アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/18 (木) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/18 (木) 💖💓💛💖🌈

 


● 第二日課:1ヨハネ3:16-24
3:16 イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 3:17 世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。 3:18 子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。 3:19 これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、 3:20 心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。 3:21 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、 3:22 神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。 3:23 その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。 3:24 神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。

:今週のテーマ【復活の主】

【聖句断章】3:16
イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。
    
@ 神の本質 :「愛」:

* 「神は愛である」はヨハネの手紙の主張そのものである主題である。ヨハネの手紙全体の主張は【神は人間のために死をも惜しまない愛の主である】のテーゼの変奏曲である。見えないものが見えるものを動かすエネルギーであり本質であることの至高のものが神の愛である。卑近な例として私たちの身体は食べるものでつくられているが、そのものの中に何が入っているかは、見えない。見えないことをいいことに、悪魔はそこに悪しきパン種を蒔く。私たちは今まで食べるものを監督するお役所を信頼して個人がいちいち吟味することをしてこなかったが、その監督官庁が不正の主であることが暴露された今は自分自身でそれを吟味しなければならない。しかしついつい美味さにつられて、その中身を吟味することなく、喉を通してしまう。そうすればもう後の祭りである。食べ物が喉を通る前に、信頼できるもののみを食べよう。その比喩が言うのは、信頼できるものとは、神の愛のみである、ということである。この目に見えないものから全ての良きものが生まれる。神の創造世界では全てのものが愛のエネルギー、愛の本質から生み出されている。それが本来の姿であるが、今はそれを吟味しなければならなくなった時代である。悪魔が見えない毒麦のパン種を蒔いてしまったから。神の愛によって出来たものか、便利さを餌にして作られたものか、それを吟味して、選ぶのはあなた次第である。それが愛から来ているかどうかをチェックするのは、私たちの直観であり意識である。それは神が私たちに賜った誰にも渡ることのない本性だから。それは神が私たち一人一人をご自分に似せて造られる時、ご自身の本性である霊として吹き込まれた霊だから。それは人間の体の一つ一つの細胞全てに組み込まれた霊的なDNAである。だから通常はそれは誰も奪うことのできない本性である。しかし今や、そのDNAが改変されているかもしれないことを疑わねばならない時に至っている。その危機的時代に生きる者として、私たちは自分自身の存在原理、行動原理が神の愛に基づいているか、それともそれ以外の便利なものがその愛を覆っているのかを吟味しなければならない。創世記3章で蛇の口車に乗ったエバにはその実が「美味しそう」に見えた。それが果たして実際に美味しいかどうかを判断するのは、私たちの内にある神の霊であり、私たちの意識・直観である。だがそれも人工甘味料で慣らされた舌は本当においしいものを見分ける力を喪失している場合が多い。今日は悔い改めが必要な特別な時代である。いわば霊的断食が必要である。デトックスのために。周りのみんながするから、言うから、と言って、疑いもなく同じようにするのでなく、一歩留まって、あらためてそれが本当に本当かと自分自身の頭で意識で直観で考えてみることが必要である。

* だがここで最も大切なことは、神に聞くことである。何故なら、考えても直観でも分からないからである。知らないことは分かりようがない。人間には無知の壁がある。それ以上いくら努力しても超えられない。そこではただ向こうからの声を聞く以外にはない。そして神は褒むべきかな。神は真理を伝える神、愛を伝える神だから。そしてそれはみな、神の言である聖書に書かれてある。聞くとは聖書から聞くことである。目に見えない真理は、向こうから、神の方からやって来る。この真理を外せば、全ては水泡に帰す。

@ 人間界に神の愛を導入する神の復活 :

* イエス様の十字架のピエタ愛(悲愛)は人間に神の愛を教えるためだったことが今日のヨハネによって指し示めされている。神は至高主権者として人間界に神のレベルでの愛を啓示するために、十字架を経て復活へと至らせる希望の道としての愛を示された。人類は神の自己啓示としてのイエス・キリストのピエタ愛によって初めて神の言われるレベルでの愛を知る者とされた。神はご自身の愛する御子をさえ人間の救いのために差し出す方であることを示された。

@ 今週のテーマ【復活の主】の視点から:

* イエス様こそ神に聞く一番の人であった。だからイエス様の言は自分自身から出た言葉ではなく、神から聞いた言葉である。とイエス様ご自身、断言しておられる。自分自身から語ったことは一度もない、と。

* そこでイエス様が聞いた言葉によってイエス様に悲愛を保証したものは、背後で支えておられる見えない父である神への信頼であり、その神からの復活の希望であった。即ち、復活の主への信仰である。イエス様はその信仰を天の父との愛の一致において持っておられたので、ご自身の命を注ぐ人間愛に留まり、神の御意に従うことが出来た。

💓 世界は神のこの愛で満ちている。そのことを意識するだけで世界はそのように成る。だが意識しなければ、世界はただの物に変わる。神の霊が物を命に変える。神の霊は意識と共に出現する。意識した瞬間に白黒モノトーンの物は命に輝くカラーへと変わる。

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