僕が子供のころの映写機は、
カーボン式映写機といって、
画材の擦筆のようなカーボン(炭素棒)を、
燃焼させその光で上映します。
文字だけで説明するのはなかなか難しいのですが、
2本のカーボンを向かい合わせにしてその先端を着火。
炭素棒が燃えて短くなると光が弱くなるので、
炭素棒の距離を手動ハンドルで調節しながら上映します。
小学校低学年の頃の僕の仕事は、
上映の開始ブザーが鳴ると、
母屋から映画館に続く鉄の扉を開けて、
手動でロープを引っ張って、
スクリーンの幕を開けるというものでした。
時々テレビに夢中になってると、
ブザーの音が聞こえなくて、
幕の上に映画が上映されるというみっともないことに。
でも、そんなときは親父は黙って、
映写室から出て来て幕を開けに来てくれました。
小学校高学年の頃になると、
親父がフィルムのかけもちで隣町に行ってる間だけ、
僕に映写機の操作を任せてくれました。
ハンドルでカーボン棒を微調整しながら、
なんだか一人前の映写技師になったような気分でした。
でも、うっかりカーボンを離してしまうと、
スクリーンの映画はたちまち暗くなってしまい、
反対に近づけすぎるとフィルムが焼けて、
映画は中断してしまいます。
そんなときはあわてて切符売り場にいる母親を呼びに行き、
専用の接着剤でフィルムを繋いでもらいます。
気分は一人前、でも実際には半人前の映写技師でした。
▶︎多摩川