アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/19 (金) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/19 (金) 💖💓💛💖🌈

● 福音書日課:ヨハネ10:11-18
10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 10:17 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 10:18 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」


:今週のテーマ【復活の主】

【聖句断章】10:11
 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
    
@ 「良い羊飼い」 :  イエス様は復活の神の御子としてご自身を「良い羊飼い」だと、メシアの自己宣言をされた。「羊飼い」は旧約聖書の預言者がしばしば用いるモチーフである。今週の賛美頌 詩篇23も「わたしは羊飼い」で始まる。だが、自らを【「良い」羊飼い】と宣言されたのは、復活の主としての神ご自身である。それは神ご自身の自己啓示であり、それが神の称号として「良い羊飼いイエス・キリスト」あるいは「良い羊飼いなる神」である。神は人間に対してそれ以外の存在ではないとの自己宣言である。

* 【良い羊飼いは羊のために命を捨てる。】 : 良い羊飼いは 弱い羊を守る主である。弱い羊が新しい復活世界になじむまで。パウロの言い方をすれば、「キリストの形成るまで」。それが自分自身の体に合うまで、弱い羊には大きな痛みを伴う艱難がある。体の最も弱い部分がその傷を負う。良い羊飼いはその弱さを守りつつ、羊が新しい環境に馴染み、それを受け入れて行くまでに導く。復活の神はそのような小羊を守る主であり、99匹のケアを必要としていない羊を置いて傷つき弱った羊をケアする。それが復活の主の御姿であることが今日の福音書日課が示しているところである。

* 貧しき民は即ち弱い民であるが、そのような存在が神の民として新しい世界の主権者となる。それが神の復活世界である。民が主人として復活世界において神と共に立つことが出来るまで、貧しい者がまず最初に痛みに直面し犠牲となる。彼らこそ新しい環境に困難を感じる者たちである。パウロがローマ書14章で【「弱い者」を裁いてはならない。彼の主人は神である】と言っているのはその間の事情を指している。神はその弱い人の主であることを喜んで担われる。復活世界は弱い者が平等に受け入れられる交わりである。「罪びとの交わり」と表現される場合もある。

* 復活の主に出会った弟子たちは最初その方を幽霊だと思った。その意味で弟子たちこそ弱い者の代表である。そしてその彼らが復活の光に照らされて復活の主を信じる者へと悔い改めることを許され、復活の証人とされた人々だった。人間の本質的弱さは復活を信じられない弱さである。

💓 ユニバーサルデザインという概念がある。一番弱い人々に合うデザインが普遍的に皆の世界であれとの思いから発した思想である。弱い者の視点から御覧になる神の世界からの発想である。それが復活世界の思想である。それを受け入れる謙虚な勇気は復活の主が賜る聖霊を受けることで始まる。

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