アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/04/01 (月) | ブログ 太陽と共に始めよ

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● 賛美唱:詩編133
133:1 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。 133:2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り 133:3 ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。
 
:今週のテーマ【復活:兄弟性への開放】

【聖句断章】133:1
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

@ 今週のテーマ【復活:兄弟性への開放】そのままの表現である。【兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び】。つまり、人類の兄弟性は 神の愛の極致である。その最高の具体例が、【 食卓の交わり】である。その食卓の交わりの重要性のしるしとして、復活のイエス様と弟子たちがガリラヤ湖畔で朝の食事を共にしている様子が描かれている。ヨハネ21:9≪ さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 21:13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。≫ 食卓の交わりの聖書的意義が復活の現実の中で照射されている。ここに神の出来事が起こっている。兄弟を兄弟とする食卓の交わり。それはもう既に神の隠れ家、神の家族共同体、ホームである。他者が兄弟と成る。それが神が賜う復活の恵みである。それは神が我々の守り主として備えてくださっている恵みである。神は我々に兄弟を賜う。

* ペトロは先週の第一日課の復活説教の中で、≪ 神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。 しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。≫と、あえて復活の朝の湖畔での食事の事を強調している。そしてそこで復活の主は福音の宣教をペトロたちに託された。≪そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。≫。それは、人類の兄弟性の特質が最後の審判に関わる重大事だと人々に知らせることだった。それをペトロたちとの食卓の席で命じたことは、食卓が既に、神の隠れ家として「貧しい民」の英知の源泉であるホームであることを表してる。そこで示された宣教命令は神の二段階方式の後半である。前半はイエス様の復活で締めくくられた。そして後半は宣教命令から始まる。そこに宣教の秘密がある。神の認知の段階方式はまず中核の隠れ家ホームの形成で、その後、その隠れ家から世界への光が照射される。これは即、今の世界の現実でそのものではないか。今の世界は限られた者たちしか真実を知らない。それはその真理が彼らをとおして嘘に洗脳されたこの世界に伝えられるためである。

@ 被造物兄弟(姉妹)への賜物の認識:神は私たち人間神の子らを含む被造物全体に互いに支えるための賜物を賦与されていることを認識する。 これらはみな、フランシスコの『兄弟太陽の賛歌』に現れた自発的貧しさの精神からの発露である。被造物の兄弟性。神は各被造物に素晴らしい賜物を備え、その賜物を通して互いを兄弟として支え合うようにさせてくださっている。

* それに対して、近代科学の無神性は現代のおいて顕著に現れている。近代において科学は神を排除した論理で科学を乗っ取り、それを自分自身の力と詐称し誇示した。だが今や、神の被造物の兄弟性に眼だけでなく全身を開かなければならない。

* 先日から事あるごとに、重曹クエン酸の効用と共に、別のFBFからその両方の危険性も説得的に語られるのを目にした。それも偶然ではなく神的共時性であろう。危険性の論拠は重曹クエン酸共に化学製品であることであった。それに代えて兄弟なる自然の産物の中からもっと知恵と力に満ちた兄弟が存在することを主張されていた。確かにそうだ。自然の賜物こそ私たちを生かす。そのような兄弟を神は必ず備えておられる。被造物の相互依存性を認識するということは、兄弟性を兄弟被造物への感謝と相互感謝の喜びをもって為すべき事柄である。

@ 人間だけでなく宇宙万物の兄弟性も「兄弟」の中に含まれている。それが主の復活によって引き起こされた出来事である。我らの思考が自由へと解き放たれ、近代科学の呪詛から解放されたことによって、兄弟被造物との相互依存・兄弟関係に主体的に喜びをもって目と身を向けることができるようになった。もはや我々は古い固定概念、洗脳の枠に戻らない。その不可逆性が復活の出来事の確信によって与えられる人間の開放性である。もっと自由を!もっと光を!と主に願う。これまでの我らのチャレンジはわたしも含めて、非常に限定的で、近代精神への批判において自由ではなかった。我々はもっと復活の光に感謝をもって浴さねばならない。

● 近代全体を通してその人間中心的合理主義の害悪が明らかにされた。近代合理主義は終わりにしなければならない。主の復活は万物を兄弟として受け入れる兄弟性に我々を開放する。

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