僕には反抗期らしい反抗期がありませんでした。
父は勤勉で無口な人。
ちょっと近寄りがたい、でも尊敬出来る父でした。
しかし、それには多分に母のすりこみがあります。
「お父さんは偉い人よ」
「お父さんが怒ると恐いわよ」
毎日のように言われて育ちました。
成人して帰省したときに母の口から、
「お父さんは普通の人だから」
と言われた時には愕然としたものです。
母も働き者でした。
生活は貧しかったけれど、
食べるものだけは不自由させたくないと、
豪華ではありませんが、
美味しい料理を作って食べさせてくれました。
遠足のときなどに母の作ったお弁当を開けると、
回りの友達が「わあっ」と言ったものです。
そして、ちょっぴり美人でした。
小学校のとき友達が家に遊びに来たとき、
「お前の姉ちゃん?」
と聞いたのが母でした。
だから、僕には反抗する理由がなかったのです。
中学生になったある日。
居間でテレビを見ていると、
母の友達のオバさんたちがやってきて騒ぎ始めました。
なんだか無性に不愉快になって、
僕はひとりムッとしていました。
その様子に気づいた母が僕に向って言いました。
「あら、あんたどしたん?」
僕は精一杯ぞんざいな口調で、
「なんでもないよ」
すると母がひとこと、
「あら、あんた反抗期?」
僕は恥ずかしくなって自分の部屋に閉じこもりました。
あの時あの瞬間が僕の短い短い反抗期でした。
ある意味よく出来た両親だったと思います。
しかし、今振り返ってみると、
親子関係に完璧はないなと思います。
両親は年中忙しく働いていました。
家は男ばかりの3人兄弟でしたから、
やはり長男の僕としては、
母を弟たちに取られたという思い残しがあります。
よく出来た両親だったからこそ、
僕は反抗も出来ずに良い子でいました。
でも、僕の中には「もっと愛して欲しかった」
というストレスが蓄積されていきました。
この年齢になって改めて自分が、
精神的に歪んでいることを自覚します。
もう死んでしまった両親がこのことを知ったら、
きっとショックを受けると思います。
あんなに慈しんで育てたはずなのにと。
親子の関係、つくづく難しいものだと思います。
だけど、本当にバランスの良い人間など、
実は一人もいないのではないかとも思います。