アメブロ「太陽と共に始めよ」2024/02/07(水) | ブログ 太陽と共に始めよ

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翻訳:水曜特番
Genesis 6 Conspiracy : How Secret Societies and The Descendants of Giants plan to enslave Humankind
 by  Gary Wayne  2014 imprint of Deep River Books
 『創世記6章陰謀 :人類奴隷化を企る秘密結社と巨人の子孫たち』
第三部 【アナクの子孫たち : その血脈と契約】
  第28章「平野の民」
 
  ♠第28章 :平野の民 315~319/1004頁 

 

 


≪ 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方に移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。≫創世記 11:1-2


* ヨセフスはニムロドが洪水後シンアルの民の大指導者だったと語っている①。ローレンス・ガードナーはShinarという語には洪水前のデジャヴの響きが強く感じられる。「シンアル」はシュメールの別称である(ほとんど理解されていないが)②と言っている。

* そこで早速疑問が湧いてくる。ニムロドとその民は果たして地球の再植民化の最初の大胆な一歩としてノアから離れて住むことだけを望んでいたのだろうか? 洪水前のシュメールの無法社会を再生させる野望に燃えたニムロドとその従者たちと、洪水の生き残りの者たちとの間に、明らかになっていないが早いうちから分裂があったのではないだろうか?彼らがどのような霊感をもっていたとしても、彼らは山からシンアル/シュメールの平野に下った最初のとても勇敢な冒険者として覚えられている。

* 世界大の洪水があり、箱舟がアララト山の山頂に漂着した(創世記8:4)時からまだほんの70年も経っていないことを想起してほしい。生き残った者とその子らは洪水の水が少しずつ引いて低地がゆっくりと姿を現わすのをアララテ山の上から観ていた。山の上が安全なことは彼らの意識に刻まれていたことだろう。大洪水が再び襲ってくるかもしれない恐れの中で高地を離れることは気が変になったかと思われたに違いない。

* 人類は創世記のこの時には小さな同質集団であり、山から東の方シンアルの平野に行くことには臆病だったと思われる❸とポーターは言っている。ヨセフスは民が山から移住したのは散り散りバラバラにならないことを決断したからであると言っている❹。彼らが自自分たちの生存には数が増えればよいと考えたのか、それとも、未知の恐れがあったのではなかろうか? さらにもっと言えば、この平野の初期の開拓者が別の獰猛な好戦的文明を恐れていたということはなかっただろうかという問いがもっと重要である。ヨセフスは神が洪水後ノアの子らに出て行って地球を再び植民化するよう命じたが、民は迫害を恐れてそれを拒否した、と注記している❺。平野の開拓者たちがネフィリムや流離のアーリア人や六日目創造の暴力的諸種族を恐れていたとするなら、その恐れは合理的である。シンアルの民が意識的に決断したことは明らかである。 合理的な決断が何であれ、洪水後初期の彼らの生き残りは彼らが一つの民であり続けることに掛かっていると意識して彼らが決断したことは明らかである。

* "the Legend of Nimrod"によれば、ニムロドは平野の民を統一し、専制によって彼らの一致を維持したと語っている。そのことは我々が既に語った通りである。ニムロドは法の独裁的制定者として覚えられた。さらにメイソンたちはニムロドを、法の独裁的制定者として無制約な至上権を持っていたと記しており、法を彼の権力の道具としたと記している。ニムロドは権力を乱用誤用した専制王だった❻。ニムロドはジョージ・スミスが信じさせようとしたようなIzubar善政支配者ではなかった。

* 著作“Rosslyn”は字義的キリスト教解釈の視点からは褒められた資料ではないが、ニムロドを悪役として描いている❼。彼は洪水前の専制支配者ネフィリム/ギボリムに象った悪しき専制支配者だった。この点に関しては全ての古代資料がニムロドの行為の結果として一致してその事実に合意していることは疑いない。創世記はニムロドを尊敬された英雄としてではなく、来るべき全世代に悲しい思いをさせた残忍な専制支配者として記している。

* ヨセフスはシンアルの民に洪水前と同じように謙遜と真の神への礼拝以外を尊ぶ価値観を植え付けたスポンサーとしてニムロドのことを語っている❽。ギンズバーグによれば、ニムロドは偶像礼拝を導き入れ、臣民を悪に誘導した❾。ニムロドは洪水生存の第二世代の平野の民に自分自身を信じ、自分自身の業と業績を信じよと教えたが、宇宙の主なる神に従わせるたり尊敬させることには何の熱意もなかった❿。これは聖書伝承と多神教伝承の両方において洪水前の巨人や六日目創造のカイン人の罪として記しているのと全く同じ罪だった。

* ニムロドはヘブライ語の彼の名が暗示しているように、神に逆らうよう地上の民を扇動した洪水後初の支配者だった。ニムロドは絶大な力と勇気の故に自分自身の力と勇気を信じたが、愚かな民にもそうするように教えたとギンズバーグは記している⓫。彼は、洪水前のネフィリムがやったように、彼の民に神の力と知恵への信仰を棄てるよう教えた。ニムロドは民が神にではなく自分自身とその業に信頼すれば、未来とその幸を手にすることができると信じさせようとした⓬。人は幸せになるために神を必要としない。人の将来の幸は自分自身の自由な選択にあり、神から独立しているとの考えは洪水前のネフィリムの考えと同じだった。

* この思考線の究極には、真の神を低次の力と権威へと貶め、神が多くの神々のひとりにすぎず、他の神々より少しだけ力があり、少しだけ優しく、少しだけ賢いにすぎないと見なされることだろう⓬。これもまた、全ての多神教のもう一つの隅の親石的教理である。ギリシャとエジプトの万神殿やその他もみな同様に、多数の男神、女神、多様な地位、権威、価値を有する夥しい神々を含んでいた。これはエノク的神秘主義から来るのと同じであり、創世記6章陰謀の現代版の中心的考え方として今も存続している。

* このことを念頭に置けば、ニムロドが何らかの形で、堕天使、ジン、悪霊、ネフィリム、ヘルメスによってこの信念体系へと貶められたことが理解できる。ニムロド万神殿では闇の天使、悪霊、ジンが万神殿の神々となり、真の神は他の多数の神々のひとりとなり、もはや他の神々以上に重要ではなくなった。実際、洪水後、人類に良いものを賜る神はもはや人々の心に近い存在ではなくなり、悪神のひとりとされたのかもしれない。堕天使かネフィリムかがニムロドを唆して、もし神が彼やその民に懲罰を加えようとすれば彼らが神から守ると信じさせたとも考えられる。

* メソポタミア人たちの洪水の理由説明を考えればこの考えはますますその信憑性が高まる。メソポタミア人は、人類が増えすぎたので、彼らの主人である神々も面倒で騒がしくなったと信じていた⑬。だから、神々が増えすぎた人間のために引き起こされたややこしい問題の解決のために洪水が起こされた。宇宙の真の神とその忠実な天使たちを暴力的で非寛容な悪しき神々として洪水によって放逐したとするエノク書で描かれているようなことは歓迎すべき教えだったろうことが容易に理解できるだろう⑭。神は人類に対するジェノサイドの陰謀を謀った悪しき神であると、これがグノーシス主義の教えであり考えだった。彼らはユダヤ教とキリスト教の神を人類を無知と死の定めに奴隷化する神ラダバオスIaldabothと呼び、その悪しき神が人類を懲罰するために洪水を起こしたとする。キリスト教とユダヤ教の教える悪しき神は、シュメール伝説に出て来るエンリルやユダヤ教の神アドナイが善なる知恵の神とされるエンキ/サタンの願いに反して洪水の大災厄をもたらす陰謀を謀ったとの考えと同じである。

* もしこれが本当にそうだったのなら、ニムロドが取った次なる行動は完全に論理的に意味を持ってくる。この欺かれた思考方の集大成の偽りの栄光の全てが現わされたのがバベルであった⓯。

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 次回: 第29章:バベルの塔
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