はなロス ゆうロス は今も続いています | はな&ゆう の時代

はな&ゆう の時代

私たち夫婦と、はな と ゆう 二匹の猫との出会いから現在までを綴っています

2~3日前になりますが、このブログをフォローしていただいているMさんのブログで

「3月に亡くなった愛猫、Dちゃんロスが抜けない」

という内容の記事がありました。

 

私も、はな、ゆうを失ってから2年余りになりますが、今もロスのままです。

と言っても、私の場合はロスから抜け出す気がありません。

このブログを続けているのも、むしろ、いつまでも二人にこだわっていたいからです。

 

 

何度か書いていることですが、私達夫婦がせめてまだ50代なら、はな、ゆう を忘れることはなくても、なにか別のことに興味を向けることを考えたかもしれませんが、二人とも70代。このあと、二人と暮らした年月と同程度の時間が過ぎれば、私達もそろそろ、住まいを豊丘村に移すことに、あるいは移っていてもおかしくない年齢です。それ位の時間は、二人を偲び続け、こだわり続けてやろうと思っています。

 

 

 

はな が亡くなり、ゆう が亡くなった時、はな も ゆう も居ない生活、というのがどういうものか全く考えられませんでした。

「明日から、どうなってしまうのだろう」と。

でも、どうなるもこうなるもありません。二人が居なくても時間は過ぎ、明日はやって来ました。明後日も、明々後日も。

 

 

はなの火葬は亡くなった翌日でした。ゆう は4日後。火葬になるまでは、心臓の動きは止まっていても、はな は はなとして、ゆう は ゆう として目の前に居ましたが、火葬後はもう二度と猫の姿をした二人を見ることは出来なくなりました。

二度目の別れです。

 

はな の火葬は、はな が最後の4年間を暮らした、ここ高遠の城址公園駐車場で

 

ゆう は、車で30分ほどの動物霊園で。この扉の向こうで、ゆう は炎に包まれています。

 

そして埋葬。完全に、全て埋葬しました。どうせ土に還ってもらうなら、中途半端な残し方はせず、はなの、ゆうの 全てを土に還そうと思い、骨壺の中の粉状になったモノまで、水で洗って、その水を豊丘の土の上に撒きました。

三度目の別れです。

 

埋葬直後

 

火葬後の1年半、お骨とはいえ間違いなく二人はこの家に居ました。でも、今は二人の実体はその欠片さえこの家の中にはありません。

二人は45km離れた豊丘村の墓苑の土の中で眠っています。

いつも傍に居るのが当たり前だった二人は今、本当に、爪の欠片一つ残さず、この家から居なくなってしまいました。その寂しさは言葉に出来ません。

二人に会うためには、1時間半かかります。

 

 

はな の骨壺に、埋葬の際に掘った土を入れて3人のお骨の代わりにしました。

 

それでも、何度か書いていますが、私達には樹木葬という選択肢しかありませんでしたし、樹木葬らしい樹木葬墓地、そして周囲の環境も考えて探した結果が豊丘村でした。

その部分に後悔はないし、残された私達は、今の寂しさを引き受けるしかありません。