村との合併も早々と断った。
近隣の漁業協同組合(祝島漁協を除く)は、中国電力と約125億円の漁業補償契約を交わし、漁師1人当たり5000万円ともいわれる金額の半分を既に受け取っている。
上関町が期待を寄せる「地域の活性化」という思惑通り、町は潤ったかにも見える。
しかしその潤いは、故郷を離れて暮らす人々を呼び戻す魅力があるだろうか。
これから故郷を離れる若者たちは、また戻ってきてくれるだろうか。
既に多くの発電所を有する山口県では、電力は不足していない。
上関原発は、大阪圏や広島に電力を供給するための発電所といわれている。
計画通りに進めば、10年後には広島市にも多くの原子力の電力が供給されるのは確実で、
核兵器廃絶を訴える都市・ヒロシマが、一方では
原子力エネルギーに頼って暮らしてくことになる。
この矛盾を、多くの広島県民は認識していないのが現実だろう。
世界唯一の被爆国である私たちの進む道は、もっと他にあるはずではなかろうか。