だいじょうぶ、彼女は私の中にいる | 田窪一世 独白ノート

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ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。


「だいじょうぶ、彼女は私の中にいる」

これ、メリル・ストリープの言葉です。

ときどき稽古場で「それ、わたしの生理にありません」とか、

「わたしそういう経験をしたことがないからわかりません」

とかいうことを口にする人がいます。

俳優としてけっして口にしてはいけない言葉だと思います。

つまり、それは「私には想像力がありません」

と告白しているようなものです。


ロバート・デニーロやアル・パチーノの演技を見ていると、

ある意味、どの役もデニーロはデニーロだし、

パチーノはパチーノです。

話し方や癖や表情も、何一つ変わってはいません。

では、何故別人に見えるのか?

それぞれの役で彼らが変えているのは、

その役の人生観や生理です。

たとえば、A型は理性的な部分が多いとしましょう。

ならばO型は感情的な部分が多く、B型は感覚が鋭い。

でも、人はそれ一色ではありません。

A型にだって感情的なところや感覚的な部分だってあります。

つまり、それらのパーセンテージを変えることが、

彼らの役作りではないか、そんなふうに思うのです。

彼らは役の外見を変えるのではなく中身を変えて演じている。

だから「だいじょうぶ、彼女は私の中にいる」だと思うのです。


そして、これは僕の個人的な見解ですが、

よく脳はその一部分しか使われていない。

大部分は眠っているのだという話を聞きます。

僕の想像では、ひょっとしたらその大部分に、

自分の何千何万人の先祖たちの記憶が、
蓄積されているのではないか。

その中にはとびきりの善人がいたかも知れない。

極悪非道の悪人だっていたかも知れない。

それらの人生観や生理が役作りに生かせるのではないか、

そんなふうに思うのです。


★以上の記事は数年前ブログに掲載したものです。


最近、テレビで映画翻訳の第一人者、戸田奈津子さんが、

メリル・ストリープ自身から聞いたエピソードを、
紹介されていました。

「彼女は、自分の経験や想像で考えても分からないときは、

先祖たちのDNAが教えてくれる、って言うのよ、
不思議な人ね」と。



▶︎大門