音楽と動きというものが、ちゃんと自分の体に入っていて、
もちろん決められた振りですけどね、
それが踊っているうちに自然に降りてくるものなんですよ。
それでいつ降りたのか降りないのか、
降りているのかいないのか、わからないんです、自分では。
そういうもんです。
ただ、無意識だったなという瞬間があとになってわかるんです。
それでもうひとつ言えることがあるんですが、
たとえば道成寺なんか踊ってますよね。
それで鐘に入った安珍の鐘に対する恨みというか、
自分を隔てた時というか、
そういう恨みを持って踊ってるわけですよね。
で、道成寺を躍っている振りがある、型がある、
衣装を着ている、ずっとやってるんですが、
音楽が非常にうまく奏でられていて、
自分が非常にバランスの良いはみ出ることのない踊りの中で、
グッと気持ちが入ったときに、本当に恨めるものなんですよ。
たぶん自分の細胞や遺伝子の中に「恨み」があるんですね。
それが躍っているうちに、
いきなりクローズアップされて大きくなるんです。
ですからいろんな小説とか戯曲の中で、
いろんな人物がいますよね。
で、その人物になるということは、
自分のどこかの記憶とか細胞の中に、
そういう魂があるのかなと探る作業が稽古なんです。
でも探りきれないまま本番もやってるんです。
ところがいつかパッと出てきて、あっと自分で気づくんです。
坂東玉三郎さんのこの言葉、非常に興味深いですね。
これと同じようなことを、
メリル・ストリープもおっしゃっていました。
天才は天才を知る、ですね。