10月28日(日) 「まとめ」
<東北応援ツアー>
その1 「
弱き若者が被災地へ向かえたキッカケ」
その2 「
郡山から喜多方へ~朝霧の中で」
その3 「
喜多方ラーメンと酒蔵のじいちゃん」
その4 「
元ヤン夫婦と食べる2杯め喜多方ラーメン 」
その5 「 風評被害のリアルな現場 」
その6 「 白虎隊と会津の夜 」
その7 「 武家屋敷・鶴ヶ城・渋川問屋 」
その8 「 津波被害をみる、閖上地区 」
昨年末から書き始めた被災地を中心に東北を訪れた際の旅行記です。
10月に訪れたので時間は随分と経ちましたが、ゆっくり書き記していきたいと思います。
※東北応援ツアーとは
被災地に実際に足を運び、被災者の方との交流を通して学ぶ。
その中で少しでも活性化に貢献するという趣旨のもと、立命館大学が主催した復興支援事業の一つである。東北に住む校友(卒業生)の力をお借りして成り立っている。
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さて、長きに渡って書いてきた東北応援ツアーの旅行記、今回で最後。
最終回はまとめなので今まで書いてきたことと重複することも多いため悪しからず。
1・2は実際に被災者の声を聞いた中で衝撃を受けた言葉。
3・4・5は私が学び感じ考えたこと。
1.「私はお嫁に行けない」
福島の浜通り(いわゆる原発によって避難を強いられた地域)に住んでいた女の子たちはこう言う女の子(中学生や高校生)が多いらしい。
お嫁が福島出身だとわかれば相手の親は嫌がる。子供にどんな影響が出るかわからないからという理由で。
子供の口からこういう言葉が出ている。どれだけ残酷なことか。
原発は人の過去や現在だけでなく、未来まで奪うのか?
そんなことないよ、と言える大人でありたい。
そんなことないよ、と言える大人を一人でも増やしたい。
そんなことないよ、と言える世の中であってほしい。
2.「福島が内から壊れてしまいそう」
福島の今の現状をみて被災者の方が話して下さった言葉。
浜通りから郡山方面へ避難してきた人は多い。
彼らは復興支援金から毎月わりと高額な援助金をもらっているそうだ。
仕事もないし、精神的苦痛も考えれば決して高くはないのだが、郡山の人からするとなぜ働いている自分たちよりも多くもらっているのだという思いがある。
そして避難者の中には昼間からパチンコをしていたりする人が少なくないことも疑念に拍車をかけている。
(ここには少しでも収入があっては援助金を受けられないという安直なカラクリが存在する)
そんなこともあって、車のナンバーなどから浜通りの人を差別するような状況が見受けられるという。
このままでは福島が内部から壊れてしまう、その言葉に驚いた。
そもそも特殊な環境で異なる背景の人が長期間同じコミュニティで暮らすのは難しい。
そこにお金が絡むのである。簡単ではない。
3.「風評被害について述べることの難しさ」
福島産の米・野菜を食べてその美味しさに驚いた。
そして日本中ではこれらのモノが全く売れず、時に出荷されずに廃棄処分されているのが現状である。
喜多方を訪れて話をしてくれた酒蔵のじいちゃんの話も忘れられない。
誰しも自分の健康、子供の健康が大切。
少しでもリスクのある選択はとりたくない。
なので、福島産の農作物を避ける人を責めることはできない。
でも私は。少なくとも私は、自分で調べて一定の安全を確認できれば福島産を積極的に買いたい。
知らぬ知らぬの内に不の連鎖に加担することはしたくない。
想定外には想定外の発想と勇気が必要だと感じた。
4.「津波被害の復興状況」
“なにもない” それが今の現状。訪れたのは宮城県閖上地区。
そこには人々の生きた跡があり、津波の驚異はグネグネになったガードレールから痛々しいほど伝わってきた。
360度何もない光景というのは怖い。街が流された、という表現がやっと自分の中に落ちてきた。
瓦礫撤去のほとんどは終わったが、決してゼロに戻ったわけではない。
それはあまりに多くのモノを失い、途方に暮れる状況に感じた。
目の前に海がある限り、この街は戻らないかもしれない。
今のところ、人が津波に完璧に立ち向かう術はない。
しかし復興を進める中で知恵を絞り、どうにかしてここに街が人が家が戻ってくる日を願うばかり。
5.「僕にできること~支援の形」
視覚的には宮城県海岸沿いの津波被害。
目に見えないとこでは福島の風評被害。
正直なところ、3.11から1年半の時が過ぎてから行ってもあまり意味がないんじゃないか。
みたいなことを出発前は心のどこかで思っていた。
実際に行ってみて感じたのは、“まだまだ何も始まっていないじゃないか”
風評被害は終着点が見えない、有効な改善策もない。
津波被害は瓦礫は撤去されたものの、なにもない状態になっただけ。人は戻らない。
今回私は大学の企画に乗っかって被災地を訪れ、被災者の声を聞かせていただき、ほんの少しのお金を落としただけ。
でもそれだけでも被災地支援になるんだと被災者の方から温かい言葉をもらった。
東北を訪れてくれる、それだけで元気が出るし、被災者の声を聞いてくれるだけで気持ちが楽になる。
その言葉をバカ正直に受け止めようと思う。
その上で自分にできるのはこの経験を周囲の人に伝えること。
この東北応援ツアーに行ってから半年以上経つが、家族、友人、職場の人など色々な人に話を聞いてもらった。私が見たもの考えたこと、被災者の声。
こうしてブログに綴ったことも読者の皆さんや通り過ぎていく多くの方々の目に触れて一つでも伝わることがあれば嬉しい。
今更ボランティアでもないのに被災地に興味本位で行くのはどうなのかと躊躇する人も多いと思う。
でもそれでもいいんだよと言ってあげたい。
一人でも多くの人が東北に足を運ぶことによって目に見えないエネルギーに変わっていく。
日本人は相変わらずの右にならえ、でもそれだけに一度軌道に乗れば早い。
この不穏な流れを変えていきましょう。
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以上で東北応援ツアーの旅行記を終わります。
ツアーに携わって下さった皆さま、そして何より生の声を聞かせていただいた被災者の方にお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
私はこの経験、学んだことをこれからも継続的に人に伝えていきたいと思います。
一刻も早くあの頃の東北に戻ることを心より願っています。
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