小泉信三 | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

 

戦後、天皇制そのものが問われていました。当時、連合国の占領下にあった日本。天皇はそれまでのありかたから大きく変わることを余儀なくされていました。そして新たな憲法で天皇は日本国の「象徴」であると定められます。

 

GHQは天皇を中心とした国のありかたを変え民主化を進めようとしていました。連合国の中には昭和天皇の処罰を求める声もありました。国内の学者からも天皇は退位すべきだという意見が唱えられます。「過去の最高の責任者が、その責任を取ろうとせず、国民もまた責任を取らせようとせず、たがいに曖昧のうちに葬り去るならば、どうして真の民主主義が建設されようか」東京大学法学部教授、横田喜三郎

 

皇太子の教育係りに任命された慶応大学学長の小泉信三は福沢諭吉の「帝室論」を使用して教えました。福沢はまず「皇室は政治から距離を置くべき」と主張します。その上で皇室をある言葉で例えました。「万年の春」皇室は万年の春であって、国民にとって悠然として和やかな気持ちになるような存在であるべきだと述べたのです。慶応義塾福沢研究センター准教授の都倉武之氏は、小泉はここに象徴天皇のヒントを見いだしたのでないかと考えています。「当時、象徴天皇というものを誰もしっかりと見いだせていない。天皇は放り出されて国民の前に立たされている。「万年の春」とは、春のような常に穏やかな存在として国民に寄り添うということを「帝室論」を通じて戦後の日本に根付かせることが出来るんじゃないかと小泉信三は考えたのではないかと思います。

 

小泉は帝室論を解釈し「しからば皇室のご任務はいずこにあるのであろうか。それは実に「日本民心融和の中心にならせらるることである」と説いたのです。長野県短期大学准教授、瀬畑源氏は「天皇を軍国主義の象徴としてというよりも、平和の象徴という形に切り換えていかなければいけない。天皇というものに対して敬意を持つ、そのことによって人々の心をまとめ上げるのだ、というのが福沢の「帝室論」の肝の部分だと思います。その状況をきちんと踏まえた上で皇太子に教育が出来るひとが小泉信三たったのです」

 

敗戦から五年後の1950年、小泉は天皇となるべきものの心構えについて激しい言葉で皇太子に講義します。「責任論から言えば、陛下は大元帥であられますから、開戦について陛下に御責任がないとは申されません。敗戦国においては、民心が王室を離れあるいは怨み、君主制がそこに終わりを告げるのが通則であります。私どもが天皇制の護持ということをいうのは皇室の御ために申すのではなくて、日本という国のために申すのであります」小泉は日本の将来のため天皇となるものは、ふさわしい道徳や教養を身につけなければならないと強調します。「新憲法によって、天皇は政事に関与しないことになっておりますが、しかも何らの発言をなさらずとも、君主の人格、その識見はおのずから国の政治によくも悪くも影響するのであり、殿下のご勉強と修養とは日本の国運を左右するものとご承知ありたし」瀬畑氏曰く「天皇としてだけではなくて、一人の人間として国民から尊敬を集められる人でなければ、国民統合なんてそもそも出来ないんだ、という考えに立っていたと思うんですね。逆に言うと、そうしなければ天皇制は生き残れないわけです」皇太子様は一時間数十分姿勢を正して話を聞かれ、我が責任の重きを知るという意味のお言葉を述べられ、御起立されて「どうもありがとう」とおっしゃいました。

 

 

▶︎日吉