海軍反省会 | 田窪一世 独白ノート

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ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。


昭和16年12月8日、

日本は戦争を始めました。

アメリカハワイ州真珠湾、

ここ真珠湾を日本軍が攻撃し太平洋戦争が始まりました。


元海軍士官の遺品の中から、

大量のカセットテープが見つかりました。

海軍反省会の録音記録です。

開戦時、海軍の中枢にいた人々が戦後密かに集まり、

誰にも語っていなかった記憶を打ち明けていたのです。


「責任は東條英機一人じゃないむしろ海軍側にある」

「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯、

 いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた」

「私が兵備局長をやらされて調べてみるとね、

 とても出兵準備なんていうのはまるで夢みたいなもんなんだ。

 計画は出来ておったんです。

 しかし帳面を合わせるために、

 使うことが出来ないような兵器までそこに載せてる」

「国家の将来なんか考えるよりもですね、

 自分の局部局部でやりまして、

 上の人が決めてくれるものだと思ってますからね」

「予算獲得の問題がある。

 それが国策で決まると、
 大蔵省なんかどんどん金くれるんだから。

 臨時軍事費がどーんと取れる。好きな準備がどんどん出来る」


彼らが反省会をやったということには敬意を表します。

が、その内容たるや、
他人批判ばかりで自己責任のがれの発言が多く、

とても残念な内容でした。これを聞いた著名人の感想です。


半藤一利「世界のおよそ組織と名のつくところは、

 何か失敗をしたときには、
 必ずその失敗の原因を議論するものですが、

 しかし日本の組織はこれを1回もやったことがありませんね。

 失敗体験は隠しますね。

 ようするに残すと責任者が出てしまいますからね」


澤地久枝「開かれた反省会にするためには、

 関係者だけでなく、
 もっと異分子を参加させるべきだったですね。

 自分たちの中から罪人を出すのが嫌だったんでしょうけど、

 それをやって行かない限り、

 日本人は同じことを繰り返すんじゃないでしょうか。

 でも戦争を始めた人たちは最悪の事態を全然考えていない。

 自分たちの間違えた判断の犠牲になって、

 みじめな死に方をした、
 末端の人たちのことをまったく考えていない。

 戦争が終わってからの反省会の中でも、

 この人たちの念頭にさらさらないって感じがしますね」


過去の成功体験に固執し、

自らが所属する組織や部署をなによりも大事にする。

まるでどこかの国の官僚や政治家のようですが、

そうして積み重ねて来た判断が、
開戦の大きな要因になりました。

そして何故あの戦争を、

あれだけの犠牲者が出る前に止めることが出来なかったのか、

そこには当初の勝ち戦に対する国民の熱狂がありました。

それを煽った当時のメディアにも責任があったと思います。


太平洋戦争で死亡した日本の軍人軍属はおよそ230万人。

犠牲となった民間人は80万人。

アジア諸国ではさらに多くの人が犠牲になりました。



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