ターニング・ポイント | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。


演劇集団円の研究生をやめて暇を持て余していたとき、

一枚の葉書が舞い込んできました。

早稲田と慶応の学生が中心となって、

自主制作の16ミリ映画を作るので、

スタッフ、キャストを募集するという内容でした。

落ち込んでいた気分を一新するために、

僕はすぐに参加を決め連絡を取りました。


劇団研究生だった1年半は、

僕にとって低迷と混沌の時期でした。

自分より上手な先輩、面白い先輩、

カッコいい先輩たちの中で、

溺れている自分がとても惨めでした。

そんな状況から逃げるように、

僕は研究所を自主退所したのです。


萎縮していた自分の心を立て直そうと、

人生で初めて僕は強気の態度で学生たちと接しました。

台本を読んで自分がやりたいと思った役を欲しいと主張し、

撮影の待ち時間中は当時大好きだった「男はつらいよ」の、

寅さんになりきって過ごす事にしました。

「おい学生、撮影は大変か?」

「それを言っちゃあ、おしまいだよ」

喋り方から表情まで、

そっくり真似して学生たちに接しました。

一部の学生たちからは煙たがられたようでしたが、

僕の回りにはいつも人が溢れ、笑いが絶えませんでした。

撮影と待ち時間の両方でエネルギーを使い果たし、

毎日アパートに帰ると、

精も根も尽き果ててぐったりしてました。


撮影が無事終了して少ししたあと、

友達の舞台に客演することになりました。

小さな役、しかも苦手なコメディでしたが、

自主制作映画の撮影で少し自信を取り戻していた僕は、

学生たちに連絡を取って舞台に足を運んでもらうことに。

初日、小さな劇場の客席は僕のお客さんでいっぱいでした。

開演して、僕が舞台に登場し、

第一声を喋った途端、会場は爆笑の渦に。

劇団研究生をトータル3年半やってきて、

舞台で初めて笑ってもらえた瞬間でした。


まあ、客席の半分は僕のサクラだったわけですから、

僕の演技に対する、

本当の評価じゃなかったことは重々承知してます。

でも、あの瞬間が僕のターニング・ポイントだったことは、

まぎれも無い事実です。

舞台の上で初めて自由に楽しく、

演技出来たあのときの感覚は、

今でもはっきり覚えています。


30年経ったいま、

曲がりなりにも俳優という仕事を生業としていられるのは、

あのときの少しの作戦と、少しの勇気のおかげです。



▶︎近景