反抗期 | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。


僕には反抗期らしい反抗期がありませんでした。

父は勤勉で無口な人。

ちょっと近寄りがたい、でも尊敬出来る父でした。

しかし、それには多分に母のすりこみがあります。

「お父さんは偉い人よ」

「お父さんが怒ると恐いわよ」

毎日のように言われて育ちました。

成人して帰省したときに母の口から、

「お父さんは普通の人だから」

と言われた時には愕然としたものです。


母も働き者でした。

生活は貧しかったけれど、

食べるものだけは不自由させたくないと、

豪華ではありませんが、

美味しい料理を作って食べさせてくれました。

遠足のときなどに母の作ったお弁当を開けると、

回りの友達が「わあっ」と言ったものです。

そして、ちょっぴり美人でした。

小学校のとき友達が家に遊びに来たとき、

「お前の姉ちゃん?」

と聞いたのが母でした。

だから、僕には反抗する理由がなかったのです。


中学生になったある日。

居間でテレビを見ていると、

母の友達のオバさんたちがやってきて騒ぎ始めました。

なんだか無性に不愉快になって、

僕はひとりムッとしていました。

その様子に気づいた母が僕に向って言いました。

「あら、あんたどしたん?」

僕は精一杯ぞんざいな口調で、

「なんでもないよ」

すると母がひとこと、

「あら、あんた反抗期?」

僕は恥ずかしくなって自分の部屋に閉じこもりました。

あの時あの瞬間が僕の短い短い反抗期でした。


ある意味よく出来た両親だったと思います。

しかし、今振り返ってみると、

親子関係に完璧はないなと思います。

両親は年中忙しく働いていました。

家は男ばかりの3人兄弟でしたから、

やはり長男の僕としては、

母を弟たちに取られたという思い残しがあります。

よく出来た両親だったからこそ、

僕は反抗も出来ずに良い子でいました。

でも、僕の中には「もっと愛して欲しかった」

というストレスが蓄積されていきました。


この年齢になって改めて自分が、

精神的に歪んでいることを自覚します。

もう死んでしまった両親がこのことを知ったら、

きっとショックを受けると思います。

あんなに慈しんで育てたはずなのにと。

親子の関係、つくづく難しいものだと思います。


だけど、本当にバランスの良い人間など、

実は一人もいないのではないかとも思います。



▶︎渋谷