アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/07/09(火) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/07/09(火)💖💓💛💖🌈


● 第一日課:アモス7:7-15
 7:7 主はこのようにわたしに示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。 7:8 主はわたしに言われた。「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「下げ振りです。」主は言われた。「見よ、わたしはわが民イスラエルの真ん中に下げ振りを下ろす。もはや、見過ごしにすることはできない。 7:9 イサクの塚は荒らされ/イスラエルの聖なる高台は廃虚になる。わたしは剣をもってヤロブアムの家に立ち向かう。」  7:10 ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中でアモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。 7:11 アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられてその土地から連れ去られる。』」 7:12 アマツヤはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。 7:13 だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」 7:14 アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。 7:15 主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。

:今週のテーマ【永遠の愛から】

【聖句断章】7:7
主はこのようにわたしに示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。
    
@ 主が手に持っておられる【下げ振り】は何か? 何かの実用的なものか?それとも単に象徴か? 超古代史のシュメールや世界中の彫像で神々が持っているバッグのようなものが一体何なのかを多くの人々が探求しているが、未だにそれが本当に何なのかは分かっていない。今日のテキスト中、アモスの幻の中に描かれている【神の下げ振り】が、もしかしてそれだったりしてと夢想する。いずれにしてもアモスはそれを幻の中で見ている。【下げ振り】そのものは建築現場で必ず必要なものであるので、良く知られていただろう。だが、【神が持っておられる下げ振り】がそれと同じものかどうか?もしかすると特別なものかもしれない、とこれも夢想する。 平和のための何らかの標章、権威の象徴としての持ち物なのかもしれない。とまたまた夢想した。シュメール時代の神々の下での平和と、アモスが神の平和の不動点としたものが同じ一点かどうかはだが全く別問題である。むしろ真逆ではないかとさえ考えられる。シュメールの神々の平和はおそらく、今日で言えば、DSの目ざすNWOのような専制支配者の平和だっただろう。そのような平和は人々にとっては奴隷支配の世界を意味する。それから500年後のローマ帝国のパックス・ロマーナPAX ROMANA、ローマの平和も同様にまさにそうだったように。

* アモスの【神の下げ振り】は【イスラエルの真ん中に下ろされる】。先週のエゼキエル2章で、イスラエルは【反逆の民】と呼ばれ、神はバビロンに連行されて行ったイスラエルをそう呼ばれ、そのイスラエルにエゼキエルを遣わす。だからエゼキエルよ、お前は自分自身の足でしっかりと立て、とエゼキエルに命じられた。エゼキエルと同様に、アモスも同じような【反逆の民】状態のイスラエルに遣わされる。この度はイスラエルの支配者たちに焦点が当てられている。まだ国が存在していたからであり、その存続のためには指導者の責任が決定的だからである。≪イサクの塚は荒らされ/イスラエルの聖なる高台は廃虚になる。わたしは剣をもってヤロブアムの家に立ち向かう≫と神の決意をアモスは聞かされる。アモスは北イスラエル王国がかろうじてまだ存続していた紀元前8世紀初頭に活動した預言者である。その後まもなくして北イスラエルはアッシリアによって滅亡させられる。

* アモスの【神の下げ振り】は神の【永遠の愛から】発露するイスラエルに対する熱情的愛が求める平和の象徴である。その永遠の愛を受けて止めて、神を魂の底から愛する者とされたアモスは神の宣言される平和をイスラエル王に語る。愛ゆえに国王とそのお抱え預言者 アマツヤと戦い、一歩も退かない。

@ 【神の愛と神への愛】の相互性 :  アモスは牧羊を通して神から愛されていることを知った羊飼いだった。その彼に神はイスラエルを飼う者としての使命を与えられた。農(牧羊も農の一部)は人を、神を愛する者とさせる全能の力である。神は人が神を愛する心を抱くことが出来るようにと、太陽も月も、万物をお造りになった。

*神への愛と神の愛の表裏一体 : アモスは牧羊を通して神から愛されていることを知った。その彼に神はイスラエルを守り導く羊飼いとしての使命を与えられた。アモスは自らの農の経験と共に、それが詩篇23篇のみことばに裏付けられて、イスラエルを愛する神の愛を学んだにちがいない。

* 詩篇23 : ≪主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。≫  

* このみことばをとおして、神がイスラエルを愛する愛と、アモスがイスラエルを愛する愛が彼の農の経験とピタリと重なる。 イスラエルとはエゼキエルなど預言者によって【神の慈しみに生きる者】と呼ばれ、その伝承は500年後のパウロによって【神の慈しみに生きる者】は誰でも 【霊のイスラエル】であり、霊のイスラエルこそ真のイスラエルだと宣言される。

* アモスは神への愛ゆえに国の預言者と戦い、一歩も退かない。 神への愛は国の暴力への恐れよりも強い。今日の我々も今秋からのレプリコンワクチン強制接種を巡って、もしかしたら国の緊急事態宣言を通して、そのことが試される時を迎えるかもしれない。そうでなくても、国家と神の狭間で私たちは何をどう選択すべきか、何の権威、誰に従うべきかが日毎にいつも問われている。それは今の時代、キリストか反キリストかの選択の問題として収斂する。

* 反キリストの霊は、太古の「始めの時」から、蛇兄弟団、グノーシス、テンプル騎士団、フリーメイソン、イルミナティ、その集大成としての終わりの時の一つの世界政府NWOを主導するDSが自己主張する 自らを愛する【人間の知恵】が、パウロの宣言する 神を愛する【神の知恵】と死闘を繰り広げてきた人類の歴史全体を背景に、終わりの時に表に現れる悪魔の霊である。

💓 狡猾な反キリストの霊の誘惑に惑わされないで、【永遠の愛から】発する主の平和の不動の一点に立って、自立できますように!

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