アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/17 (水) | ブログ 太陽と共に始めよ

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水曜特番:翻訳
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind  by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books『創世記6章陰謀 :秘密結社と巨人の子孫たちの人類奴隷化計画』第38章 アビブ人

 


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第三部 【アナクの子孫たち :その 血脈と契約 】

 

@ 第38章 アビム人 412~423/1004頁
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≪イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。・・・イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。≫ サムエル下5:1-3


* サウルの死後、ダビデは不可解にも何故、悪名高いヘブロン/キリアト・アルバで王の塗油を受けたのか? また、ダビデは何故逃亡中に、優れた技術の戦士たちの強力な精鋭軍をもって「ダビデの勇士たち」を組織的に開拓補強したのか?

* ダビデはまさに、その出来事がアルマナ書簡に記されている、紀元前10世紀エルサレムを占拠するためにヘブロンから出現したアピルの猛者だった。エジプト帝国に侮蔑的に扱われた謀反の殺人鬼とはまさに、この精鋭のエリート義勇兵のことだった。その義勇兵が集められたのは、約束の地からネフィリム王国を根絶する神の計画を成し遂げるために逃亡している最中だった。この精鋭民兵の中で中心的勇者は、エルアザル、アブシャイ、ベナヤ、エルハナン、シベカイで、その他のダビデの勇者は歴代誌上11:26にその名が載っている。ダビデがイスラエルの残余の敵を征服してガザのネフィリムの根絶を果たしたのはこの殺人鬼の精鋭戦闘員たちが先鋒隊として派遣されたからである。

* ダビデがサウルの後継として王となった知らせを受けたペリシテ人はすぐさま動き、ダビデに対して攻撃した。それは、ダビデがまだ王としての準備が出来ていない初期に攻撃して、イスラエルを滅ぼし従わせる奇襲だった❶。ペリシテの5都市:以下、ペンタポリスと呼称)ははっきりと、ダビデの優れた決定的な指導性の下でこのまま何もせずに見過ごせば、イスラエルは手ごわい敵となることを十分に理解していた。そこで、ペリシテはイスラエルに気づかれないうちに警告もせずにレファイムの谷、または巨人の谷と呼ばれる場所で先制奇襲攻撃を行った。その場所はダビデがペリシテへの制裁の一撃を下そうと計画していたもう一つの場所だった。

* アビム人がガザのペリシテ王国の内に住んでいたことがヨシュア記から知られている。ガザはエルサレムからちょうど南西に位置する。アビム人はガザまでのペリシテ平野で生活していたカナン人の間に住む先住種族だった❷。アンガー聖書辞典はアビム人について、ペリシテの南西海岸部の「民族」と言っている❸。この興味深い種族は聖書にベニヤミン族内のAvvimアビムと記された古代都市と結びつけられていた。アビムは悪名高いレファイムの谷と境を接していた❹。さらにヒエロニムスはアビムをヒビ人地区内のHa-Avvim(ハアビブ)の町やヒビ人と結びつけている❺。
 
* ヒビ人はイスラエルに滅ぼされた7つの民族の一つで❻、シドンの子孫のカナン人だと考えられていた❼。聖書は曖昧ながら、エサウがホリ人/ネフィリムの首長アナの娘オホリバマと結婚したことを記している。アナはヒビ人としても知られていた❽。ヒビ人は、アナがエドムのホリ人首長として民族表に記されているように、実際にホリ人だったのだろうか?❾。アンガー聖書辞典は創世記36:2、20、29とヨシュア9:7の原典でヒビ人とホリ人の混同があることを示唆し、ヒビ人はホリ人の下位民族だった可能性があると記している⑩。さらにネルソン聖書辞典は、聖書以外にヒビ人についての言及はなく、多くの学者はヒビ人はホリ人の記述ミスか、あるいはヒビ人はホリ人連盟の小グループであると信じていると記している⑪。私はヒビ人はカナン人と混血したネフィリム/ホリ系の下位民族だったと考えている。

* Hamorハモルと息子Shechemシェケムはヒビ人の君主であり⑫、後の北イスラエルの首都の創設者だった⑬。もしヒビ人が本当に混血の巨人だったのなら、ヤコブの家の者たちが、ヒビ人が和平と赦しを求めて、ヒビ人の男が全員割礼を受けることさえ提案したのに、ヒビ人の巨人を皆殺しにした反応がはっきりと理解できる⑭。

* とすれば、ヒビ人とアビブ人はペリシテ人とどれほど近い関係だったのだろう? たしかに両民族共、ペリシテ人の傍に、あるいは共に生活していた。さらに彼らはみな士師記でイスラエルの敵の民として似た者同士の関係であった。≪カナン人とのいかなる戦いも知らないイスラエルとそのすべての者を試みるために用いようとして、主がとどまらせられた諸国の民は以下のとおりである。 ・・・ペリシテ人の五人の領主、すべてのカナン人、シドン人、レバノンの山地に住むヒビ人がそれである。 ≫(士師3:1-4)。この節でヨシュアがアビブ人、ペリシテ人、ヒビ人と言っている5人のペリシテの領主はみなそれ以後も引き続きイスラエルの敵として繋がり、後にダビデは彼らを絶滅した。このことは偶然ではありえない。

* ここでも、ヒビ人に関して最も興味深いことは彼らがヨシュアに遠い国からやって来た民だと言っている点である(士師9:9)⑮。ペリシテ人も遠くの国、クレタとも呼ばれるカプトルからガザにやって来た。カプトル人、つまりペリシテ人がアビブ人のほとんどを殺し、彼らのいた場所に定住したと記されている⑯。ペリシテ人は創世記10:13と歴代誌上1:12にカスルヒム人の子孫として記されており⑰、カプトル人と近い関係だったと推測される。ではヒビ人はペリシテ人の下位種族でありとホリ人の下位種族だったのか?

* クレタがカプトル人、カスルヒム人、そして、クレタ人とも呼ばれる民族の故郷だったことは明瞭である。カスルヒム人もクレタ人も共に聖書ではカプトル人/ペリシテ人と近い関係にあり、全ては民族の侵入集団から始まったことを暗示している⑱。ペリシテ人はイスラエルが約束の地を征服する直ぐ前にヘテ人とエジプト帝国の土地を強奪したはずである。アンガー聖書辞典はカスルヒム人はエジプト生まれで、彼らの子孫は紀元前2900-2700年頃エジプトを離れたと記している⓳。聖書はカスルヒム人のことをエジプトの創始者ミツライムの息子と記している。「彼からペリシテ人が出た」(創世記10:13-14)。参考のために、クレタの歴史は紀元前1720-1450年頃の新原型時代、紀元前2000-1720年頃の原型時代、紀元前3200-2000年頃の前原型時代の三つの時代に区分され、洪水前の起源を暗示させる⑳。Philitineはエジプト語の語根Prstか Plstから派生している㉑。ペリシテの名称を海の民カプトルを描くために最初に 用いたのはエジプト人だった。アッシリア人の間ではこの集団はPhilisitiと呼ばれ、ヘブライ語のPeleshtiはPalesitneの名の基である㉑。

* ペリシテ人は非セム系人種で、おそらく悪名高いアーリア人の子孫だった㉓。アーリア人の起源はたしか、アトランティスのタイタンであり、それがペリシテ人がネフィリム血統の中心的直系だったことを暗示させる。Medinet Habuにあるラムセス3世神殿のレリーフはペリシテ人を非常に背の高いヘレネス人の様相の民として描いている㉔。他のエジプトのレリーフには彼らの侵入が短いショートタニックを着て、クレタスタイルの飾り羽根の付いたヘルメットを被った姿で描かれている㉕。ここでもまた、人間と洪水前の巨人の混血血統が生き残って、ペリシテ人、ヒビ人、そして後に、中東の従兄弟たちと混血した巨人ホリ人とアビ人の起源ではないだろうか。

* ペリシテ人がガザに移住したのはSuppiluma王とヒッタイト(ヘテ人)帝国の痕跡が消された紀元前1550-1400年頃の新原型時代であことが分かっている㉖。ヘテ人の帝国を追放したのち、ペリシテ人がガザを植民化し、5都市国家からなる有名なペンタポリスを形成した。ガトはペンタポリスの中で最強の都市だった。ペリシテ人の陶器には特徴的なミケーネ文様があり、また、ペリシテ人はカナンの原語と風習を取り入れた㉗。また、クレタとサントリーニがミノアの本拠地であり、サントリーニが破滅した紀元前1450年以後突然終わりを迎えたことが分かっている㉘。ミノア人は青銅や他の金属の精錬技術に優れており、洪水前の迷宮やミノタウルス、それにミノス王の故地として有名であり、ミノスはポセイドン雄牛カルトの盛んな地だった㉙。ミノスはエウロパとゼウスのネフィリム子である㉚。

* ペリシテ人は古代世界の鉄器貿易を支配した元祖だった㉛。ペリシテ人は紀元前1400-1450年以前に鉄の精錬の秘密に長けていたと聖書に記されている。ヨシュア記にはヨシュアがペリシテを併合できなかったのは彼らが鉄の戦車と武器を持っていたからだと記されいる(士師記1:18-19、 4:1-3)。一般史では鉄器が発見され一般化したのは前1200年以後だとされているが、ペリシテ人はたしかにそれ以前にこの技術をマスターして、戦いで圧倒的優位に立っていた㉜。ネルソン聖書辞典はペリシテ人がこの精錬技術を、紀元前1400年頃鉄器を活用していたことが発見されたヘテ人から学んだのではないかと考えている㉝。だがペリシテ人はそれ以前にヘテ人を負かしており、おそらくヘテ人帝国を破壊するために鉄器の知識を利用したであろう。ヘテ人とカナン人は鉄器と、その後、武器の貿易をしたことだろう。ミノアの子孫、クレタのペリシテ人がクレタで鉄の精錬技術を学んだ可能性はあるだろうか?

* 人類学者たちは鉄器技術はミケーネから海洋貿易ルートで拡がったと提案している。ペリシテ人はミケーネ文化の中から始まった㉞。鉄器は紀元前3100年より前からエジプトで古代世界に知られており、楔形文字の粘土板にはそれが「天からの金属」と呼ばれていた㉟。鉄の刃や鉄の斧はそれぞれおよそ紀元前2700年頃、メソポタミアとウルで発掘されている㊱。これらのこと全ては創世記のトバルカインの青銅と鉄から精錬した道具の記事の信憑性を裏付けている(創世記4:22)。また、ペリシテ人はこの秘密の技術を彼ら自身の益のため、そして軍事的優位のために秘匿し、イスラエルが製錬鉄器を武器に転用することを恐れて農具のために製錬術師を養成することをイスラエルに許さなかった(サムエル上13:19-22)。ペリシテのペンタポリスの力の秘密はネフィリムと共に鉄だった。鉄の武器と戦車が、イスラエルが約束の地を直接ガザと強力なペリシテ人から奪わなかった理由の底流にあったであろう。

* 士師記とダビデの時代にペンタポリスの各領主はペリシテの町々を治めていた㊲。彼らがセラニム領主だった。これらの領主たちはイスラエルの各部族が緩やかな連合を組織していたのとは全く対照的に、和戦両様の完璧な絶対権力を練磨して、ペリシテのペンタポリスの一致を強化していた㊳。このようなペリシテ人の世界において、ガト、アショド、アシュケロン、ガザ、それにダビデが育ったエクロンは、クレタ人、ヒビ人、アビブ人、カプトル人から成るペリシテ人に占有されていた。

* ダビデがゴリアトを殺した後も、5人のネフィリム/専制支配者のうちなお4人が権力を保っていた。ダビデが正式にイスラエルの王になってからも、彼らはなおペリシテの都市国家を支配していた。ガトでも他のネフィリムがゴリアトを継承したと結論付けた方が賢明である。名が分かっている4人のネフィリム/ギボリム王に関して、聖書は4人の巨人の死を名前を挙げて記しており、我々はその記事を追って彼らの破滅を簡単に見てゆくことにする。これら4人の専制支配者がネフィリムであったことを確かめたければ、どうぞサムエル下21:22を読んでいただきたい。≪これら四人はガトにいたラファの子孫で、ダビデとその家臣の手によって殺された。≫  KJVだけがこれらの巨人を特定の巨人の子らとして言及している。彼らは端的にネフィリムだった。以上終わり。

* ヨセフスが「(巨人)アラフの子アクマン」と呼んでいるイシュビベノブ㊴はイスラエルがペリシテと戦った別の戦いで殺された。手足の指が六本ずつある巨人はシムアの子ヨナタンによって倒された㊵。ダビデはヨナタンを熱心に巨人の子だと主張するこの突然変異体を一撃で倒すために派遣した。また、シベカイに率いられた別の戦いで㊶、サフがゴブでシベカイに殺された㊷。シベカイはまた、シパイという名の巨人を殺した㊸。ヨセフスは巨人の子孫だと主張して多くの者を殺したシベカイのことを記している㊹。

* 有名な残りの4巨人のうちの最後はラフミだ。私はこのラフミを最後に残しておいた。というのも、ラフミの記事の中に、聖書を皮肉る一般史家が大きな謎としているものがあるからである。その謎に火を点けているのがサムエル下21:19≪ゴブで、またペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム出身のヤアレ・オルギムの子エルハナンが、ガト人ゴリアトを打ち殺した。ゴリアトの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。≫である。サムエル下のこの句節こそ繰り返し繰り返し聖書の不正確さを聖書自体と矛盾を挙げて示されす古典的例である。

* これは全くのナンセンスである。NIVの翻訳は二通りに書くことが出来る。最初の翻訳は上記の抜粋のとおりである。それによれば、エルハナンに殺された巨人はゴリアトだった。だが二番目の翻訳では、エルハナンはゴリアトの兄弟を殺したと訳すこともできる(NIVの注参照)㊺。この議論の落ち着き先はその人の信念次第である。

* でも私は聖書がこのような機会と誤りを残していることはないと信じている。旧約聖書の歴代誌上20:5がその謎を解決してくれる。その並行記事には≪またペリシテ人との戦いがあったとき、ヤイルの子エルハナンがガト人ゴリアトの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。≫とある。これは一点、ゴリアトがゴリアトの兄弟と入れ替えられている小さな代替えを除いて、サムエル下の同じ記事の全くの複製である。それはもちろん、歴代誌上がゴリアトの兄弟の真の名前を確定して、5人の巨人の一人としてガザのネフィリム/専制王として挙げられる可能性でもある。

* アンガー聖書辞典はサムエル下は伝承の過程で変異していることを伝えており、私の主張を支持している。エルハナンはゴリアト以外の巨人を殺したのである。アンガー聖書辞典は原典の詳しい研究によってサムエル記と歴代誌は両方共、「ヤアレの子エルハナンがゴリアトの兄弟を殺した。」あるいは「ベツレヘム出身のヤアレの子エルハナンがゴリアトの兄弟を殺した」が最初の読みだったと記している。コーランもまさに、ガト出身のゴリアトを殺したのがダビデだったことでは一致している㊻。矛盾は解決した。

*もうひとつの外部資料が、矛盾のようだに見える問題の別の解決を提示している。デイビッド・ロールは、ダビデは彼の元々の名ではなく、ガトのペリシテ人専制支配者と彼のフリ人/ホリ人/アマレク人護衛が、ダビデがサウルの死後王にされた時に彼を呼んだ呼称だったと提案している。それ以後ダビデがDavid,Tadua,Dwd、あるいはフリ人が王の戴冠の称号として用いる称号のDudとして認識されるようになった。Dudとは「ヤハウェに愛された」という意味である。この王の称号が後にヘブライ語化されてDadua、Davidとなった㊼。アラブの文学と詩歌はDavidをDa ud,Dawud,Dahoudと記している㊽。

* 聖書はダビデがガトへ、(アビブの)王(即ち、Abimelechアビメレク)のAchishアキシュのもとに逃れ、サウルの治世中の安全を求めた。だがアキシュはダビデを追い払った。ダビデが狂ったふりをしたからである㊾。ダビデはサムエルの死後再びガトのアビメレク/アキシュの元に戻って来た。ダビデと600人の部下はアキシュの傭兵として受け入れられ、このペリシテ王のために多くの戦いを戦った㊿。これはダビデと彼の部下がアマルナ書簡でヘブロンから出た猛者に率いられた獰猛な殺人鬼として記され、彼らの評判を得る時となった。

* ピンスキーは、この度のダビデは自らを忠実な僕と呼び、アキシュの廷臣の臣下として記している(51)。この期間、ダビデはイスラエル、アマレクに立ち向かう決死隊として広範に戦い、ペリシテ王はダビデを寵愛と賛辞を得た(52)。このことがペリシテ連合軍がダビデの即位を非常に恐れ、即座にダビデとイスラエルに対する奇襲攻撃を仕掛けた真の理由である。ダビデとの称号がガトのペリシテ王のアマレク人護衛に由来することは有り得ることである。

* アンガー聖書辞典はさらに、ダビデが「愛された」とか「首領」とさえ訳し得るヘブライ語から訳された語であると記しており、それはフリ語の「ヤハウェに愛された」と非常に近い訳である。アンガー聖書辞典は、マリの粘土板書簡に、略奪ベニヤミン族とその首領に対して「首領」を意味する称号ダビデ党という呼び名が用いられていたことを挙げている(53)。

* ガードナーはダビデは彼の真の名前では全くなく、元々の名は不詳である。ダビデとは実際は「ダビデ党」という肩書であり、皇帝を「カエサル」と呼ぶようなものだったものを、歴史の中で彼の名として根付いたと、提案している。だから後に続く後継のユダの王たちもみな「ダビデ党」である、この書の後半で扱おうと思うが、エッセネの聖杯伝説の黄金の家からの世襲君主もみなダビデ党と呼ばれた(54)。ロールはダビデの生まれの名は「エルハナン」だと提案している(55)。エルハナンはエッサイの末子である。もしそうなら、ゴリアトを殺したのがダビデかエルハナンかについての聖書が語る両記事共に正確である。両者は同一人物なのだから。

* サムエル下に戻って、残った4人のレファイム専制支配者が、イシベノブ、サフ、手足の6本指の巨人、そしてもちろん、ゴリアトの兄弟だったと列記されている(56)。その兄弟とはラーミだと特定される。そのラーミを殺したのがエッサイの子エルハナンだった。この句節はダビデとゴリアトの物語に新たな決定的光を照らす。この句節がゴリアトの兄弟がレファイムだったと明確に記しているからである。このことはゴリアトもレファイムであり、ネフィリムだったことを当然視させる。

* ゴリアトがネフィリムだったとの結論を強調しているのは、オルパの巻である。オルパがモアブの王宮に戻って行った後に、非常に背の高いペリシテの戦士がモアブを通過した(57)。ピンスキーによれば、この戦士は先史時代の巨人の末裔だった(58)。オルパはこのものすごい男を見て、直ぐに彼と結ばれ、彼と共にガトに帰って行った(59)。この男とは、以前我々が描出したオグの子孫のガト出身のペリシテ人ではないだろうか?

* ゴリアト物語は歴史においてたまたま起こったとか、あるいは、ユダヤ王家の創始者の栄誉を讃えるために挿入された架空の物語などではない。ダビデとゴリアトの物語はイスラエルがネフィリムの災厄を地の上から根絶する委託を受けたことを示す旧約聖書全体を貫いて編み込まれた物語である。この物語を否定するどんな文脈も背景も存在しない。ダビデに神から託された契約義務は、天の下から巨人を根絶する500年来の委託を完成させることだった。この物語が古代イスラエルで語られた時にはいつでもこのことは共通の前提として自動的に考えられていたのが、今日ではそのような理解も認識もなされていない。

* ナイトとロマスは、サウルとダビデへの巨人根絶の委託命令が実質彼らの王権の正統性だったと言っている(60)。王権は、洪水前も後も、天から地上に、神々からアヌンナキ/ネフィリムへと下されたことを思い出してほしい。かくして、神がサウルに、そしてその後ダビデに、契約の地で地上の王権を僭称する巨人たちを破滅根絶させるよう命じたのは、ダビデの王座が、天から正統性を与えられた地上で唯一の正当な王座となるためであった。ネフィリムが受けた屈辱に輪をかけた侮辱が、ユダの最初の王ダビデがヘブロンで塗油され、後に全イスラエルの王の即位式がアナクの悪名高い首都であるヘブロンで為されたことであった(61)。天に擁護されたダビデ王朝の正統性はまた、多神教教徒が彼らの王と血統とを不当に結びつけようとして記録を改竄する理由であり、もっと重要なことは、終わりの時代に偽メシアが彼らのネフィリム/ドラゴン血統と共に、ダビデとサウルに対しても記録の変造をしようとしていることである。それは、ダビデの王座が実際に天の神に擁護された地上の真の王権となるからである。

* ネフィリムは、邪魔され、真剣に調べられ、熟慮されないようにと、キリスト教によって下方に押しやられている。我々はこれらの巨人が洪水前も後も古代史に刻みつけた衝撃がどれほど大きかったかを学んだ。わたしはこの主題を棚上げすることを正当化したり擁護したりしようとは思わない。しかし我々現代人は本当にこの古代の衝撃から解放されているだろうか?答えはノーである。そして、ネフィリムの遺産が我々の世代においても重要性を保ち続けているのと同様に、創世記とダビデのメシア血統もまた、今日の最終世代に対する支配を保っている。全てが撚り合わさって、今日の水瓶座の時代に絶頂に達し、創世記6章陰謀の霊が最も大胆な隊列を組んで誘惑することを証しするべく再生することであろう。

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次回:第4部  【最後世代:ヤコブの困難の時】
第39章 :日の下に新しきもの無し
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