エニアグラム解説4<ウイング(サブタイプ)について> | エニアグラムと哲学のTakkme

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◉9つの性格タイプ論としてのエニアグラム
◉神秘と哲学の両輪

まずはPart1からどうぞ。
エニアグラム解説1<基本編>

ネットなどでエニアグラムを検索すると、
1w2であるとか、5w4などの表記を見かけると思う。
これはそれぞれ、2のウイングを持つタイプ1、
4のウイングを持つタイプ5という意味である。
確かにウイングという見方を取り入れると、
エニアグラムの性格論としての幅が広がると思える。

ウイングと言うのはその名の通り「翼」と言う意味で、
自分のタイプの隣りにあるタイプを指します。
ザックリ言うと、自分のタイプの次に持っているタイプとも言えるし、
イメージで言えば、自分のタイプがまずあって、
道具やアイテムとして、隣りのタイプまでの広がりを利用し、
使用し始めたという感じでしょうか。
その点からもウイングは、より後天的なものかもしれない。
サブタイプ(副次タイプ)とも呼ばれます。

解説が煩雑になるのを防ぐため、
ここでは前回の解説「コア(センター)」という捉え方を一旦横においておきます。
(「コア」はウイングとは違い、より先天的と言えるかもしれない。
 ウイング・Wという表現はこの点が曖昧になるということも後述していきたい)



ボクの観察では、ウイングは、
「社会的なペルソナ(仮面)」として働くことが多いような気がしています。
つまり、より表面的な現象と捉えることが出来るかもしれない。
そのために最初、ウイングをその人のタイプであると誤認する場合もあります。
確かにウイングによってかなり、その人の「現象(振る舞い)」が違います。
たとえば、タイプ5(w4or w6)やタイプ3(w4or w2)など、
その表面的な違いがウイングによって顕著な場合も多いです。

ここで、ウイングによる「名付け」を下記の表に挙げておきますが、
洋書の翻訳本から借りてきているため、
もっと適当な名付けがあるような気もします。
今後考えていこうと思っておりますが、とりあえず。
(下記表の中央に表記してあります)

表
          
                
あと、
ウイングなどない、ウイングは片方しかない、
ウイングは両方ある、という意見を耳にすることがあります。
これはしかし当然と言えるかもしれません。

エニアグラムはまず<図形>であるということを確認しておきましょう。
「言葉」よりも「図形」が先にあるわけです。
ここで、先に一旦置いておいた「コア(センター)」を登場させることにします。

図形と人

このエニアグラムという図形においてまず大事なのは、
中央にある3・6・9を頂点とした正三角形です。
これをコア・ポイントと呼ぶことにします。
◉エニアグラム解説3<コアについて>


まずこの正三角形が先にあります。
2と4はのウイングであり、
5と7はのウイングであり、
1と8はのウイングであるという表現も出来ます。

例えばタイプ5は、タイプ6の仲間であるというか、
そもそもタイプ6だと言うことも出来ます。
さらにウイングが4だとすると、4までその領域が広がったと
イメージ出来るかもしれません。
(このために5w4が6も含めた両翼あるという主張があるのかもしれない)

ここで重要だと思えるボクの観察があります。
5w4などのように、自分のコアの反対側にウイングがある場合
自分のコアに対する認識が薄く、
表面的にもコアが分かりにくくなることが多いように思えます。

少し専門的になり過ぎるかもしれませんが、
このことについてのボクの推論を少し説明しようと思います。

先ほども言いましたが、
ウイングというのはより後天的に派生してきたもののように思えます。
先の5w4などの自分のコアの反対側にウイングがある場合、
自分のコア(この場合は6)に対する反抗または反動によってウイングを形成するため、
コアに対する認識が薄く、表面的にも分かりにくくなるのではないでしょうか。
もしかすると、より反骨精神の強い人が
この(自分のコアとは反対側の)ウイングを形成しがちなのかもしれません。

ボクが懸念するのは、例えばこの「5w4」などの表現は、
このタイプ5がそもそもタイプ6(思考型)の仲間であるという
認識が自他ともに薄くなるような気がするところです。

確かに表面上の表現(スタイル)はウイングの影響を強く受けるとは思いますが、
それが分かってしまえば、やはり正三角形のどこに属するかの方が重要になるのは、
つまり各センター(コア・ポイント)が重要になるのは、
このエニアグラムという図形の性質上明らかだと思われます。

また、タイプ3、タイプ6、タイプ9といった
自分のタイプがコアそのものである場合は、
ウイングがなさそうだ、という場合も考えられます。
観察上少ないようですが、どうでしょうか。

例えば蛭子能収さんはどうでしょう。
タイプ9であることは明らかに思えますが、
1にも8にも寄っていないように思えます。
どちらかといえばw1かなという程度です。

さて、
ここで、そもそもの疑問に答えたいと思います。
まあ、答えになっているかどうかは分かりませんが。

そもそも1w2や2w1などと言いますが、
1や2の中間の人たちは存在しないのかと。
つまり、そもそも9つに分けることに無理があるんじゃないかと。

誰もが最初に抱く、確かに真っ当な疑問だと思います。
ボクも20年ほどこのエニアグラムに携わっていますが、
言わばここのところが、
エニアグラムというカテゴライズの優れたところだと思っているのです。

確かにタイプ1とタイプ2は隣同士でもあり、
かぶっている箇所(つまり似ている部分)もたくさんあります。
もちろん他のタイプ同士も同様です。
ですが、タイプ1とタイプ2は、隣同士であるにもかかわらず、
例えば、犬と猫ほどの違いがあります。笑
互いに哺乳類で、毛で覆われ、四本足であるき、、、ヒゲもあります。

ですが、
猫のような犬や、犬のような猫はいたとしても、
なぜか犬と猫の中間はいません。
(隣同士でさえもなければ、それは犬とクジラほどにも違ってくるでしょう)
これは『言語』の問題と言えますが、
それはこのブログの哲学部門に任せましょう*。

つまり、タイプ1のようなタイプ2、
タイプ2のようなタイプ1はいるとしても、
(これをウイングという見方で説明しているのかもしれない)
なぜかタイプ1とタイプ2の中間はいないんです。

それほどにこのエニアグラムは、
カテゴライズ(言語)としての性能が高いのというのがボクの実感です。




以上ですが、参考になりましたでしょうか。





備考*************************
最後のくだりですが、これは「言語」の問題と言えるんです。
エニアグラムも性格論(心理学)とだけ捉えてしまうと、
「言語」という大問題にぶつかるんですね。
(ちなみにこのエニアグラムを世界にオープンにしたグルジェフは、
この図形を踊っていました。意味が分からないかもしれませんが笑)

現実には「犬」も「猫」もないんです。
つまり「エニアグラム」もない。
◉『言葉』論1(本質の話)
を読んで頂けるとなぜボクが「哲学性」を重要と考えるのか、
いくらか分かっていただけるかもしれません。