くまCan もう君に会うこともない | 君が好き

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アイドルの話でもしようず。

8月15日のくまCanラストライブ、最後に歌われた「空に投げKISS」を聴きながらぼくは大きな喪失感を感じていた。

もちろん解散して卒業されたメンバーさんにも明日はあるし、現在でもあらゆる形で活動や消息をメンバーさんはヲタクに伝えてくれている。

しかし、くまCanというアイドルがこの日を境に活動を停止したという事実の前には、どんなにメンバーさんがステージで楽しませてくれても心の底に大きななにかが引っ掛かっていた。

 

AKB48から端を発した地下アイドルブームは、2013年にはNHKの朝ドラのテーマがローカルアイドルになるほどの広がりを見せていた。

ローカルアイドルの特徴は地方色あふれる楽曲や方言でのMCなどのステージ。とはいえ、九州で九州のローカルアイドルを見る分には一番の魅力として物販での交流というものがあったのは否定できない。

CD1枚で十秒ほどの時間を話せるというAKB方式の握手会で始まった地下アイドルの交流スタイルは、箱崎の地でワンコインで3分というコストパフォーマンスの良さがヲタクに支持された。アイドルと日常的に会話をするヲタクが足繁く現場に通い、九州のローカルアイドルシーンは繁栄を見せていた。

そして、その繁栄を裏付けるように2013年は、LinQが年明けから福岡市民会館でコンサートを行い、れいしゅしゅ、QunQunも東京遠征、4月にはついにLinQがメジャーレーベルからのCDデビューも果たす。

物販でお互いに顔を知っていて日常的な会話をしているアイドルが、東京でもたくさんのファンをつけ、CDもインディーズだけでなくメジャーレーベルからも出している。

これが当時のローカルアイドルの最大の魅力であり、2013年当時はその魅力は九州外にまで広がり、LinQの公演などはキャリーケースを重そうに運んで遠征している他県の人たちが、なぜか毎週末天神にいるという不思議な光景が見られていた。

 

その2013年に結成されたくまCan。

「目指すは(熊本)県民の妹」、「地域密着型ご当地アイドルユニット」とキャッチコピーではターゲットである市場を熊本だけに絞っている印象を与えるグループだったが、おそらくこれはランチェスター戦略的局地戦を想定していたためのコピーであって、このグループは初期の段階からもっと大きな市場へはばたきたいと野望を持っていたように感じる。願わくばLinQのようにキャリーケースを転がす遠征ヲタが毎週熊本に来てくれないかってとこだろう。

2013年にLinQの初代リーダーが卒業するときに「地方から始まった私たちの夢。地方からでも夢はかなうんだってことを、全国の皆さんに見せていきたいと思います」とライブで言っていたほど、当時はローカルアイドルが時代を作るんじゃないかという勢いもあり、そういう野望も本気で信じられる時期だったのである。

そしてそんな時期と野望があったからこそ、他のアイドルとは違う明確なコンセプトと、歌とダンスの先生をつけたレッスンを行うというバックアップを可能にし、また大きな野望を秘めていたからこそ良質なメンバーを集めてスタートできたと思う。

デビュー前には熊本のローカルタレントがプロデュースしていることになっていて、そのタレントが出演しているテレビの夕方のワイド番組でデビュー前から特集されたこともあった。

 

メディアの露出から主に熊本市内の祭りに出演し地元に知名度を広げ、また積極的な遠征で他県のアイドルヲタクの取り込みを図っていたくまCan。

ただし、初期の頃は野望があったからこそ、その現状に満足することなくたくさんのチャレンジが見られたグループだった。

特筆すべきは年が明けた2014年2月ごろから始まった熊本市内での路上ライブである。

毎週土曜日に行われたその路上ライブは、2014年の8月には146人の観客を迎え、くまCanはこのまま熊本での不動の人気を確立する、かに見えた。

 

しかし、NHK朝ドラの終了とともに静かにローカルアイドルのブームは落ち着きを見せ始めていた。

九州でも静かに現実が見え始めてきていた。

物販で仲良くしゃべることのできるアイドルがメジャーデビューする。

ヲタクは当然うれしかった。

頑張って応援してCDをヲタクは買い支えた。

応援している九州のアイドルグループのCDがオリコンのデイリーでベスト3、ウイークリーで10位以内に入る。

ヲタクはそこまではうれしかった。

だが、オリコンのウイークリーでベスト10に入っても状況は何も変わらなかったのである。

テレビの歌番組で育った世代にとっては、(オリコンとは厳密に違うが)週間チャートの10位以内と言えば「ザ・ベストテン」や「歌のトップテン」に呼ばれるまさしくスターの領域のはずであった。

なのに、1週間でチャートが流れリリースイベントが終わった後は、現場にはいつもの顔なじみのヲタクばかりで、テレビなどのマスコミで取り上げられることもほとんどなかった。

アイドルさん本人に関しても、それまで劇場まで電車で通っていたのがタクシー通勤で変わるとかいうこともまったくなく、グリーン車どころか遠征に行くのもよくてLCC、普通ならバスや車というのが普通で、たとえ数字という結果を残しても現実が変わらないことを、ヲタクもアイドルも現実を見せられて思い知らされていたのである。

 

くまCanは、路上ライブで100人を集めるという目標を達成した後、「熊本県内45市町村すべてでライブをする」という目標を掲げる。

新潟県全市町村を回る「RYUTist革命」にオマージュされたような目標で、秋田のpuramoもこんな企画があったと思うが、正直に言うとこの企画自体あまり成功例が少ない。言ってしまえば、アイドルに興味のない人たちのとこにアイドルが行ってもだからなんなのということで思ったよりファンの拡大にはならないようなのだ。

くまCanの場合はもっと悲惨で、後半は運営の運転するメンバーの乗った車をヲタクが熊本市内から車でついていって移動し、とりあえず広場を見つけて、熊本からついてきたヲタクたちだけの前で歌を唄うというオフ会になっていた。

アイドルがたくさん生まれて珍しくなくなり、アイドルが来るからと言ってそうそうやすやすに人が集まらなくなったという時代の流れもあったのだろう。

 

2015年になるとローカルアイドルブームも一段落つき、アイドルを見るいう趣味が、もともとのコアなヲタクの趣味に戻っていた。

この頃の流れとしてはヲタクごとに現場が固定化していった時期だと思う。

たとえばぼく自身も、この頃からは積極的に全く知らない現場に行くことは減っていた。

ぼくはくまCanのヲタクなので、基本的にはくまCanを見て、あとはくまCanと共演して一度見たことがあるアイドルを見に行くような感じだった。

この時期になっても福岡を中心に各現場でいろんなアイドルが誕生していた。

しかし、「とりあえず見てみよう」というモチベーションはヲタクの中では少なくなっていた時期だと思う。

なぜかといえば単純で、2013年以前までの「オリコンチャート10位以内に入るダイヤモンドがいるなら若いうちから見たい。探したい」という先物買い的な欲求が、「オリコンチャートの10位以内に入っても……」という失望から薄れていったためである。

そしてヲタクの現場の固定化は固定化したからこそ、アイドルごとにヒエラルキーを生み、2014年以前にヲタクを多く持っていたアイドルがその頃にヲタクが少なかったアイドルを追い抜けるほどの人気になることはほとんどなくなっていた。

物販というシステムがある以上、アイドルとヲタクの関係は強固で、すでに人気のある強者の壁は弱者のアイドルから見たら、新規の人が増えないこともあって厚かったのである。

 

この頃になるとくまCanも新規のヲタクを獲得するよりは、既存のヲタクを離れさせないために活動のベクトルが向けられていったように思う。

2014年夏に路上ライブで146人を集め、テレビCMにも起用されたのは過去の話、2015年になるとイベントごとにヲタクを楽しませることに全力が注がれていた。

たしかに、ヲタクとしてはそのイベントは一回一回が楽しかった。

いま思い返してもぼくにとってはかけがえのない夢のような時間である。

メンバーさんはラストライブで口々に「くまCanは青春だった」とおっしゃっていたが、ぼくにとっても青春がもう一度帰ってきたような楽しい時間を過ごさせていただいた。

ただ、当初のような野望から考えるとその規模は小さく、メンバーのモチベーションの維持を考えたら、負担のわりに見返りの少ないものだったのだろう。

アイドルとは現状に不満があるから辞めるものではない。未来が見えなくなったら辞めるものである。

毎度毎度、度肝を抜くような企画でヲタクを楽しませてくれたくまCanだったが、活動が未来につながるようなものだったかと言えば、路上ライブまでの勢いから見ると、失速した感は否めなかった。

そのため、メンバーの脱退も相次ぎ、イベントも毎週から月に一回ほどに減っていった。

 

そして2016年、熊本では震災が起こる。

中学生メンバーの受験が終わり、さあ、これからだという4月の天災。

5月に一度チャリティーライブをやったものの、その次のライブは8月とイベントは激減し、震災をきっかけに熊本を元気づけようと精力的に活動する他の熊本のアイドルと比べても、それはヲタクにとっても物足りないものであった。

 

今年に関して言えば、花習舎で1月と2月は精力的にライブをし、3月に久しぶりに地下ライブをしていたが、そこから解散直前の8月12日の高橋祭りまで期間が空いた。

そして7月の活動休止発表。

この期間、運営さん、メンバーさん、大変悩まれたことと思う。

ただ、この選択をされたということは、活動するという負担が、それぞれの関係者の方にはかなり大きなものだったのだろう。

だからこそ、個人的にはメンバーさんの今後の活動には期待している。

かつてくまCanに在籍していたメンバーさんがいまでは十万人以上のチャンネル登録者を抱える人気youtuberになっているが、くまCanはそれだけの可能性を秘めていたグループだったとぼくは信じている。

だからこそ、負担になっていたアイドル活動を取り除いたときのメンバーさんが、今後もすごいことをやる人が出てくるんじゃないかと期待が高まるのだ。

橋本からあげさんのYouTubeを見たときの「ま、ざっとあの子が本気を出せばこんなもんだろうな」という感動を、また味わえる未来をぼくは待っている。

 

最後にラストライブの時やその前でもいろんな人にぼくが言われたことは「どうしてそこまでくまCanが好きなんですか」ということだった。

ぼくがくまCanを好きになって、推しは1年ほどで卒業している。

そのあとでもくまCanの現場に通い続けたのはなんでなの? ムキになってたの? などと聞かれたが、ぼくにとっては他に似たグループがなかったという個性に打ちのめされていた面が一番大きい。

そしてその個性とは、あとになればなるほど気づくのだが、メンバーさんの個性もあったけど、その個性をうまく引き出した運営さんの力が大きかったなと思う。

そして、いざ活動休止して振り返ってみると、2013年の野望も抱けるような時代だったこそ、たくさんのお金と時間をかけてくまCanという変なグループを生み出せた力があったんだろうなと思う。

だからこそ、もう一度NHKが朝ドラで取り上げるほどのローカルアイドルのブームが生まれない限り、くまCanのようなグループは出てこないだろうなと感じ、ラストライブはその喪失感が大きかった。

またOGが再結成してくれるかもしれない。

だけど、2013年からたくさんの人の夢を乗せ現実に翻弄された、あのくまCanの現役時代にはもう二度と会えないのだ。