アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/06/12 (水) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/06/12 (水) 💖💓💛💖🌈

水曜特番:翻訳
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind  by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books『創世記6章陰謀 :秘密結社と巨人の子孫たちの人類奴隷化計画』
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第4部  【最終世代:ヤコブの患難の時】
第46章  【偽預言者】   487-499/1133
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≪しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った【偽預言者】も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と【偽預言者】の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。≫黙示録19:20



* 人類の未来を偽科学の再導入によって変えた一人の【偽預言者】がバベルにいた。バベルでバビロニアとエジプトの神秘宗教を創設したと信じられているこの【偽預言者】とは誰であろう?

* この反逆の神秘的偶像、錬金術の寡黙な守護聖人はもちろんヘルメスである。洪水前時代に元祖神秘宗教であり、大災厄をもたらしたのは悪人エノクだった。そこで、終わりの時代が誤って理解され、奇妙に古の時を模倣するならば、未来の【偽預言者】は終末時代の普遍宗教をどのように導入し、課し、導くだろうか?

* 粉々にしたキリスト教を堕落させ再組織化することによって舞台の中央を占拠する終末時の偽宗教の到来を恐れをもって予期しなければならない。それは起こらねばならない。黙示録に未来の宗教とその指導者についてこう書いてあるからである。≪わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。≫(13:11-14)と、この未来の宗教とその指導者について描いているので、そのことが起こるにちがいないことが分かっている。

* 「小羊」の比喩はキリストとその教会を表している。それは、イエスが「神の小羊」であるようにである。小羊の角に似た二本の角がある獣はあまり知られていないが、バビロンの未来宗教を導く【【偽預言者】】である。「竜」とはサタンのことである。小羊の角に似た二本の角があるこの竜は偽りのキリスト教指導者を象徴している。この下品な獣は竜のように話し、その本性を刻印する。この獣は竜とネフィリムの時代に初めて導入された多神教の神学であるバビロンの教えを語る。この来るべきバビロンは変質した形のキリスト教の背後に賢く自らを覆うであろう。この預言に描かれている第二の獣は悪名高い反キリストである。この未来の普遍宗教ははじめ主流キリスト教に浸透し、それを堕落させ、それに普遍的キリスト教の外装を与えてから残りの世界宗教に広げて行くにちがいない。

* 未来の淫婦宗教は【【偽預言者】】、このアダム時代の最も邪悪な人物たちの一人によって導かれるだろう❷。黙示録13章に描かれているこの極悪非道な人物❸は、全ての時代を通して最も偉大な預言者の一人として崇められるであろう。彼はモーセのようにその評価と華麗さの両方で尊敬されるであろう。彼の役割は偽エリヤの役割だろう。【偽預言者】はメシアの到来のしるしとしてのエリヤの聖なる務めを狡猾に専横して、洗礼者ヨハネがエリヤの霊によって荒野でイエスの世界への登場の道を備えた時のように、偽メシアの入場の道を備える務めを与えられた❹。

* 【偽預言者】には彼の偽りの信用を受け入れるように大衆を騙す超人的力が備えられるであろう。彼は天から火を下すことまでもするような偉大なしるしと奇跡を行うであろう❺。未来のヘルメスは我々の世代が証言したどんな証言よりも大きく、説得的であろう。彼の力は主権者としての偉大な宣言と、堕天使が集めることのできるあらゆる心揺さぶる力によって支えられるであろう❻。【偽預言者】と偽りの宗教の遠大な目標は新しいニムロドである偽メシアを王にすることである。この未来のヘルメスがアトランティス、エノク、バベルの失われた知識を再発見し再導入することを予期せよ。

* この未来の異教的ヘルメスは、≪偽キリストや偽預言者たちが現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。≫❼とあるように、様々なレベルの新たな別の偽預言者たちが近代のあらゆる形のマギや賢者として随伴されるであろう。近代のマギによって達人的に為される黒魔術の宣言は信頼を得るだろう。それには異星人のまやかしも含まれることであろう。全てにおいて意図されているのは、聖書に無知でテクノロジー的に進歩した、一神教諸宗教をも含めたこの世界の全ての宗教を包括するいわゆる光明宗教を信じる、反体制的世代を説得し騙すことである。

* 終末時代の預言の中で提示される宗教的統一は多くの人々、少なくともこの最終世代に起こるにちがいないことを信じようとしない者たちにとっては信じがたいものであるが、全ての多神教宗教は容易に一つの傘下宗教の旗の下に結び合わされるであろう。何故なら、それらはみな同じ起源のカインの偽りの宗教に根ざしているからである。東洋のヒンズー教や仏教もバビロン宗教の亜種である。ヒンズー教はバビロン神秘主義の分派がペルシャのアーリア人を介してインドに移植されたものであり、仏教の始まりはヒンズー教からの若枝だった❽。Gary H.Kahは彼の著," En Route to Global Occupation”(世界占拠の途上)において、全ての東洋の宗教はヒンズー教や仏教を通してみな古代バビロニアに辿れると述べている❾。今日ヒンズー教はインド亜大陸に影響を与え、仏教はスリランカからチベット、中国、東アジア、日本へ影響を与えている⑩。

* 一神教もユダヤ教を根幹宗教としてみな同じ神に根ざしている。キリスト教はユダヤ教の預言を成就したユダヤ教の分派であり、もちろん、イスラム教は審判に焦点を当てた一神教の新緑だと宣言している⑪。イスラムの急進ファシスト派は、原初の神の言と法はユダの民によって堕落されたと考えており、聖霊を受けた預言者マホメットによって改革され、神的の再興されたと考えている。”Medieval Islam”(中世のイスラム)の著者Von Grunebaumはイスラム教徒は、ユダヤ人たちが自由意志で捨てたアブラハムの宗教をイスラム教が復活させたと信じていると述べている⓬。

* 文字通りのコーランは旧約聖書も新約聖書の福音書も堕落したものとして排除していないというのが真実である。コーランは天使ガブリエルからマホメットに伝えられ、それ以前の二つの聖典の正確性と正統性を忠実に支持し、同じ出来事の並行した証言と物語を通して、またいくつかのケースではもっと詳細に語って補強している⑬。コーランは最初の二つの聖典と完全に一致して、トーラーと福音書を信じる真の聖徒はコーランをも信じるだろうと言って、第三の聖典であることを証している⑭。

* 事実、コーランは汚れなき乙女マリア、イエスの十字架と復活の純粋な教えを証している。そしてイエスは本当に預言されたメシアであり、律法を成就するために来たイスラエルの救い主であると証している⑮⑯。コーランは神がアダムを創造したように、言だけでマリアと合体したというような考えには徹底的に反対した⑰。そしてこの精神と聖典でコーランは、ヨハネや黙示録が証しているように、イエスは肉となった言であると証しする⑱。それは、原初から神と共にあった言であり、全てのものがそれによって創造された言である⓳。

* イエスは今や神の右の座している方⑳、原初から霊において存在した方、神が彼によって全てを造られた方㉑であり、その区分けは難しい。わたしは尊敬をもって、神がその言であるイエスを通して語られると信じていると言おう。この結論は創世記1:1-31を反映しているからである。≪そして神は言われた。・・・あれ≫と言われると、全てのものが造られた。この神は言であり、イエスである。わたしはイエスが神の言であり、神は言/イエスによって我々に語ると結論づける。神は全てのものを彼の言/イエスによって造られた。≪ この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。≫(ヘブライ1:2)。神とイエスは完全に一体であるが、しかも言なるイエスは何か神とは異なる存在である。そのことをわたしはこれから説明しようと思う。故に、言/イエスと聖霊は神の最も大いなる存在として私たちに現れ、両者は一致しているが神とは離されている存在として、神の最も大きな指示を行う。この意味でイエス像を神の「枝」とする規定は正確である㉒。御子は神の栄光の輝きであり、その存在の正確な代理として全てのものを彼の偉大な言によって支える。彼は罪の清めの後、天で至高なる神の右に座す(ヘブライ1:3)。 ≪ 御子(イエス)は見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。≫(コロサイ1:15)。もし聖霊と言が霊である神の腕/枝であるのなら、全ての聖典と全ての一神教は、たとえ様々に分かれていて、制度的信念体系があれを認めこれを認めないとしても、みな同一である。というわけで、コーランは並行的証言として、イエスがメシアとなったこと。しかし、神、聖霊、イエスはそれぞれ何らか異なるが、不可分のものであることを証ししている。

* さらに、使徒ヨハネは≪初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。≫(ヨハネ1:1-3)そして≪言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。・・・ いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。≫(ヨハネ1:14-18)とさえ言う。≪(イエス)は 血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言」と呼ばれた。・・・この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。≫(黙示録19:13-15)

* 旧約聖書の箴言ではさらに進んで、≪主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが/わたしは生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵もまだ造られていなかった。わたしはそこにいた/主が天をその位置に備え/深淵の面に輪を描いて境界とされたとき 主が上から雲に力をもたせ/深淵の源に勢いを与えられたとき この原始の海に境界を定め/水が岸を越えないようにし/大地の基を定められたとき。御もとにあって、わたしは巧みな者となり/日々、主を楽しませる者となって/絶えず主の御前で楽を奏し主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し/人の子らと共に楽しむ。さて、子らよ、わたしに聞き従え。わたしの道を守る者は、いかに幸いなことか。・・・わたしを見いだす者は命を見いだし/主に喜び迎えていただくことができる。わたしを見失う者は魂をそこなう。わたしを憎む者は死を愛する者。」≫(8:22-36)とさえ証している。

* コロサイ書は箴言8章を支持して、言なるイエスは独自の存在であるというわたしの論点を支持している。≪そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分にあなたがたが与れるようにしてくださった御父に感謝するように。御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子【言/イエス】は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子【言/イエス】において造られたからです。つまり、万物は御子【言/イエス】によって、御子【言/イエス】のために造られました。御子【言/イエス】はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子【言/イエス】によって支えられています。また、御子【言/イエス】はその体である教会の頭です。御子【言/イエス】は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子【言/イエス】の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子【言/イエス】によって、御自分と和解させられました。≫(コロサイ1:11-20)

* さて、ヘルメス主義/サビアン主義はイスラムに混入されて以来、イスラムに法外な影響を与えた㉓。実際、BaigentとLeighは、イスラムの教えは他の宗教の預言者とそれらが「書物」から来ている限り、イエスやモーセ、仏陀、ゾロアスターのような他の預言者とその教えも認めていると語っている(それは故意に誤導されているが)㉔。コーランが「書物の民」と呼んでいる民とは、至高なる神に遣わされた一神教の聖典を信じる民のことであり、多神教の聖典の民のことではない。

* 逆に言えば、イスラム教哲学は直接にヘルメスと繋がっている。ヘルメスはイスラムの神秘主義の伝統ではIdrisイドリス/エノクとして名高い㉕。だがそのコーランのイドリスも聖典で一神教の預言者として記されている㉖。愛知なる哲学はギリシャ語のphileo「愛する」とsophia「知恵」から来ており、工芸、科学、その他どんな知識分野(聖七学)であれ、特別の熱意をもって人生の道や一貫した世界観を発展させようとする努力である㉗。哲学は特定科学よりも上位にあり、科学を調和させ一致させる裁定者であると結論付けられている㉘。イスラム教哲学とヘルメス主義は悪人エノクの時から由来している。それ故、アラブの哲学はイスラム教の一神教ではない。イスラム教哲学は多神教/神秘主義であり、スーフィーやイシュマエル人その他の中東カルトを通してイスラム世界を乗り越えている。Boothによればスーフィー宗教は、そのチャクラについての教理を見れば非常にヒンズー教に依拠しており、一神教の宇宙論、アリストテレスの哲学、ヒンズー教、ゾロアスター教、仏教、ネオプラトン主義、グノーシス主義、そして中国の科学である㉙。

* 洗礼者ヨハネの信奉者の背信的分派セクトであるマンダ教/サビアン主義は
スーフィーの神秘主義から多大な影響を受けており、逆にそのスーフィーがグノーシス主義のテンプル騎士団に大きな影響を与えている㉚。サビアン主義は太陽と星を崇拝する悪人エノクの宗教であり、そこで既に神秘主義に親和性があるが、逆に言えば、キリスト教とユダヤ教に対しては、神秘的イスラムファシストとイスラム制度によってイスラム教徒に及ぼされた影響がなくても、死違和的であろう。だがそれは今世界に影を落としているイスラム熱狂主義からは明確ではないかもしれない。

* 乗り越えられないように見える大きな分裂が今一神教の信奉者たちを鋭く分断しているように見えるが、この三大一神教は本当にホント、橋を架けることが出来、そして、悪しき諸理由によってあらゆる特異なペテンがなされても、統合出来るかもしれない。何よりも、キリスト教のメシア・イエスが神の位から他の多くの偉大な預言者と同じ預言者のひとりに格下げされねばならない。地を揺るがすような発見が遠くない将来に世界舞台に爆発的に発信され、イエスが神ではなく、人間であったこと、十字架に付けられたのではなく、実際に十字架上で死んだのではないということを明らかにする反駁がなされることが予期される。イエスは聖三位一体に属する者として復活されたのではないことが証明されるにちがいない。これら三つの一つが格下げの過程で前面に出るにちがいない。聖書は反キリストの霊がイエスが真のメシアであることを否定すると教えている㉛が、しかしそれは必ずしもイエスの歴史性を否認するものではない。イエスは他の預言者と同じ次元に格下げされることが期待される。

* この粉々にされたキリスト教から上って来る【偽預言者】は、イエスが死すべき人間であってメシアではないと宣言しているグノーシスとイスラム・ファシスト教理を支持するよう扇動するだろう。【偽預言者】はイエスが偉大なる預言者であるが、死すべき預言者であり、決してメシアではないと宣言するだろう。【偽預言者】は粉々にされたキリスト教を偽りの「光明」なる知恵と奇跡をとおしてローマに中心を持つ新しい普遍的宗教へと導くであろう。そうして遂には【偽預言者】は反キリストの腕に全てのものを導くだろう。これら全てはユダヤ教にもイスラム教にも受け入れ可能であろう。イスラム神秘主義制度教会はイエスを世界に遣わされた一連の預言者の一人として観ている㉜。それは、既にユダヤ教がイエスを殉教した長蛇の預言者の一部として認めるが、神の御子、メシア/キリストとして神と認めることはないのと同様である。

* キリスト教は多神教ローマにとって災厄だったように、今も謎である。他の宗教はどれも真の普遍的メシアを受け入れなければならないがが、まだ探しているところだと思っているであるが、キリスト教徒だけはキリストの最初の到来を実際に証ししており、最後の勝利の帰還を待っていると思っている。多神教でさえ彼らの(偽りの)メシアの到来を熱烈に探していることを知って驚くかもしれないが、彼ら自身の教えや聖典によれば実際そうである。

* コーランはイエスをメシア・キリストであり㉝、大いなるメッセンジャーであり預言者である㉞ことから格下げしようとはどのようにも思っていない。さらに、コーランは聖霊がマリアに臨んで、処女がイエスを生んだと証言している㉟。コーランはイエスの務めと奇跡、死と復活を証している㊱。だが、たいていの制度的イスラム教会はイエスが復活して天に上げられたと認め、イスラエルに限定されたメシアであり偉大な預言者であることに満足するだろう。制度的イスラム教会と哲学はコーランとは鋭い対立をなし、不可解にもイエスをマホメットより低い預言者に格下げしている。

* キリスト教の異端分派として知られるグノーシス主義のことを考えれば、この終わりの時のシナリオがもっともっとはっきりしてくる。しかしグノーシス主義はセクトよりもずっと大きな分派である。グノーシス主義は近代のフリーメイソンによって支持されており、過去のテンプル騎士団、カタリ派、マニ教、Bogamilボガミル、Fisher Kings漁夫王、REX Deus、Prior of Simonシモンの長老、エッセネ派などの組織に育まれたキリスト教神秘主義分派である。グノーシス主義は神智学協会の秘伝的部分と言う方が正確であろう。グノーシス主義はこのオカルト運動の先駆者である。Nag Hammadi文書の収集家 James Robinsonは神智学を、グノーシス主義を普遍的で結社から自由なスタイルで吸収し、もっと大きなオカルトとして統合したものと記している㊲。

「オカルト主義」とはG.I.Gurdjieffグルジェフによって伝えられたものを意味するギリシャ語legomenonから取られた言葉で、意図的に或る全く異なる目的を意図して表現された思想的構築物であり、タロットカードのようなものである。現代のオカルト主義者はこれをレゴメニズムと呼んでいる。他の者はラテン語の「隠された」を意味するoccultusから来て、隠された哲学とか科学などにおいて用いられたことから発していると言う者もいる㊳。しかし、ウェブスター辞典はoccultを「神秘的魔術的超自然的であり、隠された神秘的なものを探求する学問」と定義している。神智学がその真の実践的精神を反映している。超自然的宗教はオカルトとして分類されてきた㊴。オカルト主義者はオカルトの定義を、神秘的な隠された存在次元からの霊的諸力がたえず物質世界に影響を与え、人間はその諸力を直接的に経験することを学ぶことが出来ることに同意する㊵。

* オカルトの伝承におけるレゴメニズムは、知恵が伝達される方法であり、聖杯物語と妖精の話をとおして全く異なる目的のために意図されたものとして現われている㊶。或るオカルト主義者たちはこの芸術家のようなコードを「緑の言葉」あるいは「鳥たちの言葉」と呼んでいる㊷。この目的に沿って、オカルト主義者はキリスト教とその源泉資料である新約聖書はレゴメニズムの一つの形式であり、新約聖書は文字通りに取られるべきない単なる象徴的な物語の収集であり、記されている出来事と人々は文字通りの翻訳では不明瞭な真理を伝えるために工夫されていると信じている㊸。

* キリスト教グノーシス主義は彼らこそ真正のキリスト教であり、偽キリスト教カトリックとその字義的解釈によって迫害されてきたと主張している。キリスト教グノーシス主義は聖書の近代訳は天から降ってきたものではなく、カトリックとコンスタンティヌスに操作された人間の造ったものであると信じている㊹。グノーシス主義はイエスを神と考えないキリスト教の神秘主義分派である。彼らはイエスは偉大な預言者であるが受肉した神ではないと考えている。また、イエスは十字架の上で死んだのではなく、彼の王統の血統は秘密裏に継承され、それは今日においても途絶えていないで、ただそれが中心舞台に出る機会を待っているだけであると信じている。

* キリスト教グノーシス主義はさらに、初期キリスト教、特にエルサレム教会はイエスを偉大だが死すべき預言者とみなしていたと信じている。彼らは死すべきイエスはキリスト教の主流諸派に残っていると信じている。パウロの異端的分派を除いて。キリスト教グノーシス主義はイエスの神性はローマとコンスタンティヌスに対する法外な影響力を行使したパウロの分派によって起こったと信じている。イエスが神の御子となったのはニケア公会議以後であると信じている。ニケア公会議で司教たちが神的身分にまで高く挙げられたイエスに投票して、元々のメッセージだと彼らが言うものとイエスの教会を乗っ取ったと信じている㊺。コンスタンティヌスはニケアで紀元325年に設立されたこの(新たな)統一的定義とキリスト教の教理に同意する者のみに財政支援した㊻。その部分は正しいが、グノーシス主義はイエスを、言、人の子、メシア、キリストと認めることも、処女降誕も復活も認めない。

* この代替え的思考ラインの中で、イエスの神的身分への高挙はコンスタンティヌスとローマ教会の権力の拡大強化のためのものと流布された。グノーシス主義は、イエスを神の身分に高め、イエスの神性教理を強調した福音書の正典化を収集する陰謀を図ったのはコンスタンティヌス大帝だったと信じている。コンスタンティヌスとカトリック教会はイエスが神の御子であることと対立する他の福音書を全て破棄するよう命じたが、イエスを純粋に人間的特性をもったイエスとして意図的に語るグノーシス主義の福音書のうち、死海写本やナグハマディ文書などのいくつかの福音書がグノーシス主義の地下教会と影の組織を通して生き残った㊼。

* この地下のキリスト教の偽形体が母なる教会カトリックに完璧に浸透し、その主座を狙う位置を占めようとしている。復活を否定する教皇をイメージすることができようか? 母なる教会にそのような異端的な教理を課そうとする人間に身震いするだけである。そうであってもグノーシス主義の異端がカトリックの頂点に登り、教皇となれば【偽預言者】がその道を確かなものとすることは明らかであろう。この黒い教皇は、どのように見ても、カトリックの預言者マラキによって預言された悪名高い反教皇だろう。

* もっと恐ろしいのは、グノーシス主義者が彼らの地位を裏付ける証拠を持っていると信じていることを熟考しなければならないことである。彼らの証拠はもちろん偽り満載で、より巧妙な欺瞞となることだろうが、それは意図的な悪魔の計画である。その時が来れば、彼らは主流派キリスト教をその魂と霊において引き裂く意図をもって地を揺るがすような発見を前面に押し出すだろう。キリスト教は、イエスをキリストとすることを否定する者たちと、母なる教会の頂点で反教皇を道具として用いる者たちとの両面攻撃による大災厄の風の中でどちら付かずの煮え切らない態度に終始するだろう。あまり根が深く張っていない者は皆、彼らの信仰の魂を揺さぶられ、戸惑い、抵抗を止めるだろう。その時こそ【偽預言者】が同じメッセージを持って中央玄関に躍り出てくる。彼の偽りの証拠、偽りの知識、偽りの奇跡をもって【偽預言者】は全ての宗教を一つの偽りの偽メシアを歓迎する宗教へと一つに束ねるであろう。

* この時こそ1ヨハネ4:2-3≪イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。≫ が思い起こさる時である。また、1ヨハネ2:22≪偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。≫が思い起こさる時である。

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次回 : 第47章  光の弟子たち
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