アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/01 (月) | ブログ 太陽と共に始めよ

💓💛💖 アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/01 (月) 💖💓💛💖🌈

 

● 第一日課:使徒4:32-35
4:32 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 4:33 使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。 4:34 信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、 4:35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。

:今週のテーマ【復活:兄弟性への開放】

【聖句断章】4:32
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。
    
@ 自発的貧しさへの開放 : 持ち物によらない一致の交わり。

● 今朝の夢のお告げ:「わたしは○○を支持する」。その○○は一般的には支持しえないものだった。例えば、原爆。しかし、「感謝して受ければ、全て善し」とはどういう意味か? その意味を考えるようにとの主のお告げだったと思う。

* その物の兄弟性を感謝して受け入れることができるか? その評価を下す前に、その物をよく観察し、よく調べ、その物が愛すべき物となるまで知ること。それまでは先走って評価してはならない。間違ってもメディアのプロパガンダを鵜呑みにするようなことがあってはならない。「分け隔てをしてはならないことがよく分かりました」「神が清いと言われるものをわたしが清くないと言うことは出来ない」。これがペトロの復活後の認識大転換の結果だった。万物を兄弟性のうちに見る視点が復活に世って与えられた。

* 外見の立派さに魅了されてはならない。神は外面ではなく内面をご覧になる。
預言者サムエルが言った言葉である。サムエルはサウルの外見の立派さと、それに比べて、ダビデの外見を比較する人々に対してそう言って諭したのだが、これは普遍的真理である。明日の翻訳のテーマ「サウル王とダビデ王」に詳述されている。

* 「目を覚ましていなさい」。これはゲッセマネの祈りの際、「目を覚まして待っていなさい」と言ったにもかかわらず、ペトロたち3弟子が眠ってしまったことに対するイエス様の言葉、霊は燃えているが、肉は弱い、との関連で言われた言葉だったが、本来それは復活後の生き方の指針ではなかっただろうか。ゲッセマネの時はそれを先取りしている。しかしその時はそれを乗り越えることが出来なかったが、今、イエス様の復活の証人とされた今、それが可能とされている。ペトロたちは「今、それが分かりました」と告白している。

* 物に対する根元的態度の転換が主の復活に出会ってから起こった。それは、主の復活によって弟子たちの心が物から心へと転換したことから起こったことである。今日の初代教会の描写はそのしるしである。それは決して原始共産制のしるしとして人類の共産主義への理想としてではなく、物から心への人間性の価値観の全的変化のしるしとしてそこに描かれている。

* フランシスコらはその修道会において兄弟たちとそのような物から心へ、所有から存在への転換として、貴婦人「貧しさ」へ奉仕しつつ生きた。それはイエス様の生涯モデルの真似であった。イエス様は此の世に復活の世界を持ち込まれた。それは心と心の分かち合い、一致。それは兄弟性における一致である。

💓 初代教会の評判のよさは、決して共産制の故ではなく、彼らの感謝の心、兄弟性の一致の心である。それが周囲を照らした結果である。≪信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた≫ことと、それに続いて、≪使徒たちが大いなる力をもって主イエスの復活を証した≫ことと、≪皆、人々から非常に好意を持たれていた。≫との関連の文脈を正しく見なければならない。その文脈とは、自由主義的人間理性の合理主義ではなく、復活における人間の霊的次元への飛躍という文脈である。
 
😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄