二十歳前後の頃、新劇の養成所で演技の修行をしてました。
劇団新人会というところに2年間お世話になったあと、
演劇集団円に1年半通いました。
毎日のレッスンのあとは、
決まって喫茶店で演劇論を戦わせたりしたもんです。
当時、僕たちが教科書としていたのが、
スタニスラフスキー・システムという演技論です。
でも、正直よくわかりませんでした。
理論としては、
なんだかとても素晴らしいように思えるのですが、
じゃあ、それを実践するにはどうしたらいいか、
まったく見当がつきません。
僕にとってはスタニスラフスキーも、
リー・ストラスバーグもちょっと高級すぎて、
なんか、難解でちょっとぴったりこなかったのです。
でも、当時はニューシネマの全盛期でした。
ダスティン・ホフマンやアル・パシーノや、
ロバート・デニーロたちが彗星のように登場して来た時代です。
「卒業」「スケアクロウ」「俺たちに明日はない」
「明日に向って撃て」「タクシー・ドライバー」
名作が次々に封切られました。
理論はわからなくても、
彼らのリアルな演技には触発されました。
「こういう演技がしたい」と、痛切に願いました。
あるとき、テレビでアメリカの俳優の、
インタビューを見る機会がありました。
そして、その俳優が自分が演じる役のことを、
「彼」と呼んでいたのを聞いて愕然としました。
当時、僕たちが喫茶店で話していたことと言えば、
自分がどうすれば上手くなれるのかとか、
どうすれば自分に魅力が備わるのかというな、
とにかく自分がどうすれば、ということばかりでした。
ところが、アメリカの俳優たちは彼のことを考えている。
彼の人生を考え、彼の心の闇を探ろうとしている。
僕にとって、これは衝撃でした。
演技という概念を根本から変えなきゃと感じた瞬間でした。
▶︎こどもみりん