エニアグラムと哲学のTakkme -2ページ目

エニアグラムと哲学のTakkme

◉9つの性格タイプ論としてのエニアグラム
◉神秘と哲学の両輪

「子」とは孔子のことである。

 

 

子はいった  「<仁>たる者だけが人を愛し、憎む術を知っている。」

一方で、
子はいった  「<仁>たる者は憎悪を捨てるものだ。」



匠は尋ねた  「先生のおっしゃることは矛盾しているようですが・・・
        これは言葉の限界を意味しているのでしょうか。」


賢者A     「だから言葉なんて意味ねーつったんだよ。」



子はいった  「身振りと同様に、言語の正しい使用も、
        効果的な行為を為すのに、必須の構成要素である。
        正しい言語は単に便利な付属物ではなく、
        儀式を執行する上での本質に関わる。」




匠は尋ねた  「子のおっしゃることはなんとなく分かります。
        でも<儀式>とは何ですか。ちょっと不気味ですね。」


賢者A     「自分が楽しくなけりゃ意味ねーよ。
        自分が「楽しい」と思う感覚を掴むことが大事なんだよ。」



子はいった  「目的成就のためにいかなる努力も計画も必要ない。
        ただ儀式的動作を始めるだけでよい。」




匠はいった  「ますます不気味ですね。」


賢者A     「別に不気味でも何でもねーよ。
        楽しめば奇跡が起き続けるんだよ。」



子はいった  「人間の生は全体としてひとつの広大で自然発生的な
        聖なる儀式として現れる。
        これこそが個人の生活よりも重要で、
        唯一問題にすべきものなのである。」




匠は尋ねた  「個人の生活よりも重要なものがあるのですか。
        まずは個人の生活からではないのですか。」


賢者A     「まったく、分かってねーな。おめえは。」



子はいった  「儀式とは<礼>の力である。
        これが何よりもまず学ばねばならぬことだ。」




賢者A    (何か言おうとするが・・・)



子はいった  「しかし、次の点には留意せねばなるまい。
        儀式とは、人間の世俗的なものから遊離した霊を慰撫する

        といった神秘的なものでは全くない。
        霊はもはや儀式に支配された外的存在ではない。
        儀式のうちで表現され、
        儀式のうちで活性化されるものが霊なのである。」


 

 

匠      「なるほど・・・」


賢者A     「なかなかよく分かってるじゃん。このおっさん。」




子はいった  「<礼>とは道(タオ)の地図である。
        道(タオ)を歩むことを出来ない者は、
        錯綜したところを巡ってどこにもたどり着けず、
        利や個人的な慰めの幻に惑わされて
        当てどもなくさまようことになる。」




匠      (反省・・・)


賢者A     「その通り。結局は楽しいかどうかなんだよ。」









子はいった  「『どうしようか、どうしようか』
      と常に問い続ける者でなければ、
      私には手の施しようがない。」

 

 

 

 

 

 

*********************************

25年ほど前の文章です。

賢者A批判としても読んで下さい、と当時のボクの注釈が入っております。笑


『孔子 ―聖としての世俗者』H.フィンガレット(平凡社)
という本に感銘を受けてこれを書いています。

孔子のイメージがかなり変わりましたね。

(これは西洋における「自由」批判でもあって、

 つまり、西洋というのは常に「選択」という迷いの中にいる。

 西洋の路線は「選択の自由地獄」なわけですね。笑

 西洋が陥る「思考の罠」と言えるのかもしれません。

 その「自由からの脱却」を東洋ー孔子に求めた本だとボクは考えています。)

ここに出てくる『礼』というコトバは非常に魅力的な概念だと思います。

説明は難しいですが。
 

ボクは20代前半に当時「ニューエイジ」とか「精神世界」と呼ばれたジャンル?の老舗出版社で大学を中退して働いていた。当初バイトだったが、倉庫でそこの本を磨くだけで楽しかったのをよく覚えている。(出版社というのは返品された本を磨いてカバーをかけ直してまた書店に流通させるんですね)

当時「チャネリング」と呼ばれる宇宙イタコ(とボクは呼んでいた)が大流行しており、ボクはこの手の人達の、なんというんだろうか、「ポジティブの押し売り」のような感じが肌に合わなかった。(もちろんそうじゃない人もたくさんいましたよ)
といってUFO、超能力・・・などは大好きだったのであるが。。

この文章における賢者Aというのがいわゆる「ポジティブの押し売り」のような人です。笑

 

さて、それからボクに思考と感覚の大転換が訪れることになるのですが、

どういう経緯を辿ったかはこちらに。

 

 

あと、儀式についてはこれ(↓)も同じことについて語っています。

儀式化とは意識化と言ってもよく、言わば習慣化の逆ですね。

儀式が習慣に堕してしまえば元の木阿弥です。